バラナシ往きの列車は沢山の人間を詰め込むだけ詰め込むと、ゆっくりとそれでも確実にスピードをあげ次の目的地へと走り進んだ。
私の座っている席の周りにはインド人ばかりで他の旅行者の姿を見る事は出来なかった。そんな訳で周りにいるインド人達は退屈しのぎに私と私の持ち物をチラチラと見たり、じっくりと飽きるまで見続けたりして時間を潰していた。もう見せ物状態だ。
でも、私はもうそんな露骨な視線には馴れてしまっていた。
私はただ、開け放たれた窓の外から入ってくる激しく熱い熱風と定員以上が座る座席の窮屈さに耐えればいいだけだった。後4時間後にはこの窮屈な世界から解放されるんだ。
そんな中私はカバンから日記帳を出し今日これまであった出来事を書き記した。それはまるでだいぶ昔のことを書いているような気がした。
ついさっきまでブッダガヤに居たというのに、その記憶は窓の外の流れる景色のようにグングンと遠ざかって行き断片的な記憶になった。
あの止まらない客も乗せない奇妙なバスに乗ったおかげで、チベット寺院の宿に泊まることが出来てそこで彼等と出会ったのだ。あのバスに乗らなかったら彼等と出会っていないのだ。それは当たり前過ぎる程の日常の繰り返しなのかもしれない。日本にいたってそれは変わらないだろう。いつも誰かとすれ違い、誰かと出会い、別れるのだ。
そんな具合にしばらく一人もの想いに耽っていると、向かいに座っているインド人女性に声をかけられた。ここでまた旅人へのありきたりな質問攻撃をしばし受けることになった。私はそれらの質問を簡単に答えると今度は私が彼女にいくつか質問した。彼女は私よりも3つも若く、そして結婚していた。その彼女はひざに子供を乗せ、隣には彼女の旦那さんが私達の会話を真剣な顔で聞き入っていた。
私は会話のネタにと日本で買ったヒンディー語会話集の本を彼女に見せてみた。すると彼女は「あなたはヒンディー語が喋れるの?」と少し驚いたように私に尋ねた。しかし私が喋れるのは「バフットガラム(とっても暑いね)」とか「メーラ ナーム ◯◯ ヘェ(私の名前は~です)」とかいういくつかの簡単な言葉だけだ。
それでも彼女は私のへたくそなヒンディー語の発音を笑顔でほめてくれた。私はそう言われ少し照れくさかったけれど、やはり少し嬉しかった。へたくそでもなんとか言葉が通じたのだから。
幾分気持ちが和んだ私は彼女にブッダガヤでの出来事を簡単な英語で話した。(実際彼女の方が英語をよく話せるので、私は途中つまずきながらなんとか話しをしたといった感じなのだが)
私はチベット寺院に泊まり、病気をし、助けられたことなどをかいつまんで説明した。すると彼女は「もう体調は大丈夫なの?」と心配そうに私に尋ねた。
私はもう熱もないし、お腹もだいぶ良くなったけれど今日はまだ水とクラッカーとフルーツジュースしか飲んでいないと彼女に告げた。(やはりこの混乱きわまりない列車で途中席を外れトイレへ行くというのは、精神的にあまり良くないだろうと判断したため、食事の制限をしたのだ。)
彼女は私の話しを聞くと真剣な顔で何度か頷き、次ぎに止まったどこかの駅で、窓の外からフルーツやらお菓子、野菜などを売りにくる物売りからクネクネと不規則にねじれた細い胡瓜を10束ぐらい買い、その半分を私に手渡した。
私は少しあっけにとられながらも、その奇妙にねじまがった胡瓜を手に取りしばらく呆然とそれを眺めていた。
彼女は私に「ちゃんと食べないと身体に悪いわ。胡瓜は水分があるし、暑い時に食べると身体に良いのよ」と白くきれいに整った歯を見せて笑い、その胡瓜に塩をつけてかじり「あなたも今食べなさい」と私に言った。そして私に「これを付けて」と塩を差し出した。
私はその胡瓜をすぐかじることに一瞬ためらったが、彼女のその親切がとても嬉しかったので、「ありがとう」と言い素直に差し出された塩に胡瓜をつけ一口かじってみた。
