聖火リレーに思う | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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聖火リレーに思う
ロンドンで行なわれた北京オリンピックの聖火リレーの模様をニュースでみる。
聖火ランナーの周りを取り囲む一群は深く帽子を被っているが明らかに東洋人が幾人か 
中国からの派遣なんだろうその外に警備員が取り囲み二重の人輪の中を聖火が走る
沿道もまた警備員。
拍手もなければ笑顔もない聖火リレーである。
チベットの旗を広げ聖火ランナーの前に飛び出した人は引き倒される 聖火のトウチをつかもうと手を伸ばす人、消火器を噴射する人が警備員に押さえ込まれる映像。

スポーツと政治は別というのは 五輪を政治利用したヒットラーの大会からの反省であって 同じように民族浄化をしている国には 「スポーツと政治は別であるから 政治を駆使してでも抗議」なのだろう。

「聖火リレー」というけれど何をリレーしているのやら スポーツを隠れ蓑にして また北京五輪と言う商業的行事の宣伝ということでもない 国威高揚と聖火リレーで「何事もなく歓迎された」実績作りの意地のリレーなのである。

「政治とスポーツが別」ならば「チベット虐殺と北京五輪は別」なんですか?

「今まで五輪を目指して努力したスポーツ選手がボイコットで出場できないのはまことに理不尽でそこまでやるべきでない」ならば「信仰の自由や中国の過酷な統治に素手で抗議して鎮圧殺されるのは真に理不尽で 自然に民族淘汰されれば平和でよいわけですね」そうなんでしょ?

人でなしの多い中 ロンドンやパリの節操がありすぎる抗議行動が 本物の恥を際立たせてくれた。
長野で恥を晒すのは 日本の完璧な警備とマナーの良さでなければよいが

祭りののりで清い水をかけてもだめですか?

以上
2008/4/7(月) 投稿