
以前 林森公園にある明石総督墓址の記事を書いたことがあって
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台北の日本人飲み屋街といえば林森北路 日本語が通じるスナック・居酒屋などの飲み屋が200件はあるだろうか もともとこのあたりは 大正町と呼ばれた日本人街でその北側にある 現林森公園は
日本人墓地だったところ、中国内戦に敗れた人々が台湾におちのび バラックを日本人墓地の上にたて 最近まで不法占拠が続いたが 強制撤去整理され公園になっている。
ここがバラック時代 バラックの住民は墓石をベットになんてことをされて 中国大陸から来た人と この公園が整備された時に明石総督の遺骨を掘り起こし丁寧に別の地に再埋葬し 基のお墓の址にその功績をたたえプレートを備え付ける台湾人とは 魂の取り扱いが根本的に違うことを示す良い事例で
そしてここに岳飛象が置かれているというそれだけの記事であったわけです。この岳飛像調べて見ると ここのバラックが完全に撤去される前からここに鎮座していたようだ。別に岳飛像がここに置かれている意味など考えなかった。岳飛と言う人は
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岳飛(がくひ、1103年 - 1141年)は中国南宋の武将。本来の表記では嶽飛(岳は嶽の略字)。字は鵬挙。相川湯陰(河南省湯陰県)出身。
南宋を攻撃する金に対して幾度となく勝利を収めたが、岳飛らの勢力が拡大することを恐れた宰相・秦檜に謀殺された。その功績を称えて後に鄂王(がくおう)に封じられ(岳鄂王と呼ばれる)、関羽と並んで祀られている。
と言うことで 漢民族の大英雄というわけで銅像たてるならこんなひとなんでしょうけど この岳飛とセットなのが彼を謀殺した 漢民族の大漢奸「秦檜」で 岳飛廟には秦檜夫婦像が上半身裸でひざまずき後ろ手に縛られた坐像があり つばを吐き掛け尿をあびせ 永遠にその罪を許さない 死人に鞭を打ち続ける為に据え付けてあるということを思い出した。大陸の岳飛廟に行った時の写真がどこを探してもないので 下手な絵で申し訳ないが

こんな感じです。
なぜ岳飛の銅像が日本人墓地の跡地に据え付けられているか 人のやることに意味のないことはないわけですが そこはどうでしょう。やはり鬼を押さえ込むって意味合い 深読みかな?
以上
2008/3/25(火) 投稿

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