その胡瓜の味は少し苦く青臭い味がしたけれど、想像していたよりは悪くない味だった。
彼女は私が胡瓜をかじるのを見て嬉しそうだった。
私はその彼女に何かお礼がしたくてカバンの中からまだ開けていないクッキーの包みを彼女に差し出し「子供にあげて」と言った。
しかし彼女は「お菓子ならまだあるから」と言って受け取ってくれない。それでも私は受け取って欲しくて何度か「胡瓜のお礼に」とかなんとか言ってみたのだが、結局彼女はイエスと言わなかった。
私は困ったな、と思った。
まだ出会って1時間も経っていないインド人女性が、私の体調を案じ自分のお金で胡瓜を買って、私に手渡してくれたのだ。
しかもその彼女にお礼にとクッキーを差し出すとにべもなく断わられてしまった。
「気を悪くしたのだろうか?」と不安になった。親切にして貰ってそれを仇で返したような、モヤモヤとした奇妙な感情が私の心に起こった。
しかし、私のそんな想いも取り越し苦労で終わった。彼女はバラナシに着く間ずっと私と楽しそうに話しをしてくれたのだ。
彼女のおかげでただただ窮屈で、どこか混乱し、蒸し暑いはずの列車での移動は穏やかで和やかな時間へと変わった。
いつも一瞬一瞬が予想を越えて変化し、振り返ってみると「まぁ悪くはないな」という感想になっていく。
それでもそんな穏やかな時間もあっという間に過ぎ去り、私はまた一人で夜の混沌とした街へと入っていかないといけない。当然それは自分で決めた旅なのだけれど。
そして列車は夜の8時過ぎにバラナシへと到着した。胡瓜をくれた彼女ともここでお別れだ。彼女とその家族にお礼を言い、人込みをかき分け列車を降りた。
ホームに降りまた人の流れにそって歩くと、目の前を歩いていた人々が人一人分通れるような穴の開いた金網をくぐり抜けている姿を目にした。私はその光景を不思議に思い、その金網の前に行きぽっかりと開いた穴を見つめていた。すると、インド人男性が日本語で「あなたは向こうから出るんだよ」と私に言った。
このぽっかりと開いた穴をくぐる人々はチケットを持っていない、つまり無賃乗車の人々の為の穴なのだそうだ。
それにしてもあまりにも多くの人々がこの穴をくぐり抜けていく様というのはどういうことなんだろう?
きちんと列車のチケットを買う人は旅行者だけなのだろうか?
勿論、列車の等級によって無賃乗車出来る車両と出来ない車両があることにはあるのだが・・・。
ぽっかりと開いた不可解な世界。
私がそれを理解した時、声をかけてきたインド人男性はさっそく自分の仕事にとりかかった。彼は客引きなのだ。オートリキシャーの運転手の彼はホテルの客引きでもあり、さっそく見つけたカモ、つまり私を自分とコネクションがあるホテルへと連れていこうと思って私に声をかけてきたのだった。
その客引きは「もう泊まるホテルは決まっているの?安くて良いホテルがあるよ!」と早口な日本語で私をまくしたてた。
最初彼の事を客引きとは思わなかった私は、早口で喋りまくる彼の日本語をちゃんと聞き取ることが出来ず、少しイライラした。
時間はもう遅いし、初めて来たこの土地でこれから宿を探さないといけないと焦っていたせいもあるだろう。彼が信用出来る人かどうかも私には判らない。ホントにちゃんとしたホテルへと連れていってくれるのだろうか?という不安もある。
その彼に「ガンジス河近くのホテルへ行きたいンだけど」と言うと、「この時間にガンジス河のホテルへと行くのは危険だ。私はここから近い良いホテルを知っている。そこへ案内するよ」と言った。
その言葉を聞き私は「地球の歩きかた、インド編。トラブル」のページを思い出した。大体にして、リキシャーというのは契約をしている、マージンを貰えるホテルにしか連れていかない。だからそれ以外の場所を言うと「あそこは危険だ」とか「もうあのホテルは潰れた」としか言わないのだそうだ。
