planet of aru

夕食を食べる為に宿の近くにあるバラックのような食堂に入り、フライドエッグライスとペプシを注文した。今日初めて食べるまともな食事だ。フライドライスはパサパサし過ぎて、味もあまりなく、大して美味しくはなかった。
食事も終わりタバコを吸っていると、支払いを済ませたばかりの日本人男性に声をかけられた。そしてその彼の横には知り合いなのか、インド人男性が立っていた。そしてその日本人男性としばらくインド話しなどをしていたら、さっきまでじっと黙って私達の話しを大人しく聞いていたインド人男性が突然私に日本語で文句を言ってきた。彼の言い分はこうだ。

「あなたは同じ日本人のこの人に椅子に座ったらとか言えないの?」と、酔っぱらいながらもとても流暢な日本語で私を非難した。相当お酒を飲んだらしいその人からはお酒の匂いがぷんぷんした。
いきなりそう言われ「はぁ?」と気の抜けたような声で言うと、またインド人男性は
「ほんと、失礼じゃない?さっきからこの人を立たせたまま話しをするなんて、バカじゃないの?」と私に言ってきた。そう言う彼の目の焦点は合ってなかった。でもちゃんとした日本語を喋ったのだから驚きだ。

全く、ボダガヤに着いて初日にしかも初対面の酔っぱらいのインド人にバカ呼ばわりされるとは・・・。おまけに私に話しかけてきた日本人はオロオロするばかりだ。

そこで私は「座りたければ座るンじゃないの?子供じゃあるまいし。一体何なんですか?」と食堂中に響き渡るぐらい大きな声で言った。その時その食堂には数名の客がいて私とインド人の口論を遠めに眺めていた。誰もこの酔っぱらいを止める者はいない。

そう言い放ってしまった私は、酔っぱらい相手に真剣に文句を言ってしまった自分が何だか馬鹿らしく思えてきた。そう言われたインド人は一瞬黙ったけれどもまた私に文句を言い始めた。
やれやれだ。もう、急にしらけた気分になった私はオロオロする日本人男性に
「あなたの知り合いなんでしょう?どうにかしたら?」と冷たく言い放った。
そこでようやくその日本人男性は酔っぱらいのインド人男性の腕をひっぱり、外のベンチへと連れ出してくれた。そして私に「ごめんなさい、この人酔ってるんだ、本当にごめんなさい」と何度も言った。

あぁ、そう言う前にもっと早くその酔っぱらいのインド人の口を塞いで欲しかったな、全く。

このたった数分の間にぐったりと疲れてしまった私は食事代を払い宿へと戻った。食堂を出る時もまだ酔っぱらいのインド人は何かぶつぶつ文句を言っていた。
最悪な一日の終わり方だな、と思った。部屋に戻りイライラした気分でしばらくの間本をペラペラとめくっていたら誰かが私の部屋のドアをノックする音が聞こえた。

まさかさっきのインド人?食堂から宿はとても近いし。と一瞬思った。

ドアの前に行き「誰?」と言うと「ジャンペルだよ」とドアの向こうから返事が聞こえた。ジャンペルとは今日宿の受け付けをしてくれたチベット人僧侶だ。彼だと判り安心してドアを開けるとジャンペルは「向こう側の部屋がさっき空いたんだ。ここは夜になると本館の方と行き来が出来なくなるし、君の他にこの建物には泊まり客がいないから、向こうに移ったほうが良いと思って。向こうには日本人が沢山いるよ」と言った。

そう言われると向こうに移った方が良い気がしたので、さっそくそこへ移ることに決めた。荷物をカバンに詰めこんでいる間、ジャンペルはドアの外の方に立って私を待っていてくれた。そして「忘れ物はない?じゃ行こうか」と言って、私の二つある荷物のうち一つを持ってくれて新しい部屋まで運んでくれた。
新しい部屋は本館の2階にあった。その私の部屋の両隣りは日本人が泊まっているらしい。彼は私を部屋へ通すとすぐ、シャワーとトイレの場所と電気とファンのスイッチの説明をして「じゃ、何かあったらいつでも言ってね」と言い、自分の部屋へと帰って行った。

この部屋はもっとも安い120円の部屋で、その代わりトイレは共同だ。それでもさっきの部屋よりやはり安心出来る場所にある。ここに移動出来て良かったと思った。
しかも、今夜はあの泥酔したインド人と口論した後でもあるし、突然のジャンペルのちょっとした親切はとても嬉しかった。最悪なはずの一日の終わりは、まずまずの一日の終わりに変わった。

