【都城市議会議員補欠選挙について】
最近「にれたさんは市議選に再度立候補されるんですよね?」的なお尋ねが複数ありました。

恐らくこれは、今度の日曜日6日に告示される都城市議会議員補欠選挙のことを指していると思われるのですが、結論から申しますと「そのような予定は一切ありません」。

言うまでもなくこの補欠選挙、私の不注意により引き起こしてしまった不祥事(酒気帯び運転容疑での検挙・後日不起訴処分)の後の議員辞職に起因しておりまして、今般、任期満了により執行される市長選挙と抱き合わせで行われるものです。

聞くところによると、この補欠選挙執行にあたり約4,000万円もの予算計上されており、私の不始末がなければ、本来、市の行う他の事業に充当できたものであり、その罪悪感は何をしても拭えず、また一連の不祥事は、若者世代の政治参画に大きな汚点を残し、その責任の重大さとともに懺悔の念を新たにしております。

誠に申し訳ありません。

以前もお伝えしましたが、議員辞職はあくまでも「けじめ」の一つで、そのことにより「責任」を果たしたとは露も思っておりません。

今後、今ある使命を果たすべく尽力しながら何かの形で少しずつでも贖罪してゆくつもりでおりますが、その手始めとして今回の補選を通して考える市政について一応の経験者である私なりの見解をお伝えしようと思い立ちました。

人によっては「不祥事を起こした馬鹿なヤツが何をいまさら」とお思いになられるかも知れませんが、一般的に身近な政治ほど「情報が少ない」と兼ねてより私自身も感じておりましたので、私の拙い経験が基になりますが、今般の市長選挙・市議補欠選挙に対して何某かのお役に立てればと思い投稿する次第です。



【不出馬の理由に関して】
その前に先ず不出馬の理由です。
あの不祥事より10ヶ月が経ち、その責務の果たし方については私なりに随分と悩み続けて参りましたが、今の私では真の意味での「公共の福祉の向上」に資する活動は出来ないと思い至ったからであります。

そもそも議会・議員とは、自治体の行う各種事業の予算や自治体のルールである条例の審議・採決を行うのが最も重要な務めです。

その重要な務めを市民から付託された議員が、重大なルール(私の場合は道交法)に抵触し世間を騒がせるなど言語道断です。

故意で運転し酒気帯び運転で検挙されたわけではありませんが、早朝時の残留アルコールに対するその認識の甘さは、公人たる議員であり続ける「資格がない」と思い辞職を決断したわけで、「事件後1年近く立つから、もうそろそろ良いでしょう」的に再挑戦出来るほどの「開き直り」は、私には持ち得ません。



【もう一つの理由】
併せて皆様にお詫び申し上げなければならない事は、先にも述べましたように私の考える「議員の最も重要な務め」があるわけですが、議員在職中の私は時として、それを気付かないふりをして採決に臨んでしまったことがあったということです。

もっと分かりやすく言えば、「知り合いが関与しているから」とか、「国会議員の誰々が予算獲得に動いてくれたから」など、その事業が本当に今や将来の市民のためになるのか考えずに意思表示をしてしまっていたということです。

はっきり言って、こんなことばかりしていたら市議会議員は必要ありません。
優秀な市長(首長)や国会議員だけいれば事足ります。

話が飛び飛びになり恐縮ですが、先ほど述べました議員の重要な務めは、大きく分けるともう一つありまして、極論でいえば「市長(首長)の暴走をとめるブレーキ作用」というものがそれにあたると考えます(あくまで私なりの解釈です)。

当然のごとく市長(首長)も選挙で選ばれるのですが市議とは違い一つの席しかないわけで、例えば4年前の市長選挙(有権者136,926人、投票者数63,941人、投票率46,70%)は現市長が37,015票を獲得し当選しましたが、一方でもう一人の候補は26,499票を得ましたが落選の結果となりました。

では、この26,499人の方たちの思いはどのようになるのでしょう。

選挙が終われば敵味方もないのは当然で、寧ろ投票していない人たちの思いも汲んで市政運営がなされるべきですが、ここはやっぱり人情、自分を応援してくれた人たちの言うことに耳を傾けたくなるものです。斯く言う私も心当たりがあります。

今の市長が「耳触りのよい意見しか聞いていない」と言いたいのではありません。時として権力者は、自分の思いや身の回りにいる人ばかりの意見で物事を決めてしまうことがある、そう申し上げたいのです。