しかし、そうと分かっていても私は彼の案内する駅から近くにあるホテルへと行くことに決めた。やはり今は疲れていて、お腹もすいているし、駅から近ければ近い程良いような気がしたからだ。
そのリキシャーの案内するホテルは駅から5分の所にあり、ロビーにはちゃんとしたフロントがあって、ちゃんと身なりの整ったインド人スタッフが私を出迎えてくれた。
そこは今迄泊まってきたどの宿よりも清潔できちんとしていて、どの宿よりも値段が高かった。まぁ、高いと言っても700円ぐらいなのだけれど。
そこのフロントの人に「エアコン付きの部屋がいい」と言うと自信たっぷりに「ノープロブレム」と微笑んだ。
インドに来て初めてエアコン付きの部屋に泊まる。ボーイに案内され入った部屋はなかなかきれいで、ホットシャワーもあるベッドがやたら大きい部屋だった。
とにかく疲れている私は部屋に入り設備の説明を聞くとすぐにエアコンのスイッチを入れた。そのエアコンの原理はあまりにも原始的で私を驚かせた。縦長の箱の下には水が入った容器があり、その上にはファンが付いている。ファンを回す事によって気化熱を発生し、冷たい風を送り出す仕組みなのだ。
でも、それはホントに一般的なクーラーの風となんら変わりはなかった。実に冷たい風が流れ出るのだ。
エアコンのチェックが済むと今度は夕飯を食べに1階にあるレストランへと向かった。今日はまだクラッカーとフルーツジュースと水ときゅうりしか口にしていない。
私の他には客が誰一人としていないレストランに入り、ベジタブルスープとコークを注文した。コークは冷えていて美味しかったけれど、スープの方はドロッとして油っぽくとても飲めた代物ではなかった。そんな訳で今夜の夕飯はタバコとコークという組み合わせになった。
食後の後はフロントでネパールへ往く飛行機の相談をしたのだが、ここバラナシからネパールへ往く便は慢性的に混んでいるらしく、これから予約をするにも結構な日にちを要するようだったので、フロントの人の勧めでバスに乗りネパールへと行く事に決めた。それから翌朝5時過ぎにこのホテルから出発するガンジス河ツアーも予約した。
バラナシからネパールへバスで行くツアーはかなりポピュラーなもので、そのツアー客の殆どは欧米人らしい。そして明日朝のガンジス河ツアーもこのホテルに泊まっている欧米人客と一緒に行くということが判った。
ツアーを予約した後は部屋に戻り熱いシャワーを浴びることにした。そこでシャワールームにある鏡で久しぶりに自分の顔をじっくりみた。
とても酷い顔だった。頬の肉はげっそりとそげおち、目はくぼみ、顔色もとても悪かった。
久しぶりに自分を映し出した鏡はあまりいいものではなかった。それまでいたブッダガヤの部屋には鏡などはなく、私が持っている鏡もとても小さいものだったので、ここ4日あまりきちんと自分の顔を見ることなど一度もなかったのだ。
それに、ここ4日で食べたまともな食事はフライドライスを一回食べ、おかゆを一回食べただけだった。後は乾き切ったクラッカーとたくさんの水、たくさんのジュース、それとさっき食べたきゅうりだけだ。それでも酷い空腹を感じることは殆どなかった。それはきっと病気をしたせいと、気温があまりにも高すぎて、色んな意味で思考能力が衰えていたせいかもしれない。
そんな自分の顔にいささかがっかりしながら、熱いシャワーを浴び、原始的なエアコンが効いている部屋の大きすぎるベッドに横になった。そして、明日のスケジュールを簡単に日記に書きこみため息をついた。
それはあまりにもハードなスケジュールだった。
翌朝5時30分に欧米人の観光客と共にガンジス河へ行き、ボートに乗り1時間観光した後は、別のリキシャーにて近くの博物館を一人で観光し、その1時間後にはバスに乗り丸一日かけてネパールへ向かうのだ。
