派遣村について
『ホームレスやネットカフェ難民の人々は、この寒空の中を希望も見えず耐えている。今日明日の命を繋ぐので精一杯なのです。』ということで この人たちを救済しなければならないと主張する人につけた意見
どんなに経済的救済策を施してもホームレスはなくならない。
それは 一般的に周知の事実の範囲に入るが 経済的理由のみで
やむを得ずホームレスになるひとはごく稀であり その多くは精神的障害
家庭的事情、借金など個人責任の範囲での経済問題、個人的嗜好、
社会適応能力など 個人的要因が大きく関ってホームレスになっているのが
当たり前の認識としての現状。
それをただ単に雇用問題とのみ捉えて好き勝手に議論をするのは 左巻きの勝手だが
経済的支援雇用問題とイデオロギーに凝り固まっていたら 解決には程遠い。
問題点を間違って捉えたら解決への近道にはなりえない。
家出や家族に棄てられるひとの 個人的な家庭の問題に国がケヤ出来ないし
それに起因する経済的困窮まで面倒をみる必要はない
まして借金の尻拭いなんてものは法的救済で充分
軽度の精神的疾患者をホームレスだからと言って強制収容する強権は行政には認められていないし
社会に対する適応性の不適格者の取扱は雇用問題とは別の次元である。
また就業というのは職業選択の自由ということでもある これは結婚と同じで 結婚を望んでいる独身者が男女腐るほどいても無理やり独身者だからといって結婚させることなんかはできない、
雇用だって同じだろう 有効求人倍率かたとえ2を上回ったとしても 恒常的に失業者は0にはならない
失業率5%~7%ってのは実質完全雇用と同じ状態といえるだろう。
バブル期の東京ですらホームレスはいたのだ。
湯水のように湧き出てくる財源があるという前提なら「救ってあげようよ お金で解決できることなら 家庭不和も借金地獄も 好きなだけ解決可能な額をお出ししましょう 精神障害者や社会的適応不適格者には 逃げ出したいなんて思わない 御殿とお金をあげましょう やくざに食い物にされている人には国が介入して安心を提供いたしましょう」ってことを主張されたいのでしょうか?
まあそんな社会なんて 所得税率50%をでも解決しませんね。
完全雇用を純粋に求める社会が現実に行なったのが 旧社会主義国の「強制収容所」「労働矯正施設」「精神病院」「刑務所」「強制移住」これを持ってでしか完全雇用というものはありえないのだ。
要するに完全雇用に足りないという行政に対するクレームは 国や行政の能力不足の問題ではなく
経済問題でもなく、それに関連する雇用問題ではない。
さまざまな諸事情を含んだこの問題を 個人的にどう捉えるかの「思いやり」の問題であり それは個人の趣味・嗜好であり 行政に要求するには度を越した期待もしくは イデオロギー闘争の手段。
現実に起きた派遣村 200人/500の脱走は もし2万の小遣い付きでなければ 一体何人暖かい宿を求めていただろうか。
まあ「極少数の人間まで気配りが予算範囲ないで完璧な仕事のできる行政」というのは理想であり、
改善すべきは改善すればよいのだか 派遣村の現実からも救うべき人間は
億単位の金をつぎ込んでも「金額に見合ったかずを発見することすら困難」ということが
分かっただろう。派遣村の存在は 行政の平等性にも反する。貴重なる税金で集められたお金は
最低限の救済でもそれさえ手に出来ない 困難を抱えた弱者は社会にはいくらでも存在し
話題が集まったからといって一点集中の金銭の投下は パフォーマンスであり迷惑行為にほかならない
総じて言うと 行政というものの役割には限界があり 社会というのはそのような領域に関しては ノブレス・オブリージュ的施しや慈善事業に役割を与え 免税に等しい宗教法人などが負うべき期待であり
個人的に気が付く領域で個人が気にするのであれば 貴族的趣味ではないにしても出来うることはあるはずである。思いやりというものは 行政に期待すべきものではなく個人が発揮すればよいことであり 行政を指導したければ政治の世界に飛び込んで仕組みをかえるしかない。
私には時間も気持ちもないので 税制に従い社会的義務を果たせばよいと思っているので
そのようなボランティアを行なっている人には拍手を送るだけである。
2010/ 1/21 23:11 YAHOO掲示板「大和心」 No.8442 投稿
国あっての福祉 それが順番でしょうね。
以上
2010/1/21(木) 投稿