「新莊地藏庵」 四日目<2> | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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「新莊地藏庵」 四日目<2>

新荘神社の遺物である日式灯籠が左右に立ち並ぶ参道を通ると そこは「新莊地藏庵」主祀は「地藏王菩薩」と「文武大眾爺」、
「地藏王菩薩」といえば言わずとも分かる仏教系となるのだが 大眾爺というのは戦闘で亡くなった人を祀るもので wikipedia新莊地藏庵によれば 【所謂「文武大眾爺」,「武大眾爺」指的是因戰亂、分類械鬥殉身的亡魂。「文大眾爺」則是指那些並未參加戰爭、械鬥而在市鎮、道路不幸因貧病過世的死者。清道光廿年(1840年),閩客械鬥於新莊一帶,閩南人勝利,客家人遠走桃園、新竹,這次械鬥陣亡的死者,被納入「武大眾爺」奉祀於新莊地藏庵.】とあり 福建から台湾に入植した閩南人と客家人とのこのふたつの族群の間に 1840年大規模な武力衝突が起こりその死者を祀ったものとのこと。



台湾の移民の歴史の中で特徴的なものが 移民の出身地の違いの争い「泉州出身者」と「漳州出身者」、族群間の争い「客家人」と「閩南人」との争いなどの 中国語で「分類械鬥」日本語で「分類械闘」と言われる武力衝突が繰り返された歴史であった。日本統治時代に徐々に武力衝突はなくなって行くわけであるが 現在もある「台湾人と客家人」「台湾人と原住民」「台湾人と外省人」の対立にも 「分類械鬥」の名残があるのではないだろうか。台湾の寺院や廟は祀られている神様で どの族群が祀ったものかでその地域にどのような族群が周りに住み着いているか分かる仕組みになっているのだ。一口に台湾人といっても大陸からの移民という部分的見方だけを見ても実に複雑な形成過程を経て今に至っている。
下の写真は「新莊地藏庵」前のバス停

以上
2012/9/1(土) 投稿

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