だからここバラナシには12時間しか滞在しないことになる。ホントは2日ぐらいは滞在したかったのだけれど、日程がずれにずれ飛行機に乗ることも無理だと判り、バスで行く事になった今はこれ以上ここに滞在することは不可能なのだ。
そう思うと今夜はぐっすりと眠っておかないといけない。
原始的なエアコンのおかげで、今迄よりはずっと寝やすい夜になるだろう。なんて言ったって明日は5時前には起きていないといけないのだから。
しかし脳が正常な判断を下せない。こんな身体で24時間バスに乗るなんて正気なさたではないはずだ。また食事制限もしなくてはいけない。それでも、意識だけはネパールへ行こうと先進んでいる。身体はそれに仕方なくついていく、そんな感じだ。
私はどうしようもなく疲れていた。それでも早くネパールへ行ってのんびりとしたかった。
インドはあまりにも暑すぎたし、気温40度以上を体験したのも初めてだった。そのインドの酷暑期を通り抜け、明日はネパールへ向け出発する。バスで丸一日かかる長旅だ。
一体どんな旅になるのだろう?しかし何もかもが初めてな私は明日の事など想像出来るはずもなかった。
つづく。
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ジャンペルは私の返事を聞くと「じゃ、行こうか」と言い、お堂の横の外階段を上り始めた。だんだんと狭くなる階段を上りながら私は、高齢のダライラマがこんなにキツイ階段を上って部屋まで行くなんて、なんか不自然だな、と思っていた。私でも途中息切れがするというのに、と。時々ジャンペルは私の方を振り返り笑顔で「大丈夫?もう少しだからね」と励ますように言った。
そしてようやく最上階に辿り着いた。このゲルク派の寺院の最上階にダライラマの部屋がある。それは年に一度しか来ないダライラマの為の部屋だ。
頂上に辿り着くとすぐジャンペルは「これがダライラマ法王が泊まる部屋だよ」と自慢気に言った。
当然、主がいないその部屋はカギがかかっており、しんと静まりかえっていた。私達はカーテンが開けっ放しのガラス窓に顔をくっつけるようにして、部屋の中を覗き見た。
チベットの最高主導者ダライラマが時々滞在する部屋は西欧風のとても簡素で清潔な部屋だった。こんな空間が私が泊まっている1泊120円のさびれた部屋の最上階にあるなんて、誰が想像することが出来ようか?しかもそれはチベット風ではなく西欧風の造りの部屋だなんて。
その主がいない時でも度々念入りに掃除されるその部屋は壁も床もピカピカでとてもきれいだった。でもただそれだけだ。そこに主の姿はない。
しばらく二人でその簡素で清潔な西欧風の部屋を見ていた。私が一通り部屋を見終えると、ジャンペルは何か感想を言って欲しいような目をして私を見た。
しかし、私はこれと言って彼を喜ばすような感想など思い付かなかった。しかしただ一言「きれいな部屋だね」と少し感心するようにそう言うと、彼はとても満足そうな顔をして「そうでしょう?」と頷いた。ダライラマの部屋が自分の所属する寺院の最上階にあるということは、ここの僧侶にとっては最大の誇りであるのだろう。
そして彼は最上階から見渡せる寺院横の荒れ果てた広場を指差し
「あそこでダライラマ法王はスピーチをするんだ。それからあの道には毎日屋台や露店が出て夜遅くまで人々で賑わうンだよ」と何かを懐かしむように呟いた。
しかしジャンペルに今そう言われても、彼の指さす場所はカラカラに乾き荒れた不毛な土地で、道の両際には露店の形跡もなく、ただ強烈に暑い日差しが照りつけるばかりの何の変哲もないありきたりなインドの風景だったので、私には彼が言う人の賑わう屋台もダライラマがスピーチする神聖な状況のどちらも想像することは出来なかった。
