かなりの頻度で奴らの家に行く
最近は子供らと出かけることも少なめなので、日曜夜が暇だから
すぐ某友人達(男2人)の同棲・・・もといシェアハウスへ行ってしまう。
ゲームしたり、映画見たり、だべったり。
自分と近しい思考プロセスを持つ男達との討論は面白い。
まあ近しいと言っても、3人ともかなり遠い感覚の持ち主なんだけど。
誰にでも生きてきた全ての経験を踏まえて、
芯となる価値観とか思考回路が出来上がると思うんだけど、
根っこは全く別なスタートなのに、現在の価値観が似通っていたり、
根っこは似てるのに現在は正反対だったり、
価値観が似通っていても生き方は全然違ったり。
最近の同年代の人たちって、
「昨日TV観た」「昨日どこへ行った」っていうだけの内容を
毎日話してるだけだったりするから、
そういう人たちと話していてもおもしろくないんだよね。
TVの内容が変わっても、「TVを観た」だけじゃ
結局本質は全て同じなんだよね。
だからおもしろくない。
もちろん仲良くならなかったら深い話はしないだろうし、
場の空気とか色々あるとは思うけど、
同じ感覚で喋れる人っていうのはすぐにわかるし、
すぐに意気投合できると思う。
なんだかんだこの友人達とはよく討論というか、「思考遊び」をする。
まあ若い人達は「語る」とか言うんだろうけど、
たぶんその表現は俺らには何か違うと思われ。なんとなく。
まず3人の誰も、話を聞いてほしいわけでも話を聞きたいわけでもない。
悩みを話すとかアドバイスとかそういうものではない。
3人とも自分の行き方はとっくに決めていて、
誰かに何か言われたからといって簡単に変わるほどヤワではない。
そして生き方を決めているからこそ悩みもないし迷いもない。
俺は仕事の愚痴をおもしろおかしく話したけれども(笑)
互いにそれがわかっているから遠慮がない。
何を言われても構わないし自分も言う。
そして互いに互いをそれぞれの主観で分析して批判も賛同もする。
そうすると自分の考えてることが言葉になったりするのだ。
別に新しい発見じゃない。単なる再確認。
ただ自分が感覚で実行してる事実が言葉になるだけ。
それが非常におもしろい。
今日俺が言葉にした自分・・・
それは自分の生きる根源的な目的。
「俺は究極のナルシストで、
生きている限り自分をただ可能な限り高めるためにのみ生きる」
昔はレースで限界を感じたらそこで死んでもいいと思っていたし、
レースをやりきった後の人生はどうでもよかった。
でもしばらくレースから離れたせいもあってか、
最近はやりたいことがたくさん出来た。
それがただ快楽のためなら、重要なことではないだろう。
でも違う。
俺の「やりたいこと」には常に「自分を高めること」が同時に存在する。
レースから離れたせいで、より目指す所が高くなったと思う。
例えばバンジージャンプ、スカイダイビング。
「俺は絶対に落ちるときに躊躇しない」
どんなに怖くても意思の力で足を踏み出せるってことを試したいんだ。
レースが怖くないのかと聞かれた。
自分は絶対に死なないと信じているのか、と。
普通に死ぬのは怖い。
でも同時に「死んだらそのときはそのとき」と割り切ってる。
自分ほど死というものを割り切っている人間はいないとすら思う。
誰だって、どんなときだって、一瞬先の未来に死ぬ可能性は0じゃない。
だから怖がっても仕方ないし、誰がどういう死に方をしても仕方ない。
今突然電話が鳴って家族が全員事故死したと聞いても、
友達と遊んでいていきなり災害で自分以外全員死んでも、
たぶん一瞬で割り切れると思う。
悲しまないわけじゃない。
でも割り切ると思う。
瞬時にそれはそれとして冷静に自分の次の行動を考えると思う。
それは意思の力であり、覚悟の力だ。
レースをすると決めたとき、その過程で死ぬ可能性を覚悟した。
そのときから割り切った。
そしてその意思と覚悟はどんな恐怖心も凌駕すると思ってる。
だからそれを試すために、俺は落ちる。
できるだけスリルのあるレジャー、スポーツに挑戦する。
バンジーやるなら200mくらいでやりたいし、
スカイダイビングも一人で飛びたい。
そんでどんなに怖くても、躊躇せずに飛び込みたい。
で、「どうだ、俺はこんなんに負けない!」ってのを自分に証明したい。