これで何とかぐっすりと眠ることが出来そうだ、とその時は思っていた。

しかし、その日の晩はうだるように暑い熱帯夜で、おまけにまたお腹が痛くなり、身体もだるくてなかなか寝つけなかった。やはりまだお腹の調子が悪いようだ。

翌朝起きるとまだお腹は痛かった。汗もびっしょりかいていてノドも半端じゃなく乾いていた。そこで身体をすっきりさせようとベランダにあるシャワールームで水浴びをし、ついでに洗濯もした。しかし、シャワールームと言ってもベランダの左側にある薄い板で囲んだ狭いスペースの中の壁に蛇口が付いていて、その蛇口から出る水を備え付けの小さな洗面器で受け、その水を身体にかけるといった感じのものなのだ。これはシャワーとは言わないだろう。
でも、ジャンペルはこれをシャワーと言った。

シャワーを浴びてもだるさが取れないし、未だお腹の調子が悪い私は部屋のドアを開けドアの入り口に座って髪を乾かしていた。すると横の部屋から日本人男性が出て来て私の顔を見て「あっ!!」というちょっと驚いたような声を出した。なんと彼は昨日食堂で私に声をかけてきたあの彼だったのだ。一瞬、夕べのことが頭をもたげた。
そして彼は「昨日はごめんなさい、アイツ酒を飲み過ぎちゃって・・・・」とまた私に言いった。「もう、いいですよ」と私が言うと「ここの部屋にいるんだねぇ?」と少し不思議そうに呟いた。
私は適当にこの部屋に移ってきた訳を彼に説明し、昨日のことは忘れましょうといった感じでまたインドの話しにもっていった。そう、今回も彼は立ったまま、私は座ったまま話しをした。ただ彼の横には酔っぱらいのインド人がいないというだけだ。
彼はSさんという。そのSさんに「インドの洗礼を受けちゃいましたよ」と言うと、「あっ、お腹の薬持っているよ。インドで買った薬だからよく効くよ。今持ってくるね」と言い自分の部屋に戻り薬を取ってきて私にくれた。Sさんに「ホントに貰って大丈夫なんですか?」と聞くと「まだあるから大丈夫だよ」と言ってくれた。彼にちゃんとお礼を言い、また部屋に入った。
ここの部屋は長方形になっていて、部屋の両側にベッドが一つづつあり、対面にあるベランダと入り口には大きな両開きの扉が付いている。殆どの人は日中両方の扉を開け風通しを良くして、部屋の中で休むのだ。でもやはり扉を開けていても風がない時はサウナに入っているかのごとく暑い。そこで仕方なくまた屋台へ出かけ日陰でジュースなどを飲んだりして暑さをしのぐことになるのだった。

ここでは朝の7時ぐらいまでが一番過ごしやすい時間帯だ。それ以上になると気が遠くなりそうなぐらい強烈な日差しが照りつけてくる。その殺人的に暑い時間帯にはさすがの地元インド人も殆ど外を歩いていない。酷暑期とはよく言ったものだ。

そんな訳で朝の一番過ごしやすい時期を屋台でジュースを飲んで涼み、クラッカーと水を買って部屋に戻った。それから悪い事にお昼を過ぎた頃から体調が益々悪くなってきた。頭痛はするし、身体中が痛い。熱もあるような気がしたので体温計を出し熱を測るとなんと38度あった。まさか、壊れたかな?と思って測りなおしてみてもやはり熱は38度だ。

ためしに途中部屋の前を通ったSさんに「この体温計おかしくないかな?悪いけどSさんの熱測ってみて」と言い、測って貰ったらSさんは平熱で異常なしだった。もう熱と腹痛のダブルパンチで身体はヘトヘトだ。
Sさんは私の体調が悪化したことを心配してくれたが、もうこれはひたすら休むしかないので「大丈夫、寝とけば治るでしょう」と自分に言い聞かせるようにSさんにそう言った。

この日はずっと部屋にいた。途中私が具合が悪い事を聞いたジャンペルがチベットの風邪薬を持ってきてくれた。そして彼は以前ここに泊まった日本人が病気をした時、ドクターを呼んであげて診察させ、その後その日本人を自分が看病したんだよ、と言い、「明日も熱があるようだったらドクターを呼ぼう」と言った。
そう言われちょっと不安になった。明日もまた熱があったらどうしよう。今より酷くなったら旅が続けられないんじゃないだろうか?入院なんてなったらどうなるんだろうと思った。
私は以前腸炎で入院したことがあるのでその時の事が頭をさっとよぎった。あの時もお腹を壊して高熱が出たのだ。(日本で)
そんな時、ジャンペルのささやかな親切はとても嬉しかった。彼は「水を沢山飲んで、薬もちゃんと飲んでゆっくり休んでね、明日また様子を見に来るから」と言い部屋を出ていった。

