
にほんブログ村
眷村「 四四南村」【黄金週間台湾絵6-57】


台北101も近くにある眷村に行こうと以前から考えていたので探すことに なんてことはない101から目と鼻の先に その眷村「 四四南村」があった。
眷村という漢語 日本語にはなくお分かりにならないのは無理もなく
wikipediaから引用すると【1949年、国共内戦に敗北した中国国民党は多くの政府官僚、公務員、軍人と関連住民に対し台湾移住政策を実施した。統計によれば1946年時点の台湾の人口は610万人であったのが、1950年には745万人に急増しており、その大部分はこの時期台湾に移住した、いわゆる「外省人」であったと推測される。急増した150万人以上の住居問題を解決するため、国民政府は住宅建設を進めると同時に、それらの移民が集団で生活できる知己を設定し、この政策により大都市では小規模移民村としての眷村が誕生した。
眷村の多くは日本統治時代の建築物を利用したため、日本統治時代に日本人が多く居住していた台北市、嘉義市、台南市、高雄市などに集中して成立した。まだ、軍事基地付近の台北県と桃園県等でも多い。】
【2004年時点で、台湾には879ヶ所の眷村が存在し、最も多いのが桃園県の80ヶ所である。】
台湾に終戦時 一般人40万軍属を含めて60万住んでいた日本人を全て追い出しただけでは150万人台湾に大陸から盲流した中国人の住宅を確保できるはずもなく 大部分の外省人と呼ばれる中国人は バラックを建て雨露をしのぐこととなる。
現在の林森公園は市が強制撤去するまで バラックが建ち並んでいたが ここは元々日本人墓地 墓石もそのままに住み着く まさに貧民窟状態。
各地にある○○新村といったような名称は ほぼこの眷村
日本時代の公務員宿舎が台湾でよく保存され 現在建物が整備され公園となっているのは 最近まで外省人が所有権無いまま住みついたため 老朽化しても建て替えは許されなかったことによる。
外省人の映画監督の作品中に 日本家屋が多用されるのは 台湾人のノストラジックによるものを描いたのではなく 自分たちが戦後過ごした畳貼りの家屋を作品中に入れ込んだものであって その実 台湾人には憧れであった日本家屋に住んだことのある台湾人はほとんどいない。
眷村という用語覚え難いが 浄土真宗の白骨の章にある「六親眷族あつまりて なげきかなしめども さらにその甲斐あるべからず」の眷族が集まった村みたいなもので 肩を寄せ合い住むようなそんなイメージ。
台北101や台湾の市政府はこのエリアにあるわけだけれど 台北市の再開発が大規模に行うことが可能だったのは もともと日本軍が駐屯していた場所で 公有地が市内に広く残っていた場所がこのあたり 訪れた眷村「 四四南村」は日本軍の倉庫に人が住みついたところ。台湾の経済が70年代よりよくなり徐々にバラックの塊である眷村から人が出て 外省人のたどった戦後の台湾を保存する意味で 歴史的建物に指定され眷村文物館としてここにある。空き家が芸術家などに利用されるようになった台湾大学の近くの台北市宝蔵巖は 観光地となっている。


以上
2014/11/9(日)投稿

にほんブログ村