昨日は、合計5件の行事の締めくくりが大宴会でした。

沖水地区大運動会の実行委員会をはじめ関係者が一同に会しての大宴会、大運動会が大盛り上がりでしたので大宴会も同様であったことは言うまでもありません。

最後の万歳三唱の音頭を任されまして、ご参会の皆様にどうしてもお伝えしたいことがあり、例に違わず「長い話で恐縮ですが」の前置きをさせて頂きましたら、いわゆるヤジを頂戴しました。

私自身、万歳三唱の音頭で「ヤジ」を頂戴したのは初めての経験でしたので、多少驚きはしましたが、まぁ、色々なお考えの方がおられるでしょうから、これはこれで良い経験と捉えています。

因みに「長い話で恐縮ですが」の前置きをは以下の通りです。



~第70回沖水地区大運動会大宴会 万歳三唱前置き要旨~

本日の大運動会大宴会開催にあたり、地元選出市議会議員にもお声掛けを頂き、誠にありがとうございました。楡田勉議員、中田悟議員、両先輩ともに次の会合の関係もありご退下なさっておられますので、一番下っ端な私「にれたよしひろ」が音頭を取らせて頂きます事、まずもってお詫び申し上げます。

また、本来ならばこのまま音頭を取らせて頂くところではありますが、どうしてもご参会の皆様にお伝えしたいことがございますので、少しくお時間を頂戴致したく存じます。
(この辺でヤジを頂戴する……^^;)

大運動会の1週前にございました沖水小学校大運動会の折り、とても悲しい事実を知ることになりました。5年生のお子さんでしたでしょうか、とても難しい病魔に倒れ、運動会を迎えることかなわずお亡くなりになったと。

参加者全員で黙祷を捧げさせて頂きましたよね。

そして更に振り返ること2年前、私、この年になって久方ぶりに沖水地区大運動会に参加しました時、東高木地区で大活躍なさったある女性がおられました。
リレーの際に、彼女から私の妻がバトンを受け取ったのでしたが、その彼女、その年の暮れに30代で余りにも早すぎるお迎えが参りまして、お浄土へと旅立たれました。

今回の大運動会は第70回の記念すべき、そして誠に意義深い大会でありました。

大東亜戦争終結後の、荒廃しきった環境であったであろうあの時期に、「地区の運動会をやろう!」と発起された先輩方がおられて、そして今日に至るまで連綿と受け継がれて来たことは、現在の私達にとって誠にありがたいことであり、先ほどお話致しました小学生や女性のように今は亡き方々が「生きたかった今日」に受け渡されたバトンが繋がり、第70回を迎えた誇りとする大会であったと存ずる次第です。

この大運動会、今後の開催について種々お話があられることは私も承知致しておりますが、少なくとも私達の年代の多少の都合だけで止めるわけにはいかないと思うのであります、戦後の発起からのストーリーに想いを致すと余計に。

大変長い話で恐縮ですが、第70回大会が大盛会に納まりましたことを今一度お祝い申し上げ、来る第71回大会が新たなるスタートに相応しい大運動会となりますことを心から祈念し、万歳三唱致します。

皆様、声高らかにご唱和下さい。

沖水地区大運動会、万歳! 万歳! 万歳!



追伸
大変恐縮なことですが、後半部分はヤジではなく多くの拍手を頂戴致しましたことは、誠にありがたいことでございました。

また個人的には「今日、貴方に会えると思ったから」と仰り、先日、タウンプラスで発送させて頂いた「にれ便り」をお持ち下さり、率直なご感想と激励を賜りましたこと、心から感謝申し上げます。