私は勿論日本から風邪薬やお腹の薬を持ってきてあったが、ここはやはりインドやチベットの薬を飲む事にした。

また長い、長いうだるように暑い夜がきた。さすがに夜は扉を閉めて寝ないと色んな虫が沢山入ってくるので、死ぬ程暑いけれど扉を閉めないといけない。おまけに今日口にした物は水とクラッカーとジュースとタバコだけだ。でもあまり食欲はない。おかげで体力は落ちるばかりだ。
ドアを閉め、また硬いベッドに横になって天井を見上げた。部屋の中はしんと静まりかえっている。口から出るのは重いため息ばかりだ。一人旅で、しかもインドの片田舎で病気をする事程、心細いことはない。
明日には体調が今よりも良くなっていますように、と願いつつ眠りについた。

つづく。


planet of aru


ガヤ。

朝4時過ぎに自然に目が覚めた時、まだ列車はガタガタと不快な音を立てて走っていた。何時間眠ったんだろう?と考えてみたがそれもよく判らなかった。ただ、今朝はどうも身体の具合が悪いということだけははっきりしていた。お腹が痛かった。どうやら何か食べ物にあたってしまったらしい。インドの洗礼というやつだ。夕べ食べたあの油っこい、胃にへばりつくようなチョウメンが悪かったのかもしれないな、と思った。
おかげで列車が駅に着くまで何度かトイレに行った。それに少し寒気がしたが、それはクーラーのせいかもしれなかった。

この時、車両で起きているのは私だけだった。トイレから戻ると空いているベッドに腰掛け曇りガラスに顔を近付けて外の景色を眺めた。
窓の外にはまだ薄暗いインドの田園風景が延々と広がっていた。それは少し霧がかっていてまるで夢でも見ているような光景だった。

その風景をぼんやりと眺めている間に列車はだんだんとスピードを落としていった。どうやらガヤの駅に着いたらしい。夜行列車に乗り9時間、ようやくガヤーに到着した。上の段の女の子にお別れを言いたかったが、彼女はぐっすりと眠っているみたいだったので、さよならを彼女に言うことなく列車を降りた。

列車を降りるとすぐ、人の流れに乗って駅の外に出た。そこで目にしたものはカルカッタの混沌とまたは違ったものだった。朝の冷たい空気の中、駅前の広場では沢山のインド人たちがしゃがみ込んで何かを待っていた。
そして、彼等の殆どは突然現れた外国人、つまり私をジッと見つめた。それはカルカッタの駅で感じた視線とはどこか違っていた。何か時間が止まってしまったような違和感を覚えた。
それは私一人だけどこか違う時代からタイムスリップしたような感じだった。でも、その感じはすぐに消えた。
そして私はブッダガヤへ行く為のバスを探すことにした。ガイドブックにはガヤの駅から少し離れた所にバス停があると書いてあったが、駅前の広場には既に何台かバスが止まっていた。
そのバスの運転手に「ブッダガヤーに行く?」と聞くと、行くというのでそのわりときれいなバスに乗せて貰った。
しかし、私の他に乗客は数名しかいなかった。その状況は私をちょっと不安にした。しかもしばらく経っても乗客が増えることはなかった。
そしてバスは数名の乗客だけを乗せて走り出した。私はやっぱり少し心臓がドキドキしていた。本当にブッダガヤに行ってくれるのだろうか?と思った。
しかし、バスはちゃんとブッダガヤに着いた。そして乗客と思っていた内の一人がバスの料金を私に請求してきた。彼はバスの車掌だったのだ。
彼は少し考えて「10ルピー」と私に言った。私も少し考えてみた。10ルピー(30円ぐらい)は少し高いのではないだろうか?でも、つい支払ってしまった。

そしてバスを降りた。新しい場所だ。降りた場所の目の前には屋台があって、そこのベンチに日本人の男の子が座っていた。私はその屋台でしょうがの入ったチャイを注文し、そのベンチに座っている男の子に「ドミトリーがある宿とか知っていますか?」と聞いた。彼は「ここにドミトリーがある宿はないんじゃない?でも、あそこは1泊40ルピーだよ」と言い、目の前にあるチベット寺院を指差した。その1泊120円という安さにはちょっと驚いた。

私はチャイを飲み終わると彼にお礼を言い、その宿へと向かった。屋台の目の前にあるその宿は見ての通りチベット寺院で、その中の一部の建物を宿として使用しているのだった。
当然、敷地内にはチベットの朱色の袈裟を着たお坊さんが沢山いた。取りあえず最初に会ったお坊さんに部屋を探している事を告げると、宿の予約係りをしている人を呼んで来て私に紹介してくれた。
宿の管理をしているのはまだ二十代なかばの若い僧侶だった。
彼は私を小さな事務所のような部屋に案内した。そして部屋に入るとすぐ、私に椅子を差し出し座るよう促した。そして大きなノートをひらいて、「ここにパスポート番号と名前を書いてね」と言った。
そして私がそれを書いている時に、「どこから来たの?」と聞いてきた。私は「ん?日本から、あっ、今?カルカッタから列車で、そしてバスに乗り換えてここに来たんだよ、ここの目の前にバスが止まって、そして屋台にいた日本人の男の子にここを教えて貰った」と言った。