実際にやってみないと口だけになるからな。
スリルが楽しいわけじゃない。
俺は小心者であり、ホラー系も苦手じゃないけど好きじゃないし、
峠で攻めるスリルとかそういうのは全く好きじゃない。
ただそのスリルに打ち勝てる自分を求めているだけ。
そして俺の求める高みには、常にスピードがある。
まあ最近始めたクライミングなんかはないけど^^;
でもあれは高所の恐怖に打ち勝ちながら登るのが、
スリルに勝つって部分で近い。
てかあれかな、常に「風」があるのかな。
外でロッククライミングしたら風感じるし、
海とか水系のレジャーやスポーツにはなぜか興味ないし。
俺が最も人間として完成されていると思う超人たち。
まずは音速の戦闘機を操る空軍のパイロット。エリート軍人だし。
そして同じく音速のジェット機で曲芸を行うエアアクロバットのパイロット。
それから地上に移りF1ドライバー、
最後に2輪の最速、motoGPライダー。
いろんな因果があってたまたまバイクを選んだけど、
いつかF1には絶対乗りたいしジェット機にも乗りたい。
そしてできれば自分でその極限領域での操縦がしたい。
12Gとか超えた負荷と勝負したい。
最近F1からエアアクロバットに行ったパイロットの存在知って、
俺もマジでレースやめたらエアアクロバットのパイロット目指そうかとか思った。
とにかく自分を自分で満足できる領域まで高めたい。
そこまで行って初めて、俺は自分の人生に価値を感じるんだろうと思う。
そして全てに言えることは、他人からの賞賛に興味がないこと。
ホントに俺って、どこまで行っても「自分」なんだよね。
自分で心惹かれた究極の高みに上って、
自分で自分を褒め称えて「俺ってすげーー!!!!」って言いたいだけ。
こんなナルシストが他に存在するだろうか?笑
今日奴らと話していて、そんな自分を再確認した。
色んなことが言葉になった。
俺の日記って大半の人には全くおもしろくないと思う。
変に哲学的だったりして、何言ってんだかわかんないし
全く共感得られない人が大半じゃないかな。
でも近い価値観を持ってる人なら、興味なんか感じることがあると思う。
だって俺らは、そんな互いの思考を知るのがすげー楽しいから。
すぐ某友人達(男2人)の同棲・・・もといシェアハウスへ行ってしまう。
ゲームしたり、映画見たり、だべったり。
自分と近しい思考プロセスを持つ男達との討論は面白い。
まあ近しいと言っても、3人ともかなり遠い感覚の持ち主なんだけど。
誰にでも生きてきた全ての経験を踏まえて、
芯となる価値観とか思考回路が出来上がると思うんだけど、
根っこは全く別なスタートなのに、現在の価値観が似通っていたり、
根っこは似てるのに現在は正反対だったり、
価値観が似通っていても生き方は全然違ったり。
最近の同年代の人たちって、
「昨日TV観た」「昨日どこへ行った」っていうだけの内容を
毎日話してるだけだったりするから、
そういう人たちと話していてもおもしろくないんだよね。
TVの内容が変わっても、「TVを観た」だけじゃ
結局本質は全て同じなんだよね。
だからおもしろくない。
もちろん仲良くならなかったら深い話はしないだろうし、
場の空気とか色々あるとは思うけど、
同じ感覚で喋れる人っていうのはすぐにわかるし、
すぐに意気投合できると思う。
なんだかんだこの友人達とはよく討論というか、「思考遊び」をする。
まあ若い人達は「語る」とか言うんだろうけど、
たぶんその表現は俺らには何か違うと思われ。なんとなく。
まず3人の誰も、話を聞いてほしいわけでも話を聞きたいわけでもない。
悩みを話すとかアドバイスとかそういうものではない。
3人とも自分の行き方はとっくに決めていて、
誰かに何か言われたからといって簡単に変わるほどヤワではない。
そして生き方を決めているからこそ悩みもないし迷いもない。
俺は仕事の愚痴をおもしろおかしく話したけれども(笑)
互いにそれがわかっているから遠慮がない。
何を言われても構わないし自分も言う。
そして互いに互いをそれぞれの主観で分析して批判も賛同もする。
そうすると自分の考えてることが言葉になったりするのだ。
別に新しい発見じゃない。単なる再確認。
ただ自分が感覚で実行してる事実が言葉になるだけ。
それが非常におもしろい。
