こんにちは

Lake ですニコニコ

 

ご覧いただきありがとうございます音譜

 

 

 

 

 以前に ↓ こちらで書いたのですが、

職場の近くに 小さな保育ルームがあります。
『この母性を飼い慣らす ②』こんにちは Lake です  余剰 母性についてつづきます    私の職場の 事務所のすぐそばに小さな小さな 保育ルームがあります。 お母さんの 歯医者・美容…リンクameblo.jp

 

 

今日も、仕事中に

すぐ近くの保育ルームに向かう

母子の語り合う声が聞こえてきます。

 

トントンとドアをノックしてから

お母さんがお子さんを保育士さんに

預けるのですが、

その瞬間に ハッとして

ワァーーーーっと泣き出す子が多いです。

お母さんと離れるんだ!

と感じて不安になるんですね。

 

今日は、その場面で泣くお子さんが

いつもよりたくさんいて、

私もいつもより 心がギューーっと

切なくなっていて、

ちょっと苦しいですあせる

 

今、自分にとって愛を注ぐ対象を

欲していて、母性本能が余ってるの?

という錯覚から 

        ↓

いやいや、心の中はそんなに

単純でもないんだわ。

いろいろなものを内包していて、

それぞれに反応して心が震えるんだね。

 

って、なんとなく わかったような

”ふーん、そうなんだ”うーん

という感じだったのですが、

 

今日みたいに

切なげに泣いている子が多いと、

相変わらず 泣いている子の

心に反応し過ぎてしまいますアセアセ

 

反応の度合いも、自分の精神状態

によるところが大きいでしょうね。

(今とくべつに弱ってるわけではないけれど)

 

だれでも、ふとした拍子に

昔のことが頭に浮かんだりしますよね。

普段は忘れていても、

映像が浮かぶと すごくはっきりと

思い出せること。

 

 

今日、しきりに脳裏に浮かぶのは、

幼稚園に入る前の小さな私が

度々 預けられていた、

祖父母の家での映像。

 

預けられるのは度々でしたから、

とくに祖母にはなついていましたが、

日が暮れて暗くなると

ふっと寂しさがよみがえるようで、

「駅に行ってみる」

と言ってきかなかったそうです。

 

「お母さんが迎えに来るかもしれないから

駅に行きたい。」

と 駄々をこねる私を、

祖母が背負って駅まで歩いていく姿。

 

夜の踏切で立ち止まって、

「Lakeちゃんのお母さんは

どの電車で迎えにくるかねぇ。」

と、何度も小さく話しかけてくれる。

 

夜道と、踏切のなる音と、

暗闇の中で何度も行き過ぎる電車。

行き過ぎる電車の窓の中に

何度も何度も 母の顔を探す。

 

祖母の匂いと背中のあたたかさ。

私の心細さと寂しさと腹立たしさ。

 

迎えに来る時間はもっと遅いし、

母はまだ来ないとわかっていても、

「じゃあ 行ってみようかね。」

と、私を背負って

夜道を歩いてくれる祖母。

 

 

私がこの夜道の踏切のことを

思い出すときの感情は、

いつも 置き去りにされる不安と心細さ、

寂しいのになかなか迎えに来てくれない

ことへの腹立たしさ。

 

そして、

そんな私の心情を察して、

じっと そばに寄り添ってくれる存在の

まなざしとぬくもりとやわらかさ。

 

 

いろんな感情をあじわえていたんだな。

 

今日は、自分の子どもの頃のワンシーンが

しきりに思い出されたけど、

日によっては、息子の泣き声に

重なって聞こえる気がするし。

 

そして、小さい子の 取り繕わない

泣き声には、私の中の

いろんな感情が呼応するなぁ

と、今日も感じたのでした。

 

最後までお読みいただきありがとうございましたあじさい