〓ここ数年だと思うんですけど、道端に、
オレンジ色のポピーのような花
がやたらに咲いているのを見かけませんか。ときどき、野草の図鑑なんぞを引っぱり出しては、「ナンの花なんだろう?」 と調べてみるんですけど、サッパリわからない。
〓ものすごく繁殖力と生命力の強い花で、公園の植え込みや、ヒトサマの庭先なんぞは言うに及ばず、たとえば、駐車場のコンクリの割れ目とか、アスファルトの路肩なんぞにも、ドンドコドンドコ芽を出して、気がつくと、オレンジ色の花を咲かせてるんです。
〓たとえば、「ポピー オレンジ 謎の花」 をキーワードに Google でイメージ検索すると、「謎のオレンジの花」 らしき写真が見つかります。つまり、「ポピーのようなオレンジ色の花」 に引っかかっているヒトは、アタシだけじゃないのね。
〓今度は、 Google で 「ポピーのような」、「オレンジ色」 でウェブ検索してみました。うれし~ですね~。アタシと同じく、ナンじゃコリャ、と思っている人たちがいる。
──────────――――――――――――――――――――
■ 2006年5月16日 付け
最近よく見かける花
最近、やたらどこでも見かける花。
雑草のように変なところから顔出している。
ポピーの仲間かな?
http://blog.livedoor.jp/yonet35/archives/50483129.html
──────────――――――――――――――――――――
〓これは、個人のブログです。
〓「最近よく見かける」 という印象、まさに同意です。
──────────――――――――――――――――――――
■ 2000年5月16日 付け
このごろオレンジ色のケシ(ポピー)の花が空き地や花壇に雑草みたいによく見かけます。うちのマンションだけだと思って(ここ数年)いましたが、今年は町のあちこちで見かけます。てことは、近所の人の種が飛んだわけじゃない??そういえば昔、地理でケシはやせた土地に植えるとかあったような。たしかにわずかなすきまにもはえてる。でもなんとなく日本の野草と合わないのよネ。気づくとこの町のあちこちで咲いてる。で、この町だけだと思いはじめていたところ、先週九十九里に行ったときも、一宮あたりの空き地にもいっぱい咲いてる。てことは千葉県にオレンジ色のケシが広がってる?
だんだん疑問が大きくなってきたので、近所で見かけた人はご一報ください。
http://home.att.ne.jp/orange/rie/page3.8.htm
──────────――――――――――――――――――――
〓これも個人のブログです。
〓これは貴重な記録ですよ。2000年の5月には、すでに千葉県で、大規模に繁殖していたことがわかります。
〓この花について、決定的な記事を見つけました。花好きなヒトのブログで、まさに、この花の正体を、詳しく説明してくれています。
──────────――――――――――――――――――――
■ 2005年2月5日 付け
ナガミヒナゲシ
ナガミヒナゲシは、もともとはヨーロッパ原産の越年草ですが、アメリカやアジアに帰化しているといいます。日本での最初の発見は1961年のことで、東京で見つかったのだそうです。……(中略)
…… 花の直径は3cm~6cm。4枚の花弁は微妙なオレンジ色のようなサーモンピンクのような色です。結構華やかな花なので、園芸的に栽培されることもあります。また、かなり小さな個体でも花をつけることができるため、生育環境によって大小さまざまな個体が見られます。なかなか生命力がありそうですね。……(中略)
果実は2cm~3cmの楕円形。アイスランドポピーなどの果実はずんぐりした感じですが、それと比べるとナガミヒナゲシの果実は細長い形です。その果実の形から、「ナガミヒナゲシ」という名前がついています。……(後略)
──────────――――――――――――――――――――
〓へええ、最初の発見は 1961年 (昭和36年) ですって! 45年も前ですよ。それが、なぜ、2000年くらいから急に繁殖地を広げたんでしょう。気温の上昇と関係あるんでしょうか。
【 ナガミヒナゲシ 】
〓ということで、「謎の花の正体」 は、どうやら、これであるらしい。
【 ナガミヒナゲシ 】 (長実雛罌粟/長実雛芥子)
学名 = Papaver dubium
[ パ ' パーウェル ' ドゥビウム ]
→ 「疑わしいケシ」
〓学名はリンネの命名になるものです。 dubius 「ドゥビウス」 というラテン語の形容詞は、英語の dubious [ ' ドゥービアス ] の語源になった単語で、 doubtful [ ' ダウトフる ] とも同源と考えてよろしい。「疑わしい」 という意味です。おそらく、リンネの言わんとしたのは、
「ケシもどきの花」
ということだったんでしょう。もっとも、「ナガミヒナゲシ」 とて、“ケシ科ケシ属” の種 (シュ) には違いないんですが。
