【沖縄全戦没者追悼式で岸田首相に街宣活動 国民・玉木代表が苦言「式典の間だけでも静かにできないものか」 6/23(日) よろず~ニュース】


(注目) 東京都知事選渦中で、NHKなんちゃら党首が「選挙ポスター掲示板に"女性向け風俗店の広告紙24枚貼った"ことで、警察庁が警告処分」報道在り ⇒ この様な時は、決まって"表現の自由"だとうそぶく輩が居る。

"表現の自由" ・・・ 自由だからと言っても何でもかんでも自由ではない。幾ら憲法で定義した表現の自由でも、 法 律 よ り も 社 会 公 共 福 祉 ( 社 会 道 徳 ) を 持 ち 処 罰 さ れ る 事 が 在 る 。



【令和4年2月15日最高裁判決 ⇒ 憲法21条1項表現の自由は無制限保障ではなく、公共福祉に合理的で必要止むを得ない限度の制限を受ける】 ・・・ 公共福祉(道徳)、多くの人が不快を催す表現に自由は無い。

同じく、ドイツ最高裁も国内でナチス賛辞展覧会を警官隊が強襲撤去させた是非の訴訟で、【公共福祉を害する表現に自由はなく公権力で撤去させて良い】判決を下した。 世界初、法律よりも道徳が優先した判決でした。




【法律よりも道徳が優先】 ・・・ 社会道徳とは、我が国の縄文時代(大家族主義)に於いて部族長が提議した「一族の決まり、戒め」等の統一規則が原点で在る。1300年前の飛鳥時代は律令制度を確立で独立国家日本に。

その様に世界でも例えば3100年前ユダヤ民族の指導者モーゼが、民族の規律を「十戒(=して良いこと遺憾ことの10カ条)」で定義を。社会の一員として法律よりも、法律段階以前の道徳で自己行動規制を定義した。



㊟交易交流地域拡大に因る混血化で人口が急激増加に連れ、今度は法律で個々人の自己行動規制項目を定義する時代に移行し今に至る。その世界の流れで、我が国だけ道徳社会と化した理由は江戸時代の鎖国に在る。

さて、国として国民として【法律で事細かく自己行動規制を噛ますのが良いのか、それとも社会福祉(社会道徳)で個々が自己規制が良いのか】 ・・・ 結果、法律だけで縛る国は国民が法を守らない"個人自由主義"化した。





今回の記事主意:【玉木国民主党代表 「式典中、会場近くでマイクを使った街宣活動が、岸田総理が追悼文述べる時は『帰れ』のシュプレヒコール」】


そう言う地元紙の琉球新報と沖縄タイムスや況や国内全てのマスコミもいっぱしの綺麗ごとを報道が出来る立場なのか?何か隠しているだろうが! 

⇒ 毎年6月23日沖縄地上戦没者追悼記念式典では陸上自衛隊と米軍海兵隊(=男女ともに白装束の正装)参列をTV中継も写真報道も非ず! そんなことで今さら驚かない、全国的お祭りでも米兵を撮影報道しない沖縄。



日米両軍だけが共同で6月23日式典の糸満市平和祈念公園を事前に清掃を熟す(=草刈りと洗浄で2トントラック搬入)からこそ、当日は戦没者刻名の石碑もピカピカで遺族の方々がお参り光景を中継や写真報道する。

内地の方に沖縄県民に因る在り得ない職業差別を判って頂きたい ⇒ 6月23日追悼式典に【自衛隊と海兵隊が参列したら沖縄県民は怪しからんとする矜持(=違うなら改めて貰いたい!)】 差別を言うなら沖縄も同じだろう。



今回:【会場近くでマイク街宣活動、岸田総理が追悼文述べる時は『帰れ』シュプレヒコール】 ⇒ 沖縄県民もTV局も新聞も、その馬鹿野郎が誰であるかを現場で判っている(=常連の中高年様!)。なぜ今も隠ぺいするのか?

あの馬鹿野郎たちは、場違いの恥しい大騒ぎを【表原の自由】と知った被りで唱える。一方で、玉木国民主党代表は慰霊式で参列者の誰しもが嫌悪する大声馬鹿騒動を社会道徳心で咎めている。沖縄に道徳心が無いのか?



6月23日追悼式典の前後はNHK沖縄局が朝夕の全国ニュース番組で【沖縄県内の学校(=小中高)で平和教育課外活動が云々】と熱心に報道する。但しよ、それは公立学校だけだろうが!私立学校の事例を紹介しろよ!

NHK沖縄の全国ニュース番組 ・・・ 子供たち(小学校低学年から)が普段の平和教育(その実が洗脳教育)で教わった通り沖縄戦惨劇感想文を書く。



それが中高校生ともなると、教師が指導の詩文や追悼歌合唱も発表会が。この様に沖縄県民の努力で、【沖縄県では代を継いで内地に対する遺恨(=敵愾心)が伝承されている(=これを沖縄式平和教育と提議)】

然し、事実は【沖縄戦で沖縄守備隊と県民が戦った相手はアメリカ軍で在り、アメリカ軍が戦争法ジュネーブ条約違反の無差別大量虐殺をやった】 



そして一番怪しからんのは沖縄守備隊総司令官に対して、【東京の日本軍参謀部(=現場上がりのイケイケどんどん型上級将校15人で構成)】が、守備隊が本部首里城から本島南部海岸に逃走しても降伏をさせなかった事。

降伏をさせなかった ⇒ これが更に市民の巻き添え死を急増させた原因だ。皇国の何とか魂で玉砕と綺麗ごとを言えど、日本軍参謀本部は単に守備失敗の責任逃れに過ぎなかったことを、戦後にGHQ進駐軍が解明した。



そう言う環境下でも、最後に守備隊司令官が世界の軍人からも称賛される勇気を現わせば、後世に於いても【真の英雄】と伝承されることに。

【真の英雄】 ⇒ 司令官自らが白旗を掲げて、【せめて市民だけは助けてくれ、それだけを約束してくれ】と伏して願い出すること ・・・ それを責任逃れの日本軍参謀部がさせなかった。



代りに牛島司令官を死後昇進させた。全ての責任を日本軍参謀部が自ら闇に葬って惨劇を〆た。

その前の陸軍最大の悲劇で在るインドシナ半島のインパール作戦失敗も、後に現場司令官らを昇進栄進させた、世界初の失敗功労賞で在る。



なぜこうも無責任体制の日本軍参謀部だったのか? ⇒ マッカーサー進駐軍GHQの解析で、【参謀部15人の将校に戦争を設計運用継続させる兵站担当将校が終戦一年前には一人も居なくなっていた、居たのはイケイケどんどん型の将校ばかり】 ・・・ こんな体たらくだからこそ、無責任を招いた。

なお中には参謀に声を荒げた現場司令官が居た ⇒ インパール作戦中に現場1個師団(=8500人総勢)司令官が参謀の指揮に従わず独断で師団を帰還させた。武器弾薬燃料食糧医薬品が尽きて補充も得られなかった。



勝手に本部へ帰還した司令官が参謀に詰め寄った:【貴殿は馬鹿の四乗で在る!】 ・・・ インパール作戦進軍に於いて、一兵当たり配給が【小銃弾200発入り一箱だけ】の用意だった、これで近代装備の英軍と戦え?

この無責任もGHQが解明指摘した。なお、【勝手に本部へ帰還した司令官】は直ぐ東京の参謀部に出頭させられて、そのまま:【言動に於いて精神不安定症状が重い】理由で、終戦まで参謀部個室に幽閉された。