私の目に映ったのは今目に見えている不毛な土地だけだ。
私とジャンペルはしばしその不毛な土地を眺め見た後、またあの狭い階段を降り、いつもの見慣れた世界へと戻っていった。
中庭に出ると彼は「じゃ、2時半にオートリリキシャーを呼べばいいんだね」と聞き「うん、お願いね」と私は言った。
私は今日の午後4時にはガヤの駅からバラナシへ出発する。そのガヤ駅までは今度はバスではなくオートリキシャーで行くのだ。オートリキシャーとは、インドのバイク型タクシーだ。それに乗りここブッダガヤーを離れる。
その出発の時間まではだいぶ余裕があった。しかしまた部屋に戻って時間を潰す気にもなれなかったので、もう一度マハボディー寺院へ行ってみることにした。
やはりまた観光客もまばらな寺院の熱い石の上を歩き、菩提樹の下へと向かった。その菩提樹の下には欧米人数名があぐらを組み瞑想しているところだった。私は彼等の足元を邪魔にならないように歩き、空いている場所を見つけ菩提樹の影でしばらく休むことにした。
その菩提樹の影に入ると急に気温がぐっと下がったような感じがした。それは空気が乾燥しているせいでもあり、心地よい風が吹いているせいでもあった。
今私はあのゴータマシッタルダが悟りを開いたとされる菩提樹の影で休んでいる。しかし、この樹は何度も植えかえられ場所を変えて現在の場所にあるらしい。ガイドブックにそう書かれてあった事を思い出しながら、「あの時、シッタルダは何をみたんだろう?」とふと思った。けれど、私のような凡人にそんなことが判るはずもないので、そんな空想はさっと消えていった。
さぁ、またあの屋台へ行きリムカでも飲んでこよう。ここにずっと座っているとあまりも風が心地良すぎて眠ってしまいそうだ。私は静かに立ち上がり服についた枝や葉っぱを払い落とし、いつもの屋台へと向かった。
結局、ここブッダガヤにいる間私は屋台とマハボディー寺院と宿を行き来しただけだ。宿から10分以上の所には足を運ぶ気になれなかった。勿論それは体調が優れなかったということと、日中の日差しがあまりにも強すぎたからなのだが。
屋台で時間を潰すことにも飽きた頃、宿へと戻った。そしてまた少しの間Yさんと廊下で話しをした。彼女は旅なれてはいたが、その旅に少し疲れているようだった。そんな彼女の表情を見ていたら、もしかしたら彼女はもう日本に帰りたいのでは?と思ったりした。しかし、彼女は一緒に旅を続けている人がいるせいか、なかなかそう決断出来ずにいるようだった。Yさんの旅のパートナーは香港人で敬虔な仏教徒だった。言葉も文化も違う人と旅をするというのは、時に孤独になるのだろうな、と私はふと思った。
そして彼女は私が夕方にはバラナシへと旅立ってしまうことをとても残念がってくれた。勿論それは私も同じ気持ちだった。
それでも、時間はゆっくりとしかし着実に流れて往き、とうとう出発の時間となった。
Yさんが部屋へと戻りしばらくするとジャンペルが部屋に来て「リキシャーが来たよ。忘れ物はない?」と聞いた。私は扉の前に立ち部屋の中をゆっくりと見渡した。部屋は相変わらず薄汚れてどこか寂しそうな雰囲気を漂わせていた。
何も忘れ物はないと私は日本語で呟いた。扉をしめ重いカギをガチャリとかけジャンペルにそのカギを返した。
彼はまた私の荷物を持ってくれて廊下を歩き出した。階段を降りる前に私はYさんにお別れを言わないといけない。
廊下でYさんに「じゃ、もう行きますね」と言うと彼女は
「うん、元気で、気を付けてね」と哀しそうな目でそう言った。
私はこういう時なんて言ったらいいのかぜんぜん判らなかった。何かを言おうとすると、ノドがカラカラに乾いて胸が締め付けられるような思いがした。上手く言葉が出て来ない。
そんな様子を見ていたジャンペルも何か哀しそうだった。