そしてそのことにより市民に不公平感が募ったり、組織が公正でないことを行ってきてしまった事例は、歴史を顧みると枚挙にいとまがありません。

そのようなことを防ぐためにも複数人の定員がある議員の存在価値があるということです。

そうです、本来当たり前のことです。

でもこの当たり前のこと、どこの社会でもそうですが中々当たり前にならない、これが難しいところで、私が先のことを見据えた上で不出馬を決めた理由にあたります。

私が約3年前に当選させて頂いた環境には、多くの方の支えがありました。
その中でも中心的に応援してくださった方は、語弊を恐れずに言えば「市長とうまくやってくれ」という方が多く、私も「同世代の市長とともに新しい政治を行う」ことを念頭に活動しておりましたが、いざ政治に携わってみると「いうべきところは言う」が求められる場面で、「市長とうまくやる、行政と折り合い良くやる」ということがある意味しがらみになり、本来の議員の務めを遠ざけるものになってしまったわけです。

「大人に成りきれない」と言われればそれまでですが、「世の中を取り巻く閉塞感の打破」を若者らしく行ってゆけないならば、最早、それは誰がやっても同じ「閉塞感」の繰り返しで、そんなところから未来志向の「街づくり」は行えませんし、結局のところ、予算獲得至上主義の旧態依然としたものと何ら変わりません。

これらのことを議員就任以降の学びの中で改めて知り気付き、当初の自分の思いや主に支援してくださった方々の思いも踏まえると、全てに偽っているような立ち位置は改めるべきであると強く感じてきたのです。

支援してくださっていた方々には様々な意味において、誠に申し訳なく思っております。

そういった意味でも、政治を離れて本当の「世のため人のため」は何なのか、自分自身見つめなおす必要があると思い不出馬を決意したところです。



【今回の補選について】
その上で今回の補選、先ほども記しましたように約4,000万円もの税金がつぎこまれる選挙です。

市長選挙が無投票になる公算が大きいといわれている状況ですので、単に私の不祥事に起因した「無駄な選挙だ」とだけに捉えず、市議補選を通して候補者たちには大いに市政について論じていただきたいと思いますし、市民の皆様にも今一度、今の市政の状況や今後の動向、議会の在り方について考えていただく機会にしていただきたいと強く思っております。

さてここからは私の知りうる限りの情報での考察ですので不正確な点もあるかと思いますが、市議補選について具体的にみてゆきたいと思います。

はじめに立候補予定者は4人と聞いております。

前回挑戦したが落選した方が2人(1人は元職)、市役所OBの方が1人、元警察官の30歳代の方が1人、の4人らしいです。

それぞれに主義主張があられると思いますが、都城市は現在、大きな分岐点にさしかかっています。

直近では市の運営の根本をなす総合計画の改定の時期にあります。
一般的には馴染みのないこの「市の総合計画」、実はとても重要で、ザックリと言えば総合計画に記されいないことは出来ないのです。逆に言えば総合計画の中に盛り込んでしまえば何でも出来てしまう危うさもあるのです。

この事については何故か、現職議員が多くを語りません。
補選は折角の論戦を交わす場です。本当に市民の声が反映されたものになるのか、ぜひ大いに議論して頂きたいと思います。

また今後の市政運営について考えるとき、「客観的な現状認識」はとても重要で、これは実際に市政に携わっている人(市長・行政職員・議員)には出来づらいと、私の経験上感じています。

今、都城市政においてクローズアップされているのは「ふるさと納税」や「国からの順調な支援」だと思います。
事実、市長もその事を最大の実績として謳っています。それ自体は無いよりもあった方が物事がうまく行っていると感じるわけですが、何事にも光と影があるように順調に見える施策にも危うさがあることは、政治に携わる者は忘れてはならないのです。

ふるさと納税に関して言えば、あくまで国の制度に乗っかった一時的なブームであることを忘れてしまいますと(あるいは気づかないふり)、その熱狂が過ぎた去った時に大変な事態になることが想定されます。

地道な営業努力により切り拓いた販路と、公共カタログ販売事業では大きな違いがあることは、商いをなさっている方は既にお気付きのはずです。

しかも好調と言われる肉に対するオーダー、これも余っていた肉が選ばれているわけではなくて、何処かの販路から削ってきたものがふるさと納税の中で流通していると考えるのが普通です。

でもこれらのこと、それに携わっていると分かりづらくなるんですよね。
仮にふるさと納税で強力なライバルが出現し、「日本一危うし」となった時、行政はどの様な手段を取るでしょう?

