雪の金沢へ③ 山代温泉の「水」 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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雪の金沢へ③ 山代温泉の「水」

お散マップを片手に 宿泊先の瑠璃光から程近い最初の観光案内の看板が出てきたのが『男生水』

看板の案内から
女生水を餓えの生水と呼べば男生水は下の生水であり、共に山代温泉の貴重な
名水として町民には極めてや移設で、安置する地蔵尊には何時時も供物の
絶えることがない。
上水道なき昔は朝夕時間による汲み上げの制限をおこない、男の力で太き竹掉付きの
釣瓶で二つの桶に汲み上げられた水は男の肩の天秤棒により運ばれる。
半杓の水も粗末にせず使用されたという。
紅白の南無地蔵尊の旗がはためく男生水、昔よりこの生水は夫婦相和して飲水すれば
子宝に恵まれるという言伝えがある。



真菰が池と松籟公園
山代温泉の地勢は、東は丘陵地にしてその中に今も残る真菰が池は、当地温泉唯一の
灌漑用水として農民の思い出の池である。又町民にとっても憩いの場として今も親しまれている
池である。池の三方は松林に囲まれ、一方は堤防となり僅かに数本の桜の老樹を残す
のみ。一見平凡な池であるが周辺の緑を池に写し、又可麗な水草の花を愛でる人や
飛び立つ鳥の姿に見入る人にとっては垂涎の池である。周囲には春日神社、光楽寺、
町民運動場、松籟公園、古九谷の再興九谷としての吉田屋窯の窯跡があり、今や
真菰が池は、その展望の広大さと共にまさに最大の景勝地である。

案内はたいそうだがなんの変哲もない池であるが 水資源というものは貴重なものだが 時代を僅かにさかのぼれば その貴重さの意味合いの大きさは今とは比較にならないぐらい大きく ライフラインの名に値したのであろう。この地区は特に水資源は貴重だったようだ。


真菰が池の辺に歌碑があった。
雪ふらばあはむと君に雪ひたるその山代に雪ふるといふ 吉井 勇
『雪』が三回も重複して出てくる和歌 この重複によって雪がしんしんと重く降りそして重ねるように降り積もる様子と 会いたいという気持ちの心臓の鼓動のようなリズム性の表現となってなかなかよいでしょうか 
同じく同じ歌碑に文章ありそれは
しんしんと降ってベンガラ格子を濡らす雪に私は魅せられていた。
去年の別れの時だった「また来てくださいますか、雪が降ったら」そして今
「雪になりましたよ」との知らせ。 それが、私をたまらなくさせてしまったのだ。
この世の汚辱をすべて消してしまうかのように、山代の雪はいっしんに
降っていることだろう、温泉の湯気と混じらい山代は夢幻の郷となっているに
違いない。それは、私にとり身も心も溶ける不思議な熱さなのだ。
行こう山代へ、早く。降りしきる雪と、人のやさしさに逢うために。

現代歌人協会々員 伊林 利子

冬は即ち雪の季節という規則性は未だにあるのだろうが 2月の半ばにしてこの豪雪地帯と言われるこの地域に雪はない なんとも風情がなくなったものだが 私のようなものが簡単に来れてしまう時代 そりゃあこの文明 温暖化するよな。

この『真菰が池』ではないのだろうが 日本昔話に同様な池の名前の昔話あり 落ち武者とオシドリの話であるのだが 鴨のつがいが出迎えてくれた。


『女生水』
山代の名水で、俗に女生水と呼ばれる湧き水は奥の正面に地蔵尊を安置し。町民の
人びとは通りすがりに必ず手を合わせている。
昭和三十一年上水道が付設されるまでこの生水は住民の貴重な飲料水であり、
大聖寺藩の三生水の一つとして年間を通して渾々と湧く清き水のつきることなく、
どのような湯水期であろうとこの井戸だけは枯れなかったと伝えられ、地元温泉
旅館の飲料水として極めて重要な水であった。旅館に働く女衆(接待さん)の
水汲み作業は朝夕続き、その往来は絶えず、何時ごろからか誰言うこともなく
女生水と呼ばれるにいたる。現在も飲用されている。

和31年で上水道ということです。 台湾での上水事情を過去に記事にいくつかしていますが 台湾の昭和4年の上水道分布図


如何に日本本土に比較し インフラの基礎の上水が台湾全土に早い時期になされたということが こんなことからも分かります。


以上
2010/3/15(月) 投稿

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