少しの間私達3人の間に重い沈黙が流れた。
そして「もう、行こう」とジャンペルが言い、いつもはカギがかかっている門へと近い階段の鉄格子のドアのカギを開け、私をドアの外へ出すとまたカギをかけた。私はまた振り返り鉄格子越しにYさんに「色々とありがとう、じゃ、さようなら」と言い手を振った。
彼女も「バイ、バイ」と両手を肩の方まで上げて手を振ってくれた。その時のYさんの表情は寂しそうで不安そうだった。でももしかしたら私がそういう顔をしていたのかもしれない。
階段をおりるとすぐ門の所に出た。門の前にはオートリキシャーが止まっていて私を待っていた。
ジャンペルは私の荷物をリキシャーに乗せ、リキシャーの運転手にヒンディー語で何か言っていた。きっと料金のことを注意したのだろう。
その値段の交渉は彼がもうしてくれていたので、彼は私に「その値段以上払ってはいけないよ。」と警告した。
そしてまたお別れを言わないといけない時がきた。私はこういう雰囲気がとても苦手だ。いつも適切な言葉が見つからない。
ジャンペルは「またおいで。今度はダライラマが来る時に来たほうがいい。きっと楽しいから」と言った。
私は「そうだね」と曖昧な返事をした。
また適切な言葉を見失った。
「さぁ、もう乗って時間だ。列車では持ち物にいつでも気をつけるんだよ。元気でね」と言い彼は右手をさし出した。
私も右手を出し彼と握手をし「ありがとう、また来るね」と言ってリキシャーに乗りこんだ。
そしてリキシャーはガタガタと揺れながらガヤの駅へと走り出した。
また一人になった。そう思うとまた心が沈んだ。
ここブッダガヤにはたった4日しかいなかったし、病気もし、インド人と口論もしたけれど、SさんやYさんやジャンペルと出会えたことで、ここでの記憶は楽しい事の方が多く心に刻まれた。
最後に「また来る」と言ってしまったけれど、それは「また来たい」の間違いだ。今はここに今度いつ来れるかなんて見当も付かない。でも、「また来る」と言いたかった。自分に言い聞かせるようにそう言ったのだ。
そんな複雑な気持ちで外の荒れ果てた景色を眺めていたら、今迄見た事もない大きな岩山が目に飛び込んできた。それはちょっと不思議な風景だった。初めてここを通りブッダガヤへ向かった時には、この岩山を私は見ていなかったのだ。
この巨大な岩山を見逃すなんてどう考えてもおかしいのだけれど、それは最初ここを通った時私は乗客が数名しかいない、しかもどのバス停でも止まらない、当然客も乗ってこない奇妙なバスに乗っていたせいで緊張しまわりの景色に目をやる余裕などなかったせいだろう。
だからこの大地にポツンと置かれたような巨大な岩山に気付かなかったのだ。その岩山の周りにはやしの樹が申し訳程度に生えているだけで、他には何もないちょっと不思議な風景だった。
それからしばらくしてリキシャーはガヤの駅に辿り着いた。ジャンペルが値段の交渉をしていてくれたおかげで、私は嫌な思いをすることなくリキシャーを降りる事が出来た。彼にはほんとにお世話になりっぱなしだった。とても感謝している。
とにかく駅に着いた。もう感傷にひたっている暇はない。今度の列車は普通席なので色々と大変なのだ。定員以上人が乗ってくる恐ろしい車両だ。下手したら私の席も誰かに取られているかもしれない。その場合またインド人と口論をしないといけない。そしてその席に辿り着くのにも気力も体力もフルに使わないといけないだろう。だから早めに駅につき、なるべくすばやく車両に乗り込まないといけないのだ。
しかし、インドの列車が時間どおり来るという保証はどこにもないので、また駅員や近くにいる人に自分のチケットをみせ、どこで待てばいいか、列車は時間通りに来るのかを聞かなければならなかった。
