おはようございます、にれたよしひろです。

昨日の朝、公民館役員の方々と道路の法定外標示(画像参照、どちらかと言うと歩行者向け)の塗替え作業を行いました。





と言っても、私が到着した頃には、ほぼ終わりかけていたのですが………(苦笑)。

私の居住する高木町には、東西両公民館があり、西高木公民館は塗替え&シートの貼付け、東高木公民館はシートの貼付けのみと、お互いの特性が良く表れる作業スタイルに微笑ましさを感じ、また、特に地域の児童園児が交通事故等のトラブルに巻き込まないため予防を行う役員各位のお気持ちに、心からの敬意を感じつつの作業でした。





塗替え&シート貼付けの終わった場所を再度見回ってみると、確かに交通量が多いところばかりでした。

標示1つで喚起される注意力(歩行者の)もあるのだろうなと感じる一方、同時にその場所は道路横断をともなう場所である以上、車の運転者が歩行者を安全に横断出来るように努めて配慮しなければならない場所であるはずです。

がしかし、横断歩道の前で停車してくれる車は1台もありませんでした。

先だって警察署の署員と、警察行政全般についてお話して頂く機会がありました。

その中で特に強調されていた点は、交通ルールやマナーが何故に存在するのか。

意訳すると「歩行者優先の原則にもとづく思いやり」なのだろと、私は捉えました。

当たり前と言えば当たり前の事です。

しかし皆さん如何でしょう?

車の運転者中、横断歩道付近で歩行者を認識した時、ちゃんと車を停車させ、歩行者を安全に横断出来るように配慮出来ていますか?

「後続車が無いから、私が通過した後に横断出来るだろう」と、足速に通り抜けていませんか?

お恥ずかしながら私は、警察の方とお話してさせて頂くまで、後者であったように感じます。

そして今、その事を強く意識して運転や歩行するようなって更に気付いたのは、この街を行き交う車も、ほぼ、後者であること。

先日、行政視察で長野県を訪れた事はFBでご紹介した通りですが、その際に別視点で気付いたのはこの交通ルールやマナーへの意識で、私が横断歩道の前で立ち止まっていると、5回中4回、車が停車してくれて、私はスムーズに道路を横断出来ました。

公共交通機関が十分でない都城市は、所謂車社会と呼ばれる街です。

この街でより良く暮らしてゆく為には、何かによってもたらされる安心安全に依存するのでは無く(この場合、交通標示)、自分達の意識を変化させてゆく事によって作り上げてゆかなければならないんだなと、交通標示1つで考えさせられました。

さて今日は、神社の宮司の運転手で鹿児島市内まで往復します。
どこまで交通標示等に依存する事なく安全運転に資することが出来るか、早速、実践してみます!

皆さんもご一緒に如何でしょうか?