昨日取り上げたニュース記事の人物 日本統治時代の民主活動家「蒋渭水」 このひとの記念公園があり2年ほどまえに撮影していたので取り上げることにする。

普通の公園を整備しただけの小さな公園であるが なぜここにあるかといえば 民進党の源流とも言うべき台湾人の民主化運動のさきがけ台湾文化協会が設立された場所に近いということ

日本語の説明があり、蒋渭水さん研究は日本語なしでは難しい。

馬英九が市長時代に整備した為彼の名がある。

左 台湾文化協会第一回理事会の合同写真 右 台湾読報社

左 台灣工友總聯盟 右 台湾民報
昨日も書きましたが 台湾の民主化運動の父であり 将来は外国人の孫文より台湾では評価を受ける時代が来るべき人物、早世した為戦後の台湾を見ずに亡くなるが 彼の仲間であった民主活動家は228、白色テロで多く闇に国民党によって葬られ もし彼が生きていたらどうなったかは歴史のIFである。
Wikipedia蒋渭水リンク
台湾民衆党は孫文の三民主義を党是とし、蒋渭水や謝春木の主導の下に農民運動、労働者運動へと変換していく。その結果1931年に総督府により解散命令が出され台湾民衆党は解散、蒋渭水も同年「同胞須団結,団結真有力(同胞は団結すべき、団結こそが力なり)」という遺言を残して41歳で逝去、同年8月23日に市民葬が執り行われ5千人の市民が参列した。
民主活動家の林献堂や蔡培火より民族主義的傾向があったものの 大規模な葬儀から 総督府も民主活動家という認識で 反国家(抗日)という位置づけではない人物であったと思われる。
以上
2008/7/23(水) 投稿

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