【陸上自衛隊第15旅団HP「辞世の句」に抗議の「琉歌」 沖縄テレビ】

記事主意:【市民団体が日本軍・牛島満司令官辞世の句をHP掲載に「沖縄住民は日本軍の戦争が滅ぼし戦没者遺骨は土に」と抗議を込めた琉歌を】



①【沖縄テレビ】が報道する市民団体の陸自へ抗議は、沖縄県民の総意を代表しない。沖縄では陸上自衛隊に支援を寄せる多くの県民が居る。なぜ別論を載せないのか? ⇒ 23日沖縄地上戦追悼式典を盛り上げのためだ。 



②「市民団体」の一つを報道で【ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会・具志堅隆松共同代表】と表す。

代表の具志堅隆松氏は沖縄地上戦で激戦地本島南部地域で、長年に渡り日本軍兵遺骨収集ボランティア活動を精魂込めて尽力を。


なお、日本兵遺骨は喰らった爆発物や火炎放射で損傷が激しく、現代のDNA鑑定でも困難を極め厚労省が依然と棚上げの侭だった。

然し、具志堅隆松氏の日本兵遺骨収集貢献度に動かされて、遂に厚労省がDNA鑑定開始に至った。ゆえに、遺族として具志堅氏は大恩人で在る。


そして、厚労省が「日本軍兵遺骨収集ボランティア活動の具志堅隆松氏」を労い表彰状と記念品を恩賜。

但し、玉城知事と琉球新報と沖縄タイムスが県民に具志堅隆松氏の表彰を周知に非ず! ⇒ その遺骨が日本兵だから周知と報道の価値が無い訳だ。


㊟数年後、突如、玉城知事と琉球新報と沖縄タイムスが「遺骨収集ボランティア活動の具志堅堅隆氏(㊟日本兵を外す)」と、沖縄内外に絶賛周知を開始し今に至る。具志堅隆松氏を反自衛隊活動に利用価値が在ったからだ。

『玉城知事と沖縄本島二紙が具志堅隆松氏を反自衛隊活動に利用』 ⇒ 経緯は、具志堅氏が「日本兵等の遺骨が混じる糸満市鉱山の土砂石材を辺野古沿岸埋立てに利用するな」と発したので、即、玉城知事が利用開始を。


「日本兵等の遺骨が混じる糸満市鉱山の土砂石材」 ⇒ 【糸満市鉱山の土砂石材】ゆえに、採掘が地下数メートル以上の石灰岩地層からゆえに【遺骨が混じる根拠が無い】 ・・・ (注目) 誰も遺骨を見たことが無い!

「日本兵等の遺骨が混じる糸満市鉱山の土砂石材」から採取した遺骨の一つでも写真報道が無いこと。間違いなく、玉城知事も琉球新報と沖縄タイムスの記者も、肝心な具志堅隆松氏も、誰も視たことが無いのが真実で在る。


かつて、疑問視した全国紙が具志堅隆松氏を訪ねて一緒に該当地域の指定地界隈の撮影写真を載せた ・・・ 「(記事)表土に人の指の骨と見えるものが在るが風化したサンゴ化石にも見える」と。

沖縄本島は約10個の島が合わさって組成された。南部は隆起サンゴ礁で後に2万年を掛けて今の「赤い土(=南部の畑)」に風化したが、それでも人の小骨サイズの様に見える風化仕切れなかったサンゴ化石が至るところに。


記者が具志堅隆松氏の遺骨取集道具写真を載せた ⇒ 表土を起こす道具に「熊手(=先が鉄製の大きい櫛状)」が在るが、片手で掘る形式ゆえに家庭園芸用に使う道具で在るので表土程度しか起こせない類でした。

ゆえに、玉城知事と琉球新報と沖縄タイムスが【主張】する:「遺骨が混じる糸満市鉱山の土砂石材」は、当然に今まで只の一度も【現物】写真報道の試が無い。誰も視たことが無い、在れば証拠として出すだろう。