〓近縁の種を整理しておきましょうか。
〓アヘンの原料として有名なのは、「ケシ」 です。和名が 「ケシ」 なんですね。
【 ケシ 】 (罌粟、芥子)
学名 = Papaver somniferum
[ パ ' パーウェル ソム ' ニフェルム]
→ 「催眠 (麻痺) 性のあるケシ」
〓また、お花屋さんで 「ポピー」 という名で売っているのは、和名でいう 「ヒナゲシ」 です。「虞美人草」 (ぐびじんそう) というのも 「ヒナゲシ/ポピー」 のことですね。
【 ヒナゲシ 】 (雛罌粟、雛芥子)
学名 = Papaver rhoeas
[ パ ' パーウェル ' ロイアース ]
→ 「ザクロの (花と同色の) ケシ」
〓これもリンネによる命名です。種小名の rhoeas がどういう単語なのかは、学者あたりでも、チョットやソットじゃ解読できないと思います。これは、
ῥοιά roiā [ ロイア ' ア ] ザクロの木、ザクロの実
というギリシャ語の単語の 「属格形」 (英語の所有格。 ~ʼs 形) なんです。
ῥοιᾶς roiās [ ロイ ' アース ] ザクロの
〓「ヒナゲシ」 の花の色は、ザクロの花のように赤い、ということを言っているんだそうです。
〓「ケシ」 をラテン語で papaver 「パパーウェル」 というのは、チョットかわいらしい単語ですが、語源は不明です。古典ギリシャ語では、「ケシ」 は、
μήκων mēkōn [ メ ' エコーン ] ケシ
なので、 papaver は借用語ではなく、ラテン語独自の単語なんです。不思議なことに、現代ギリシャ語には 「メーコーン」 という単語が残っていないで、
παπαρούνα paparuna [ パパ ' ルーナ ] ケシ
という単語を使います。ラテン語の papaver に -ουνα -una を付けた単語です。
〓ギリシャ語では、「メーコーン」 が消えてしまったのに、周囲の言語には、このギリシャ語の単語が広汎に残っています。
mac [ ' マック ] ルーマニア語
mák [ ' マーク ] チェコ語、ハンガリー語
mak [ ' マク ] ポーランド語、スロヴァキア語
мак mak [ ' マーク ] ロシア語
〓これらは、ドーリス方言の μάκων mākōn [ マ ' アコーン ] の語形を受け継いでいるように見えます。
〓ところで、クダンの 「ナガミヒナゲシ」 は、
「地中海沿岸~中欧」 原産
だそうです。1961年に、東京の世田谷で、初めて帰化が確認され、
暖かい都市周辺を中心に
繁殖しているそうです。やっぱり、温暖化と関係がありそうですね。ウィキペディアによれば、
アルカリ性土壌を好むらしく、コンクリートによって
アルカリ化した路傍や植え込みなどに
大繁殖しているのがよく見られる
そうです。またまた、なるほど~です。コンクリ固めの都市環境も影響しているわけだ。
〓この花、実物を見ればわかりますが、ポピーなどに比べると、やたらに背丈が高く、しかも、伸びるのが速いですね。何もなかったところに、ふと気がつくと、ニュ~ッと生えている。
〓英名は、
long-headed poppy 「アタマの長いポピー」
です。和名の 「長実」 (ナガミ) と同じく、果実が長いことを言っているんでしょう。一名を、 field poppy 「フィールド・ポピー」。なるほど、“雑草ゲシ” という感じですね。 blindeyes 「ブラインドアイズ」 (1913年~) という歴史の古い名前もあるようですが、由来は不明です。
〓ひじょうに興味深いことに、ウィキペディアで 「ナガミヒナゲシ/Papaver dubium」 を立項しているのは、
「日本語版、ドイツ語版、リトアニア語版、
ポーランド語版、オランダ語版、スウェーデン語版」
だけです。英語版がありません。つまり、今、こうした国々で 「ナンか目立っている花」 ということなんでしょう。
〓原産地と言われる 「地中海沿岸~中欧」 で、「ナガミヒナゲシ」 をナンというのか、調べてみましょう。
ギリシャ語 μακρόκαρπη παπαρούνα
makrokarpi paparuna [ マク ' ローカルピ パパ ' ルーナ ] 「長い実のケシ」
イタリア語 papavero a clava [ パ ' パーヴェロ アック ' らーヴァ ]
棍棒 (こんぼう) のついたケシ。 ※「細長い実」 を棍棒に見立てたのだろう。
ブルガリア語 дългоплоден мак
dəlgoploden mak [ ダるゴプ ' ローデン ' マーク ] 「長い実のケシ」。
ルーマニア語 mac de câmp (cîmp)
[ ' マック デ ' クンプ ] 「野のケシ」 ※単に、 mac 「ケシ」 とも呼ぶ、とルーマニアのページにある。
クロアチア語 bijeli mak [ ビイェり マック ]
