【リバイバル企画】「天皇制」という言葉のもつ意味 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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「天皇制」という言葉のもつ意味



保守の性格というのは過去にあったものを基本的に物を受け入れる気持ちがあることだ。 
極端な否定はありえず 否定そのものが別の過去の事例を複数比較検証する態度である。
革新とは未来の理想型を信じ 現在のあり方も過去のあり方も型に当てはめる作業。
空想を競い 過去の事例は空想の肥やしにする。利用不可能な過去の出来事は切って棄てるというのが基本でもある。
過去に関して型(ものさし)でのみ論じ、ここには評価ではなく否定のみしか存在しない。
「科学的でない」「合理的でない」といいながら整合性のある流を保ち得ないのは
所詮つぎはぎだらけの後付け理論とスルーこれが左翼の原則。
根拠なき正義感は 架空の悪魔を創造して脳内解決も法則。そこには気付きはない。

【ルシファーの子 2004/ 5/20投稿より編集 】


言葉というものは用いる人の見方、主体によって表現方法が変わってくるものである。トラは「虎」だが 「犬」ではないが「大きな猫」と言ったように、「猫」との表現は文学的にまたネコ科の動物であるから自然科学的にそう表現することは可能となってしまう。しかし「猫と虎」の話をしている場面では「虎を大きな猫」と表現することは 大変な誤解を招くのでそれは避けなければならない。

特に政治的・歴史的な特定な分野をまじめに論争をする場合 言葉の定義は可能な限り正しく厳密に適用していかなければ論点のズレが起こり議論が成り立たなくなってしまう。特に左翼思想に代表される左巻きの方々は 特定の思想背景から出来上がった言葉によって議論をし 煙にまきながら捏造や歪曲に陥ってしまう傾向が多くある。
また経験的に感じるのは 思想背景を背景に造語された言葉を用いさせようとする人たちにより流布された言葉によって あるいは一時期使用さたものがその役割を終えているのに定着してしまって その言葉が正しい用語の使用を妨げるものとなっている場合が多く見受けられるのだ。
そんな言葉の代表例が「天皇制」などという用語である。後にも先にも「天皇制」というような制度は歴史には存在していないにも関わらずこれほど多く使われている言葉もない。もともとソ連のコミンテルンからの翻訳用語で マルクス史観にある絶対王政の一形態としての表現として用いられたものが 悲しいことに「国体と天皇」との関わりを総じて「天皇制」と称して使ってしまっている。イデオロギーにより染まった人たちの意図をよろしく まんまとひっかかり使用してしまっているわけで 百害あって一利なしだ。

【注意していただきたい台湾関連の用語 2009.6.7より編集】


制度という単語には 時代による変遷や 制定した主体が語られる性質のものであると考えるが  「天皇が存在する政治形態」と言っても基本的性質が変わらず制度として規定されたと解釈できるのは明治憲法からで そこまでの天皇は制度ではない歴史の方が長い  総じて「天皇制」と論じることは明らかに間違いとなる。従って使用するにしても明治以降は「所謂天皇制」と表現し それ以前は「〇〇時代の天皇」と分けなければ成らないだろう。
また 「いわゆる天皇制」と表現しなければならない「天皇制」なるものは少なくとも現在は存在しない。その用語を遣えるとすれば 立憲君主制の中の一形態として日本国の独自性を加味して 明治憲法下の日本国を政体的にどう分類するかの大分類である「立憲君主制」の一つ下のカテゴリーとして「天皇制」はある。遣える可能性が大きいのは「天皇」というものの存在感が大きく憲法に定められていたからである。
また現在の日本は 立憲民主主義制度が大分類でありその下の分類として民主政体の立憲君主制であり いわゆる天皇制はまたこの下のカテゴリーにあり 明治憲法下と現憲法下の共通の天皇の性質をしてひとつの「天皇制」という用語を遣う事には大きな誤りがあるし その時代の日本の政体をあえて称するなら「立憲君主制」とすればよいだけである。そもそもこの天皇制なる用語は ソビエト共産党の使用した「絶対君主制」の日本版の翻訳用語として誕生し 「絶対君主制」なるものがそもそも日本に存在していないのであるから「意図的に誤解を与える造語を駆使しながら イデオロギーをプロパガンダし そして歴史を捏造するのが左翼の専門用語である」ことは明白である。
この意図的な誤解をさせる手法として 「絶対君主制」の日本バージョンとして「天皇制」なる用語を作り 「立憲君主制」の一形態である「天皇制」をそう表現することは一種の捏造であったのだ。

