【紆余曲折を経た『オッペンハイマー』日本公開の意義 アカデミー賞最有力の注目作  ・・・ “原爆の父”物理学者オッペンハイマーの原爆開発描く:広島・長崎の原爆投下や惨状を世界唯一被爆国日本が映されない事等の国民感情配慮が在るとされメディアでも話題に】



過去史で国や民族が受けた未曽有の災難は、後世に於いて「忘れ難し怨念」とし語り継がれて行く。別に、原爆投下された日本だけではない。

なお、世界最長新記録「忘れ難し怨念」を現在も更新中がイギリスとフランス両国の関係で、もはや「永久のライバル関係」と化し今に至る。



イギリスとフランスは「英仏百年戦争(㊟呆れる長さの利権戦争)」の過去史を持つ。500年前から西欧のアジア進出基盤・大航海時代で西欧列強がアジアで植民地獲得競争(=仲間と油断したら寝首を欠かれる)を。

その後に、北米大陸(=現・カナダ)を植民地にしたのが「自由平等博愛の3色国旗」を掲げたフランスで在るが、百年戦争和解後に仲間のはずのイギリスを油断したら「寝首を欠かれて現・カナダを侵奪された」。



おフランス流の「忘れ難し怨念」は約160余年前の幕末で発露した、鹿児島湾でイギリス艦砲射撃と薩摩藩長射程砲合戦が起きた。結果、最強の英国艦隊・海兵隊の損害が薩摩藩よりも多過ぎた。

倒幕に燃える薩摩藩(島津家)は、フランスから「製鉄、造船、武器弾薬、医学」等々の世界最新技術を供与教示され、英薩戦争勃発では最新鋭武器弾薬でイギリスと引き分けに。フランスが、何とかの仇を返した訳だ。





【映画『オッペンハイマー』日本公開】 ・・・ 80年前の事、別に構わない。

「80年前の事、別に構わない」 ・・・ 似た様な事例が、薩英戦争で世界諸国に悔しい恥晒し笑いものイギリスでした。然し、イギリスは立ち直って薩摩藩と親密化を図った、強者日本武士薩摩藩の力を認め讃辞を。



原爆の父がオッペンハイマーなら、その原爆を1945年5月8日に「投下公表の父」がトルーマン米大統領でした。然し、もう過去史です。

福岡県八女市(=名産八女茶)に「原爆の灯」公園が在った。管理人が広島原爆地に居住の妹の家跡で燻っていた木片を持ち帰り、八女市内の公園で慰霊塔を建立し「木片炭を燃やした灯を絶やさずに管理」して来た。



9年前の終戦70年記念日を前に「原爆の灯」管理人が八女市役所で記者会見:【今年で終戦70年、節目として「原爆の灯」を消灯する、いつまでも怨念だけを語り継ぐことより、前向きに生きて行くことにした】

「原爆の灯」管理人が「前向きに生きて行くこと」を決意した動機は、一人の米国人青年(=白人、アジア諸国を一人旅の途中で八女茶の産地を訪問)との出会いでした。



二人の「原爆の灯」公園での出会いは偶然の引き合せなのか? それとも得体のしれない何かの力が二人を引き合わせたのだろうか? その後は「原爆の灯」公園管理人が訪米で、原爆説明等を流布の交流が続いた。

そして、9年前に【終戦70年、節目で「原爆の灯」を消灯する、いつまでも怨念を語り継ぐより、前向きに生きて行く】と、八女市役所で会見談を。実は、「原爆の灯」管理人が出会った白人・米国人青年は、「原爆を1945年5月8日投下公表の父:トルーマン米大統領」のお孫さんでした。




【いつまでも怨念を語り継ぐより、前向きに生きて行く】 ・・・ 前向きに ⇒ 同じことを福岡市カトリック教会で、「外国人女性がビルから転落死」葬儀参列者(=白人・米国人女性)が呟いたことが印象的でした・・・。

葬儀が終わり火葬のために霊柩車に棺桶が収納され発車した途端に、あれほど泣いていた参列友人らがピタッと泣きを止めたことに驚いた。白人女性に「米国人って意外とドライよね?」と質せば、曰く:【霊柩車のドアが閉まったら、「悲しみはそこまでで終わり」の宗教的なものが在る】



一方で、平和教育と称し沖縄県の義務教育では毎年6月23日沖縄地上戦終結記念慰霊祭開催式典に向けて、沖教組に因る課外授業「如何に沖縄県民が日本軍から殺されたか、内地から差別を」が盛んになる。

そして、慰霊祭当日、子供が或る種の思想に沿った弔辞を読む政治的な風習が、この光景に毎年嫌な気になる。沖縄では戦後80年を迎える今年6月23日慰霊祭でも、【子供に日本軍から受けた怨念を植え付ける】



「沖縄地上戦終結記念慰霊祭開催式典」会場の糸満市平和祈念公園 ・・・ 沖縄戦で死去した軍人と一般人を国籍の区別なく慰霊碑に名前を刻印しているとのこと。 本当なのかと公園管理側を質せば:【在ると思いますが・・・】と、断言しない。 な い か ら 質 し た の だ 。

戦艦大和沖縄水上特攻隊の戦死名簿が三桁も未記載だったから、総勢で3,000人に上る青少年沖縄特攻隊戦死者刻名も怪しいものだ、それを内地に因る沖縄の恣意的な差別と言わんで何と例える!






【米海兵隊太平洋基地サイト掲載  7日の不発弾処理は無事終わり、ゲート5の封鎖や、該当エリアの避難指示は全て解除されました】


NHKBSニュース 西普天間の不発弾処理様子動画が。やはり、英国製5インチ艦砲弾(口径127mm重量30kgうち炸薬9kg)でした。

一番敏感な艦砲弾の信管外しは手作業でも困難で、時には現場で止むなく起爆処分も在り得ます。


先ずは、その前に不発弾の周りを大きな土管を入れ立てた様な構造にして(㊟最上部は爆発エネルギーを逃すために空けます)。

遠隔操作で、不発艦砲弾信管先端に向け小さな金属の塊を火薬射撃装置にて、一瞬で信管先端を吹っ飛ばします。


成功したら安全に回収出来ます。この度は、陸自那覇駐屯地処理班が新型安全機器を投じ回収。想えば随分安全な処理時代になったものです。

なお、北谷町にかけた普天間一帯は南部西海岸で少ない砂浜ゆえに、米軍強襲揚陸艦が一斉上陸の地でした。その地均しのために、艦砲弾と爆弾が雨あられで恰も"開墾"の光景でした。