
「南島の神歌」外間守善 著
沖縄の万葉、祝詞、古事記に該当する古謡集「おもしろさうし」の入門書の冒頭に
一 大きみは たかへて
せちあらみと おしうけて
大きみに
おゑちへ こうて はりやせ
又 せたかこは たかへて
又 あぢおそいぎやおさうぜや
むかうかた しなて
又 おぎやかもいが御そうぜや
むかうかた しなて
・・・・・・(以下省略)
オモロ語の「しない」「しなて」は「逆らわずにしたがい、調和して、和合して」との意味で 沖縄の古代心性とあり また『「しなう」心は「おもろさうし」のほとんど全巻にみられ 人と神、人と人、人と自然、王と人民との間に滲み渡るように交流している・・・』と解釈されており
そして「しなて」という語と並んで「和やけて(なごやけて)」も「おもろそうし」に目立っていて 穏やかにして、和らげてという意味で調和、和合の精神をあらわしている。
人と自然、王と人民との古代からのこの調和と和合の『しなう心』と『大和心』は遠い昔に同じところからやってきたのだろう 大和の言葉とオモロの分岐年代は この共通の祖語が遥か昔にこの精神を持っていたということを語ってる。
そして大和心を考察する上で出てくる「心を寄せる」という大御心のありかたに似たものが また「おもろそうし」に多用されるオモロ語のひとつとして出てくるものは
きこゑきみがなし(名高い君加那志神女は)
おそて かけて(神意に添って心を掛けて、通わせて)
とどやけれ(世の中を穏やかにせよ)
・・・・(以下省略)
このなかの「掛けて」がそれで 大和心の「心を寄せる」と全く同じ意味合いで「心を掛ける」がある。自然に心を寄せることが 神々に心を寄せることであり 調和、和合の精神は 物事の事象に心を寄せることから始まり この精神が遠い昔大和が統一された後に そして琉球が統一された後にともに言葉として残ったことは興味深いことだ。
大和が連合国家を維持するために そして琉球が島々との間の交流に調和の精神が発揮されるという必要性によるものと想像はつかないが 調和をあらわす この三つの言葉が大和と琉球を繋ぐものと考えてもよいだろう。大和心は琉球列島までおよんでいる。
以上
2006/6/22(木) 投稿