そして私が乗るべき列車は30分遅れでホームにやってきた。私はチケットを見せたインド人に言われたとおりの車両に乗り込み、中にいた乗客のインド人にチケットを見せ自分の席を教えて貰った。
しかし、3人しか座れないはずの私の席には予想通りそれ以上の人数で座ることになった。
やはり定員以上、無賃乗車と思われる客多数。しかし誰も文句を言わない。車掌も回ってこない。無法地帯だ。
ただカバンを寄せろとか、もっと詰めて!と言う人はいることにはいるのだが。
それから、足が痩せ細り立って歩くことの出来ない子供の乞食が、細い棒のような腕だけを使い這うようにして車両の床を動きまわりバクシーシをねだっている姿に驚かされた。その彼はさっき私が列車を待っていたホームにもいたのだ。
彼はどうやって列車に乗り込んだのだろう?と少し不思議に思った。
チベット寺院の最上階には簡素で清潔な西欧風のダライラマの部屋があり、この薄汚れていてどうしようもないぐらい混沌とした車両の床には足の機能を果たさない子供の乞食が床を這って喜捨を請いながら生きている。
天と地との差。不条理。不公平。カースト。
そんな光景に馴れてしまったインド人達と、それに馴れつつある私がぎゅうぎゅう詰めの席で黙ってそれを見つめている。
私は後4時間はこの狭く、どこか混乱したこの空間に身を置いていないといけない。そう思うとまた深く虚しいため息をつかずにはいられなかった。
あと、4時間このままで・・・。
つづく。
■翌日、目が覚めると昨日起きた時よりは体調が良くなっているような感じがした。それでもまた汗をびっしょりとかいていたので、軽くシャワーを浴びた。
熱はまだ37度5分ぐらいはあったが、昨日に比べれば頭痛も関節痛もだいぶ軽くなっていたので少し安心だ。
そして今朝は左側の部屋にいる日本人女性と初めて会話をした。彼女はYさんという。Yさんは去年の6月からインドとネパールを旅している旅馴れた人だ。そして私が具合が悪い事を知ると「調度今ホットティーを作ったばかりだから一緒にどう?」と言い、彼女の持っているステンレスのカップにティーを入れて持ってきてくれた。
ジャンペルが部屋を変えてくれたおかげで、またしても思いがけない親切を受けることになった。まして病気をしている私にとってそれらの親切は心の底から感謝せずにはいられないものばかりだ。
そんな旅馴れた彼女と喋ったおかげで少し元気になったような気がする。彼女の話すインド、ネパールの話しはどれも興味深く、これからネパールへ向かう私にとっては勉強になる話しばかりだった。
彼女と30分ばかり喋った後は、両替えをする為銀行へと向かった。またあの影までも焼き付くしてしまいそうな炎天下のもと、歩かなければならないのはとても辛かったけれど、こればかりは人に頼めないのでやや重い身体を引きずるようにして銀行へ行き両替えを済ました。
両替えの後はおかゆを食べ、水を買いまた宿へと戻った。とてもとても暑い午後だった。
部屋へと戻りしばらくすると、ジャンペルがやってきた。彼にもう熱は下がったのでドクターを呼ぶ必要はないということを伝えると、少し安心したようだった。
そしてSさんがまた部屋にやって来た。彼は今日の夕方にはここを離れる。その前にSさんは私に凍ったミネラルウォーターのボトルをお見舞いにと持って来てくれたのだった。
その凍ったミネラルのボトルを手にして「凄い!!こんなに冷たい水って久しぶりだよぉ~有難う~」と感動して言うと、「でしょう?これさっき屋台で見つけてさぁ、驚いたよ」と言った。
実にここの屋台で売っているミネラルウォーターのボトルはどれもぬるく、しかも暑い部屋に置いていると1時間後にはぬるま湯になってしまうのだった。だからこんなに完璧に凍ったボトルというのは奇跡に近い品物なのだ。
「いや、ホント貰っちゃっていいのかな?これでちょっと頭を冷やしてから飲むね」とついはしゃいでしまう程、そのプレゼントは嬉しかった。
