自分が死んでしまうかもしれないと思った時に考えたこと | 狛江発!笑う社長夫人のニッポンセキララブログ

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「週刊大衆」で人妻評論家として15年に渡りエッセイを連載後、日本では珍しい特殊撮影の会社「株式会社ロケット」を狛江市にて夫婦で起業、取締役に就任、今年6月で12年目を迎える。会社でのこと、家庭でのことを、関西人ならではのオモローな切口で書いて行きます!

年が明けて、川崎大師、浅草寺、鶴岡八幡宮とお詣りに行ってきました(どんだけ、神頼みやねん!)。

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独身の時は、

今年こそ、素敵な彼氏ができますように!

結婚してからは、

今年は、お母さんになれなすように!

それが叶ってからも毎年毎年、

………今年こそ〇〇が叶いますように!
   今年は〇〇な私になれますように!

そんな風に、100円とか多くて千円ぐらいのお賽銭で「お願い三昧」だった私。

しかし、ある時から、

「今年も1年健康で過ごすことができました。ありがとうございました」

そんな風に「感謝」を述べるだけになりました。

以下、再現ドラマ。

あれは、3年前、とある産婦人科病院から、一本の電話。

「すぐに乳がん検診の結果を取りに来てください」

そうだった、乳がん検診を受けっ放しで、肝心の結果を取りに行ってなかったんだー(大馬鹿、馬鹿の骨頂)。

直接再度診察を受けて欲しい…とのことで、成城学園前の産婦人科に受診に行くと…

「まず1年半前の検診の結果なんですが、ほらここ、少し影があるでしょう?」

なんと、マンモグラフィの検診で「カテゴリー3」の結果が。

乳がん検診の段階は、カテゴリー1の「異常は認められません」から5の「悪性の可能性が高いので精査が必要」まであって、

カテゴリー3とは、「良性の可能性が高いが、悪性の可能性も否定できないため精査が必要」だったわけです。
 
確率から言うと千人に1人。

良性の可能性が高いとは言え、目の前が真っ暗になりました…しかも、検査してから1年半も経ってる(もし、悪性なら進行している)。

再度、検診を受けましたが、結果が出るのが3週間後。

この3週間は「生きた心地」がしませんでした。

超音波の映像には、小さいけど「しこり」が映っていたし…まあ、普段元気な人ほど「病気にはビビる」んですよね(笑)

何より、検診の結果を1年以上も放っていた自分に落ち込みました。

自分は死ぬかもしれない…生まれて初めて実感した「死」。

ぐるぐると脳裏を駆け巡ったのは、

自分の家族のこと。

そして、これまで私にかかわってくれた人たちの顔、顔、顔…。

その表情は、なぜかみんな笑顔で、もう10年以上も会っていないような人の顔も浮かんできました。

いやー、もうなんか、

私って、本当になんて傲慢でエラそうで自分勝手に生きてきたんだろう、と。


1人では何一つできない、人の情けに助けてもらいながら今まで生きてきた、

生きてきた…のではなく、生かされてきたのだ!と。

私をいじめたヤンキーも、ネットビジネス野郎も、アホバカボケカスセミナー講師に対しても、もう恨んだりしないっ!

不思議と恨み事より感謝の方が大きい、私がこれまで出会った人、お一人お一人に頭を下げたい気持ちになるほど。

そんな中で、乳がんが完治した40代の女性のブログを見つけました。

乳房の全摘手術が成功し退院、自宅で養生している…そんな彼女の、

日常のささやかだけど、かけがえのない瞬間、空間、景色、匂い、体温…日々彼女が体感している感覚が伝わってくるような内容でした。

朝目が覚めて、窓を開けると、

朝露に濡れている草の表面の瑞々しさとか、

その水滴に映っている子供の黄色い長靴とか、

肌で感じたように思ったのは、自分自身が少なからず「死」を意識していたからだと思います。

結局、私の検査の結果は「異常なし」で心からホッとしたのですが、いろいろ考えさせられた3週間でした。

その後、彼女のブログからは遠のいてしまっていたのですが、ある日ふと思い出し、「お気に入り」を開いたところ、彼女が亡くなっていたことを知ったのでした。

あれから、私は毎年検診を受け、もちろん結果もちゃんともらいに行っています。

結局、どんなに名声やお金があっても、人はいつか死ぬんです。

だってさ、生まれた瞬間から、死に向かって生きているんだもの!

…来年の初詣も「今年1年健康で過ごすことができました。ありがとうございます」

そう言えるような年にしたい…それこそが今年の抱負です!

明日も、にんみつワールドで待ってんで!