無理してまで張り合う事は無い、速やかに撤退して次のことを考えましょうと行けば大したものですが、そうはいかないと思います。
恐らく、その座を死守するために更なるPRの為に予算の追加を行うのが常でしょう。

仮の仮にふるさと納税事業から撤退した場合、それまでは市役所が公共カタログ販売事業として買い上げてくれていた分の肉は、以前と同じように通常の販路にのせることが出来ないでしょうし、買い上げてもらっていた業者がすんなりと自社の営業努力だけでその分をカバーするとは考えにくいです。

何の世界でもそうでしょうが、一度美味しい思いをすると中々抜け出せないのが世の常で、「突然やめられても困る」とか言われてしまえば無下に拒むことも出来ず、そうなれば緊急措置的に何かの形でその分の肉を買い上げることになり、予算の硬直化を生み出すことになりかねません。

所謂、補助金中毒です。

私も一応在任中は、納税額が奮わなくなってきた時のことを考えておくように意見はしていましたが、このような事に客観的な視点で議論できるのは、これから市政に挑戦なさる方々だと思います。

物事、上手く行っているように見えるときこそ最悪の事態も想定しなければなりません。「治にいて乱を忘れず」です。

また、国からの交付金や補助金が順調に交付されることは地方自治体にとってありがたいことでありますし、その裏では地元選出国会議員や市長などが尽力していればこそと言うのはよく分かります。
がしかし、得てしてこの手の手法は上級官庁のご機嫌伺いばかりが主になり、自治体独自の発想の悪しき妨げになります。

あと上級官庁への依存体質でありますとか上意下達型の思考に陥りやすく、思考停止状態をもたらしたりもします。

この事の弊害は、昔から繰り返されてきたバラマキ施策を鑑みればお分かりいただけると思います。

このように、私達が向き合ってゆかなければならない課題は多岐にわたるのですが、これらのことについて大いに論戦を交わすのが選挙の持つ本来の意義であり、無駄と思える選挙費用が民主主義のコストと言われるのはこの所以です。

繰り返しになりますが、今回の補選は私の不祥事に起因しておりまして、ある意味私は4000万円の負債を負ったとも言えます。

これについては今後、今ある使命を果たすべく尽力しながら何らかの手段で贖罪してゆく事は先にも述べましたが、実際にその補選に出馬する方々は、是非、この機会に市政について大いに論戦を交わして頂きたい。

そして有権者の皆様は、恐らくいつもの贔屓の候補者が出ない中での選挙ですので、この際、「誰々に頼まれたから」的な思考を隣において、候補予定者たちの主義主張に耳を傾け投票行動に移していただきたいと思います(多分、次の通常選挙のときは地元の候補者優先になるでしょうから)。

最後になりますが、候補予定者の皆様がこの投稿をご覧であればお伝えしておきたいと思います。

自分の経験上、告示日を間近に控えた今、とても不安に感じている最中だと思います。

漏れ聞いたところによると、ある候補予定者には近隣に住む現職議員が何かと難癖をつけているとかいないとか。
自分と同じ出身組織を辞して挑戦してきたものだからあれこれと嫌がらせをしているのでしょうが、こんなものゲスの極みです。

かつて私も経験しました。

私の場合は親戚が当時の議長で、あいにく不在のときでしたが私の職場に議長の名刺を差し出して「よしひろが市議に出馬するのを辞退させてくれ」的な発言をして帰ってゆかれたようです。

まぁ、今となっては笑い話ですが、当時の心境を思い出すと複雑です。

色々な誹謗中傷も受けるでしょうが、より良い地方自治体・住民自治推進のために思いっきり街頭演説で主義主張を訴えて下さい。

私の反省から申しますと、有権者は選挙カーからの名前の連呼ばかりではなく(残念ながら法律的に選挙カーが走っている時は連呼しか出来ませんが)、貴方の市政に対する考えを知りたがっています。

そして何より、候補予定者の皆さんが思っている以上に今の議会は閉塞感に満ちています。
残念ながら「曖昧な事なかれ主義」で物事が進んでいます。

この事を打破してゆくことは並大抵のことではありませんが、今回の当選者は通常の選挙より多くの方からご自身の名前を書いて頂く機会に恵まれます。
不思議なことに一度名前を書くと、その人の事が気になるものです。

どなたかお一人が新たな議員の席につかれる訳ですが、どうか今の議会の馴れ合いの空気に馴染みきってしまわず、名前を書いて下さった方々が市政に関心を持ち続けてくださるように議会・議員の在るべき姿を追い続けてください。

以上とりとめのない投稿になりましたが、今回の補選が少しでも意義深いものになりますことを切に願い、恥を偲んでの投稿と致します。