なぜ玉城知事と琉球新報と沖縄タイムスが【主張(=遺骨が混じりの糸満市鉱山土砂石材)】と根拠もなく内外に発信を? ・・・ 中國起源の儒教思想社会民情残滓が今も色濃ゆく、沖縄で事実は【主張】に在るとされる。

「中國起源の儒教思想社会民情残滓が今も色濃ゆい沖縄県」の【主張】 ⇒ 儒教社会で言う事実は:【他人に対して堂々と主張することが正しい姿勢とされて後に事実と見做される】からこそ、約束を後で必ず破る性が在る。



③【(市民団体)沖縄住民は日本軍の戦争が滅ぼし戦没者遺骨は土に云々】 ・・・ これも、沖縄儒教思想社会民情残滓がなせる【主張】だ。

市民団体の【主張】では日本軍が沖縄県民を殺害したことになる。真実は、アメリカ軍に因る無差別大量虐殺で在る。


首里城本部から南部に逃亡した日本軍を、南部に上陸を果した米軍海兵隊が攻めたが、糸満市の陸戦に於いて日本軍の砲撃で海兵隊の上級将校(=参謀)バックナー中将が戦死を受けて、途端に米軍が無差別大量虐殺を。

当然に、非戦闘員の無差別大量虐殺は戦争法ジュネーブ条約に違反だから戦後に糾すべきだが、結局、勝てば官軍負ければ賊軍の結果に。例え、どちらもヒトラーの真似をしていた事実が在っても勝った方は不問になる。



④【牛島満司令官】 ・・・ 日本軍沖縄守備隊司令官(=死後昇進)として、日本軍参謀部宛の"最後の打電"で有名。


沖縄各地の戦跡を訪ね歩いた経験で言えば、それまでは中々理解出来なかった事:【各地の石灰岩鍾乳洞一つ、なぜ日本陸軍は避難民よりも先に壕の奥に逃げ込んだのか、軍人が最後で在るべきなのに】です。

当時の日本陸軍は世界最強の陸軍として、国際社会が鍛錬度を認知し称賛した軍隊です。そう言う国際評価ゆえに、終戦後の中國に於いて毛沢東共産党主席が「共産党陸軍を鍛え直してくれ」と自ら懇願した。


毛沢東共産党主席が「その暁には中國に残留元日本兵を無条件で帰国させる」と告げた。毛沢東の条件提示に感激した元日本陸軍将校が現在の中國共産党人民解放軍の礎を造った。ゆえに、日本陸軍と同じ戦闘格好に♪

元部下を帰国させる感激の条件に元日本陸軍将校が懸命に育成した。最後は中國共産党軍初の空軍まで組成し贈ったので毛沢東が感激を。それを見た台湾の蒋介石国民党軍も元日本陸軍将校を台湾に呼び寄せて鍛錬を。


然し、そう言う、心身ともに鍛え上げて世界が賛辞する日本陸軍将校が、なぜ沖縄で? ⇒ 鍾乳洞を調べてやっと事実が判った ・・・ 【これが戦争だ】と言うこと。

どんなに心身ともに鍛え上げた将校でも、いざ死線を流離う境地に置かれたら、その環境下では人間の常識も良識も道徳も法令順守矜持等々も一切合切が頭から吹っ飛んでしまう。即ち、動物の生存本能だけで動くからだ。



【牛島満司令官】 ・・・ 首里城本部から南部糸満市方面に撤退決断そのものが【守備失敗】を表した。当然、【牛島満司令官も負けを百も承知の上】

然し、東京の日本陸軍参謀部が戦局の地上戦敗北に於いて、【米軍に対して牛島満司令官に白旗を上げさせなかった】ことが全ての結果責任です。


【米軍に対して牛島満司令官に白旗を上げさせなかった】 ・・・ 既に、米軍が市民を無差別殺害開始を承知の牛島満司令官に、その際に出来るのが【米軍に白旗を掲げて戦闘中止を申し出ること】でした。

非戦闘員の救命こそが沖縄守備隊牛島満司令官の責務でした、それを東京がさせなかった。軍人として、司令官として、男として、白旗を上げるのは憤死に当たる恥辱で在るが、同時に、そう言う人こそが本当の英雄で在る。