誹謗中傷と健全な批判・批評の違いを考える。
よくテレビや雑誌などいわゆるオールドメディアは、
X(旧Twitter)を始めとするSNSこそが、誹謗中傷の温床であるようなことを言っている。
よほど大手マスコミの方が破壊力があるが、
意図せずして炎上してしまったアカウント主などは、そりゃあ恐怖だろうとも思う。
記憶している人はあるかわからないけれど、
ずっと以前に東北のある県の県会議員の男性が、
県立病院で自分の立場を誇示しスタッフに自分を優先させるように威圧したことがあった。
私はそれをたままた「痛いニュース」と言うまとめサイトで見たのだけれど、
それをワイドショーが取り上げ、
記者会見するかい突撃取材されるか、そういう大きな騒動になった。
痛いニュースからTVまでの時間は大体1週間くらいだった。
その結果、その県議は痛ましいことに自ら命を絶たれたのである。
もちろん立場を笠に着た態度はカスハラのようなことはいけないことではあるが、
全国ネットのワイドショーのレポーターが突撃するような深刻な事態ではない。
健全な県議会ならば、議長や議会全体で「厳重注意」などの処分がされればそれで良い程度のこと。
その当時は、まだ議員が個人でSNSをやる時代ではなかったので、
その方のアカウントが炎上したとは考えにくい。
マスコミの突撃取材に恐れをなし、悩んだ末のことだと思われる。
ボヤ程度の火を、煽りに煽って大火災にするのは常にマスコミだった。
SNSの反応で恐怖を覚えるのは、実は私も経験がある。
このブログの過去記事で、いわゆるケンーカン(検索除けしました)的な記事を書いたら、
多分そちら関係の方から乱暴な口調でコメントがいくつもきた。
十分すぎるほど恐ろしかったしし、かなり落ち込んだ。
だが、実際に東京からわざわざ全国ネットで知られたレポーターがカメラと共にやってきたら、
どんな気持ちがするだろうか。
匿名を悪用したSNSでの誹謗中傷は許すまじだが、
正義のふりした大手マスコミの暴力的な一方的な情報の拡散は、もっと恐ろしいと思う。
少なくともSNSは自らそのサービスを開かないと目に入らないが、
テレビやラジオは勝手にそれを提供してくるし、
雑誌に至っては扇情的な見出しが、書店や電車の中吊り広告で一方的に捲したてて来るからだ。
なので、マスコミ側の人間が「ネットの誹謗中傷が」と言われるとき、
その被害に遭われた方には本当に気の毒だと思うと共に、
あなた方がやってきたことは、それ以上なのだよ、と思わずにはいられない。
多分皆さん同意見だと思うけれど、
残念ながら誹謗中傷は絶対になくならない。
ご近所レベル、同級生レベルでそれは既に存在している。
自分だけは、「そこにいない人の噂話はしない」を徹底したいと思う。
褒める話でさえ、誤解を生みかねないのだ。
そして、当たり前だけれど、これは日本だから、ではなく世界中どこでも同じなのだ。