今日俺が言葉にした自分・・・
それは自分の生きる根源的な目的。
「俺は究極のナルシストで、
生きている限り自分をただ可能な限り高めるためにのみ生きる」
昔はレースで限界を感じたらそこで死んでもいいと思っていたし、
レースをやりきった後の人生はどうでもよかった。
でもしばらくレースから離れたせいもあってか、
最近はやりたいことがたくさん出来た。
それがただ快楽のためなら、重要なことではないだろう。
でも違う。
俺の「やりたいこと」には常に「自分を高めること」が同時に存在する。
レースから離れたせいで、より目指す所が高くなったと思う。
例えばバンジージャンプ、スカイダイビング。
「俺は絶対に落ちるときに躊躇しない」
どんなに怖くても意思の力で足を踏み出せるってことを試したいんだ。
レースが怖くないのかと聞かれた。
自分は絶対に死なないと信じているのか、と。
普通に死ぬのは怖い。
でも同時に「死んだらそのときはそのとき」と割り切ってる。
自分ほど死というものを割り切っている人間はいないとすら思う。
誰だって、どんなときだって、一瞬先の未来に死ぬ可能性は0じゃない。
だから怖がっても仕方ないし、誰がどういう死に方をしても仕方ない。
今突然電話が鳴って家族が全員事故死したと聞いても、
友達と遊んでいていきなり災害で自分以外全員死んでも、
たぶん一瞬で割り切れると思う。
悲しまないわけじゃない。
でも割り切ると思う。
瞬時にそれはそれとして冷静に自分の次の行動を考えると思う。
それは意思の力であり、覚悟の力だ。
レースをすると決めたとき、その過程で死ぬ可能性を覚悟した。
そのときから割り切った。
そしてその意思と覚悟はどんな恐怖心も凌駕すると思ってる。
だからそれを試すために、俺は落ちる。
できるだけスリルのあるレジャー、スポーツに挑戦する。
バンジーやるなら200mくらいでやりたいし、
スカイダイビングも一人で飛びたい。
そんでどんなに怖くても、躊躇せずに飛び込みたい。
で、「どうだ、俺はこんなんに負けない!」ってのを自分に証明したい。
実際にやってみないと口だけになるからな。
スリルが楽しいわけじゃない。
俺は小心者であり、ホラー系も苦手じゃないけど好きじゃないし、
峠で攻めるスリルとかそういうのは全く好きじゃない。
ただそのスリルに打ち勝てる自分を求めているだけ。
そして俺の求める高みには、常にスピードがある。
まあ最近始めたクライミングなんかはないけど^^;
でもあれは高所の恐怖に打ち勝ちながら登るのが、
スリルに勝つって部分で近い。
てかあれかな、常に「風」があるのかな。
外でロッククライミングしたら風感じるし、
海とか水系のレジャーやスポーツにはなぜか興味ないし。
俺が最も人間として完成されていると思う超人たち。
まずは音速の戦闘機を操る空軍のパイロット。エリート軍人だし。
そして同じく音速のジェット機で曲芸を行うエアアクロバットのパイロット。
それから地上に移りF1ドライバー、
最後に2輪の最速、motoGPライダー。
いろんな因果があってたまたまバイクを選んだけど、
いつかF1には絶対乗りたいしジェット機にも乗りたい。
そしてできれば自分でその極限領域での操縦がしたい。
12Gとか超えた負荷と勝負したい。
最近F1からエアアクロバットに行ったパイロットの存在知って、
俺もマジでレースやめたらエアアクロバットのパイロット目指そうかとか思った。
とにかく自分を自分で満足できる領域まで高めたい。
そこまで行って初めて、俺は自分の人生に価値を感じるんだろうと思う。
そして全てに言えることは、他人からの賞賛に興味がないこと。
ホントに俺って、どこまで行っても「自分」なんだよね。
自分で心惹かれた究極の高みに上って、
自分で自分を褒め称えて「俺ってすげーー!!!!」って言いたいだけ。
こんなナルシストが他に存在するだろうか?笑
今日奴らと話していて、そんな自分を再確認した。
色んなことが言葉になった。
俺の日記って大半の人には全くおもしろくないと思う。
変に哲学的だったりして、何言ってんだかわかんないし
全く共感得られない人が大半じゃないかな。
でも近い価値観を持ってる人なら、興味なんか感じることがあると思う。
だって俺らは、そんな互いの思考を知るのがすげー楽しいから。