【リバイバル】ラフカディオ・ハーン「祖先崇拝の思想」 2003/ 1/22 大和心 No.114 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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【リバイバル】ラフカディオ・ハーン「祖先崇拝の思想」 2003/ 1/22 大和心 No.1143

ラフカディオ・ハーン「祖先崇拝の思想」から引用
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人間のあらゆる衝動、あるいは行為は、神のなせるわざであり、すべて死んだものは神となる、
というのが神道の基礎概念である・・・・
ある点では この神は生きている人間よりも本質的にすぐれたものであるけども、
そのくせ、生きている人間は、その神を喜ばしたり、機嫌をそこねたりすることもできるし、
あるいは、満足させたり、怒らせたりすることもできる・・
著名な政治家や軍人が、歿後直ちに位階を叙進されている・・・
現し世と神の世との関係の近親感を例証するものである。
日本人の考えでは、死んだも、生きているものも 
同じように、この世に実存しているものである。・・
いささかの悲しみ、いささかの喜びをも、
生きているものたちとともにわかちあうのである・・・・。
そして死者は、ささげられた供物や、天皇の下賜された尊号などを、
ひじょうによろこぶものだと、一般に考えられているのである。
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日本人の持つ基本的思考 生きているひとの領域と死者の領域が不明瞭である、これは神の領域に対しても言える。 そもそも形而上の世界に合理的な科学性はなく 非科学と直ちに否定し 嫌悪感をもつ人は 民族性なるものを人文科学として取り扱うことを拒絶しているようなものである。

この日曜日は一日寝て過ごしました。寝ては起き 起きては寝るというふうに そんなことですから本日は手抜き記事 過去記事の貼り付け。

ラフカディオハーンの話は明治のころの事、ご先祖さんと子孫、過去と未来を繋ぐ「家」というものの意識が今とずいぶん違うものだったのでしょうかね 国というものも「国家」という具合に家がつきますが ナショナリズムというものも一時の国家主義的物の産物だけではなく 普通に家の延長でもあったのだと思います。家の意識がなければ 庭も無いし 庭に進入されても 敬語で共有致しましょうかと提案しそうな不感症は 地球市民という乞食の言動なんでしょうな。以前は「一方的援助」を「経済協力」と言ってましたが 最近では『朝貢的従属関係』を『戦略的互恵関係』と言い換える変態ぶりも増し、開いた口がふさがらない。


【沖縄糸満市 幸地腹門中墓】お墓も家の形なんですね。

以上
2010/10/4(月) 投稿