死刑制度③
台湾総合ブログですがたまに日本の時事問題なんかも取り上げています。
そのなかで何故か自分でもわかりませんが「死刑制度」「死刑制度廃止」問題がもしかすると最多であります。
見ていただいたらわかりますが死刑制度以外に ある基準を満たした殺人者に対する対応の選択の手段はありえないという立場をとっています。
簡単に言えば生命に関する重い問題と賛成・反対論者もともに認識するとするならば ダブルスタンダードは許されなく ハッキリしたスタンスで意見を表明して 語る資格が生まれると思います。
よく死刑制度反対者に対したとえば「自分の愛する家族が山口母子惨殺のようなころされ方をしても同じことが言えるのか?」という問いかけに答えている反対論者を見たことはありませんが 彼らの高尚なヒューマニズムに敬意を評して「それでも反対する」ということを素直に聞いてあげましょう。
ここで私は再度「それでも反対する」という高尚な視点を伺ったあとに訊ねたい。
「ではありえないことと返答を拒絶することなく答えてもらいたい あなたが人を3人殺して死刑判決を受けても 死刑判決に高尚なヒューマニズムで反対の立場なのですね。」
私は死刑制度を認めますし もしそのような死刑囚の立場なら 最低限命乞いすることなく 死刑にしてもらいたい。
これが人間性というものじゃないでしょうか?
「いいえ 自分の時は極刑を・・・・」というのはダブルスタンダードです。社会秩序に自分も他人もありません。
自分が死刑判決を受けてもそれでも死刑制度に反対するという立場出なければ要する 宗教的や人道的をいくらいってもダブルスタンダード、ここを明瞭にして欲しいものです。
幼稚園の時「人を殺したら死刑になるのよ」という親の教えに間違いがあったとは思えない。「喧嘩しても頭やお腹を殴ってはだめよ 物を使って人を叩いちゃだめよ 死ぬかもしれないから」という戒めが 死刑という言葉と一緒になり 中学生の頃喧嘩に明け暮れても顔面や物を使うことはなかった 充分な抑止効果じゃないでしょうかね。死刑廃止論の方はこれに勝る教育的言葉を見つけることなく どのような社会をつくりたいのだろうかと考えてしまう。
「虫をむやみに殺生したら地獄に落ちる」という制度があるとしたら この制度に同じような理屈で反対するのでしょう。
以上
2008/6/29(日) 投稿