凍ったミネラルウォーターのボトルでこんなに盛り上がれるのは、現在気温45度のブッダガヤならではだろう。そう気温45度。そう聞いただけでも気が遠くなりそうなその数字。
そんな素敵なプレゼントをくれたSさんとは1時間ぐらい私の部屋でタバコを吸いながら色んな話しをした。まさに「塞翁が馬」的出会いだった。
Sさんが次ぎの目的地へと旅立った後、今度はYさんが部屋にやってきた。
Yさんは「私は毎朝ここのお堂でやってる朝の読経を聴きにいっているんだけれども、とっても良い雰囲気なのよ。明日の朝もし良かったら一緒に行かない?」と私を誘った。
そう言えば、せっかくチベット寺院に泊まっているというのに、私はまだ一度もお堂を覗きに行ったことがなく、ジャンペルを含めここのチベット人僧侶が日中何をしているのかとか考えた事もなかった。
そんな訳で明日の朝はYさんと一緒に朝の読経へと行く約束をした。それに明日の午後には私もここを離れバラナシへと向かう予定だから、このチベット寺院とももう明日でお別れなのだ。お堂で行われる朝の読経へ行く事が出来るのも明日の朝だけだ。せっかく知り合えたYさんとも明日で別れないといけない。勿論親切にしてくれたジャンペルともだ。
そのジャンペルと今日もまた色んな話しをした。彼とはチベットの話しや、簡単なチベット語を少し教えて貰ったりして和やかな時間過ごした。長い一日だった。
この日は彼等以外にも二人の日本人と三人のインド人とたわいもない会話をした。
そしてまた暑い暑い長い夜がやってきた。寝苦しい夜。しかし今夜はセメントの床に水をまきファンを回して少し涼しくなった頃に何とか眠りに就く事が出来たのだが、何故か夜中3時に急に目がぱっちりと覚めてしまった。
こんなにしっかりと目覚めてしまってはなかなか眠れそうになかったので、半ば寝るのを諦めて廊下に出てタバコを1本吸った。外は空気が少しだけ冷たくて心地良く、虫の声だけが微かに聞こえてくるだけだった。灯りは廊下についているオレンジ色のささやかで優しい灯りと、空に瞬く星だけだ。そして中庭を見下ろすと蚊屋付きのパイプベッドで眠っている僧侶がいた。あのベッドでだったら朝までぐっすり眠れそうだと思い、少し羨ましかった。
この後は結局熟睡出来ぬまま朝になった。そして朝6時過ぎにYさんと共にお堂へと向かい僧侶の後ろの席に座り目を瞑り読経を聴いた。生まれて初めて生で聴くチベット密教の読経はお経というより、民族音楽といった感じで、ぜんぜん辛気くさくなくメロディアスで心地良いものだった。
それに僧侶が着ている袈裟の色合いもとても美しく、壁に飾ってある曼陀羅もグラフィックアートみたいでかっこよかった。私はとてもこの雰囲気を気に入った。
その穏やかな朝の読経が終わるとYさんは部屋へと戻って行き、私はジャンペルに他のお堂を案内して貰うことになった。彼はチベット密教徒がお祈りの時に行う五体投地をしてみせてくれて、いつもどういう日課をこなしているかも教えてくれた。
そして私に「ダライラマ法王を知っている?」と聞いた。
私はダライラマについては、チベット系の映画で少し取り上げられていたことと、インドのガイドブックに載っている範囲でしか知らない。インドのガイドブックにはダライラマはチベットの高僧で、今現在インドに亡命中と書かれてあった。
私が知っているのはそれぐらいだ。そうジャンペルに告げると
「毎年、ダライラマ法王はここブッダガヤに来て、この寺院のそばにある広場でセレモニーをするんだよ。そして法王はその期間ここの寺院の最上階にある部屋に泊まるんだ。」と誇らし気に言い、
「そのダライラマ法王が泊まる部屋を見てみたい?」と首をわずかに横にかしげながら私に聞いた。
「見てみたい」と私はすぐにそう答えた。
つづく。