【いわゆるA級戦犯2006.7.30 より編集】


「天皇制」という言葉

このような理由で 私の場合「天皇制」という用語を使用する場合『所謂「天皇制」』と記述するように務めて努力し ストレートに「天皇制」と表現するような プロパガンダの片棒を進んで担ぐような思考放棄をせぬようにしている。

他に『所謂「○○」』と表現しなければならない用語として
「従軍慰安婦」を『所謂「従軍慰安婦」』
「強制連行」を『所謂「強制連行」』
「台湾独立」を『所謂「台湾独立」』
これらを 全く同じ相対的位置にあるものとして挙げる。

世の中に流布されている所謂「従軍慰安婦」というものが存在したとして 多くの左翼は「従軍慰安婦」と「戦地売春婦」この二つを恣意的に一緒にして「従軍慰安婦」という用語を使用している。韓国にいたっては「従軍慰安婦」と「戦地売春婦」と「挺身隊」の三つを恣意的に区別することなく「従軍慰安婦」を使っているのが実態だ。
また同じく所謂「強制連行」強制連行が極稀に存在したとして「強制連行」と「徴用」をこの二つを恣意的に一緒にして「強制連行」を世間に流布するのが本来の目的であり、且つ現在もそのような意図をもって新聞などで使用されているだ。
安易にこのような使用を認めることは 国語的にも間違った単語ということからも国語に愛情を持つ人間として許すことは出来ない。
また「従軍慰安婦」なる言葉も定着したということで 左翼は次の段階として「日本軍による性隷制度」なる言葉を創作しプロパガンダを広めることに熱心になって来た事により かれらが「制度」という言葉を使う意図がどこにあるのかは懸命な人ならば見抜くであろう。

「天皇制」という言葉も同じだ  国語的に憲法上に規定された「天皇」ということをして「制度」というのなら 百歩譲って可能ではあるけれど もし仮に日本の国の花が「さくら」と憲法に書かれていると仮定して これをして「さくら制度」「国花国定制度」という風に「制度」という言葉では国語的に当然違和感がある。この人の感じる違和感こそ言葉が大切に使われていないということである。 
また憲法上に規定されているから「制度」という表現を使うのだというのは強引な詭弁である。
本来制度でもない、かつ憲法にも「天皇制」という言葉もない  また歴史的にも「制度」を使用することへの弊害は 実態を唯物史観的歴史の年表にあえて当てはめたい努力をしたい人たちの為にあって、この「制度」という言葉が一人歩きすれば この定義までひとは頭が回らない そこがこの用語を使わせたい人の狙いでもあるのだ。 歴史を振り返りどこをどう探しても 明治憲法下の日本は「全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)」ではなく 立憲君主国であるのにだ 認識方法とか解釈の問題ではなく 言葉に引っ張られ「天皇」をイメージされては 天皇を仰ぎ見る臣民としては甚だ困ったことなのである。

そして未だにこの「天皇制」なる言葉は 左翼陣営に利する言葉になっているのが実態であり 

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非(あら)ズ。

という天皇と国民との関係は神話や伝説 まして制度によって結ばれているものではない 「天皇制」なる制度で天皇を表現することは 天皇と国民の繋がりは紙に書かれた文章上の関係とするのと同じなのであり一切同意できないのだ。

以上
2010/4/6(火) 投稿