「白いケシ」 ※本来の 「ケシ」 に比べて、色が褪せていることを言うのか。
スロヴェニア語 mak dvomljivi [ マック ドヴォムリヴィ ]
「疑わしいケシ」 ※学名の直訳
フランス語 pavot douteux [ パヴォ ドゥ ' トゥ ] 「疑わしいケシ」
coquelicot douteux [ コクりコ ドゥ ' トゥ ] 「疑わしいヒナゲシ」
スペイン語 amapola oblonga [ アマ ' ポーら オブ ' ロンガ ] 「長円のケシ」
スロヴァキア語 mak pochybný [ ' マク ' ポヒブニー ] 「疑わしいケシ」
チェコ語 mák pochybný [ ' マーク ' ポヒブニー ] 「疑わしいケシ」
ポーランド語 mak wątpliwy [ ' マク ヴォんトプ ' りヴィ ] 「疑わしいケシ」
ハンガリー語 bujdosó mák [ ' ブイドショー ' マーク ] 「帰化したケシ」
ドイツ語 Saatmohn, Saat-Mohn [ ' ザートモーン ] 「種のケシ」
オランダ語 bleke klaproos [ ブ ' れーケ ク ' らップロース ] 「色の褪せたケシ」
ロシア語 мак сомнительный
mak somnitjel'nyj [ ' マーク サム ' ニーチェリヌィ ] 「疑わしいケシ」
リトアニア語 dirvinė aguona 「野のケシ」
〓これらの言語における呼び名は、ほとんど、専門家しか使わないようで、通常は、 mak とか pavot とか、形容詞抜きで呼んでいるようです。
〓面白いのは、上の呼称の中で、ネットでもよく使われているのは、
オランダ語、ドイツ語、ポーランド語、ロシア語
の呼び名のみです。ウィキペディアに 「ナガミヒナゲシ」 が立項されている言語とほぼ重なり、両者に相関関係が見えます。つまり、
現在、ナガミヒナゲシは、
「オランダ、ドイツ、スウェーデン、ポーランド、リトアニア、ロシア、日本」
を結んだラインで増殖中なのかもしれない
ですね。とはいえ、日本以外の言語で言及が多いと言っても、ドイツ語で 1000の単位であり、日本語の場合の
ナガミヒナゲシ 24,600件
という数字は 「ベラボー」 です。
〓“Google 韓国” では、 Papaver dubium という学名じたいがネットに 55件しか現れず、しかも、訳名も定まっていないようすがうかがえます。“Yahoo! 中国” に至っては、信じられないことですが、 Papaver dubium が6件しかヒットしません。これは “Google 台湾” でも同じことで、2件のみです。つまり、中国語圏では、まったく注目されていない植物ということです。
〓フィリピン 1件、タイ 2件、ベトナム 0件、イスラエル 0件、トルコ 68件。
〓日本は、どうしたことなんでしょう?
【 「ポピー」 の語源 】
〓最後に、ラテン語の papaver [ パ ' パーウェル ] と、英語の poppy [ ' ポピィ ] の関係についてです。
〓「ケシ」 は、現代イタリア語では papavero [ パ ' パーヴェロ ] となっていて、
papaver [ パ ' パーウェル ] 古典ラテン語
↓
*papaverum [ パ ' パーヴェルム ] 俗ラテン語 (東ロマニア)
↓
papavero [ パ ' パーヴェロ ] 現代イタリア語
という変化を示していますが、西ロマンス語圏 (西ロマニア) では、これとは違った変化をしたようです。
papaver [ パ ' パーウェル ] 古典ラテン語
↓
↓ ※語根が裸形で出ている -er を嫌い、規則的な中性語尾 -um を付してしまう
↓
*papavum [ パ ' パーウム ] 俗ラテン語 (西ロマニア)
↓
*papavo [ パ ' パーウォ ] 俗ラテン語
↓
↓ ※ ガリア人は [ w ] が発音できず [ g ] にしてしまう
↓
*papago [ パ ' パーゴ ] ガリアの俗ラテン語
↓
popæġ [ ポペぐ ] 古期英語
↓ ※ ġ は、摩擦音の g
↓
popiġ [ ポピぐ ] 後期古期英語
↓
poppy [ ' ポピィ ] 現代英語
〓これは、フランス語から入ったのではなく、西ゲルマン語に属するサクソン人が、ブリテン島に渡るときに携えていった、ガリア人から学んだ単語です。つまり、ノルマン・コンクエスト以前から、ブリテン島には 「ケシ」 が存在したことになります。
〓フランス語では、ガリア風に訛った *papago ではなく、それ以前のラテン語形 *papavo から、
pavo [ パ ' ヴォ ] 古フランス語
となりました。現代フランス語では、勘違いから “あってもなくても発音に関係ない” -t が付けられ、
pavot [ パ ' ヴォ ] 現代フランス語
となっています。