すると僧侶は「えっ?ここの前にバスが止まったの?おかしいな、バス停はもっと先にあるんだよ」と言った。どうやら私が乗ったバスは団体客用のバスのようだった。おまけにやはり料金も少しふっかけられていた。でもバスはチベット寺院の前に止まった。
チベット人の僧侶は私がインド人にボラれたことを知ると、とても残念そうな顔をしたが、私としてはあのバスに乗ったおかげでこの安い宿がすぐ見つかったので、その事についてはあまり気にもならなかった。

そして宿帳に全て書き終えるとさっそく部屋へと案内された。あいにくさっき屋台で知り合った男の子が言った安い部屋は満室だったので、寺院の別棟にある少しだけ高い部屋に私はとおされた。そこは1泊160円の十分安い部屋だった。それにシャワーとトイレも付いていたので、私はすぐにそこを気に入った。その棟は本館と塀を隔てて立っていた。

勿論、部屋は汚くてベッドカバーも薄汚れていたけれど、持っていたインド綿のショールをベッドに敷くことによってそれは少しまともに見えた。
とにかく新しい部屋が決まってほっとした。時刻はまだ午前7時だ。取りあえずシャワーを浴びて、周辺を散歩してみることにしよう。お腹はさっきよりは痛くなくなっていた。
シャワーを浴びようとバスルームに入ると、やはりここのバスルームもちょっとびっくりするぐらい汚いものだったが、この値段では仕方がないな、と思った。

シャワーを浴び、外へ出ると私の足元を砂漠にでもいそうなトカゲがささっと横切っていった。おまけに目の前にある荒れた土地には野生なのか誰かに飼われているのか知らないが、イノシシの親子がのそのそと歩いていた。

ここはサダルストリートとは何もかも違っていて、ただインドのどこにでもあるような田舎だった。映画館も大きなマーケットもない、オフシーズンの今は観光客の数もかなり少ない所なのだ。
それに観光名所はお寺ばかりだった。タイ寺、ミャンマー寺、ブータン寺、日本寺などがあるぐらいだ。そこで私は朝の散歩にともう一つあるチベット寺へと行ってみることにした。
まだ8時前だというのに気温はグングン上がり、洗ったばかりの私の髪はみるみる水分を奪われていった。気温は高いが湿気はなく、木陰に入ると風は心地良かった。しかし、大体が影のない場所を歩いて行かなければならず、やはり日差しは恐ろしい程強くて、私は何度もペットボトルの生ぬるい水を飲まなければ歩けなかった。

ようやく着いたお寺では、そこの住職とたわいもない会話をした。そしてやはりまだ体調が良くなかったので、また宿へと戻ることにした。宿へ戻る時も何度も水を飲み、時々ペットボトルの水を腕にかけたりしてうつむき加減で道を歩いた。
最初は。真直ぐ宿へと戻ろうと思っのだが急に冷たいジュースが飲みたくなったので屋台でリムカを飲みタバコを吸った。屋台でぼーっとしているのにも飽きると、結局部屋に戻ってしばらく眠ることにした。

浅い眠りから覚めると時刻はもう5時を過ぎていた。部屋の中は相変わらず重苦しい空気で満ちていた。このまま夜になってしまうのも、何だか勿体無かったので、近くにあるマハボディー寺院へ行ってみることにした。
日はだいぶ傾いてきてはいるが、まだまだ日差しは強く歩く度に熱い息を吐いた。マハボディー寺院の中へは裸足でしか入ることが出来ないので、サンダルを脱ぎ焼けるように熱い石の上をなるべくすばやく歩かないといけなかった。当然、観光客もまばらだった。
マハボディー寺院を出た後は近くの屋台へと向かった。初めて入ったそこの屋台では、インド人の男の子からヒンディー語を教えて貰ったりして時間を潰した。彼はここの屋台でお手伝いをしているまだ12歳ぐらいの子供だ。学校には行っていないらしい。日本だったら義務教育の年令だ。でも、ここは貧富の差の激しい、未だにカースト制度が残っているインドなのだ。

色んな生き方がある、と頭の中で呟いた。日は益々斜に傾いている。もうすぐ夜がやってくる。もう時刻は6時だ。夕げの匂い漂ってきていた。そう言えば私は今日まだ水分とタバコしか取っていない。
そう思うと少しお腹がすいてきた。さぁ、そろそろ場所を変え夕食でも食べに行こうか。