王東海


關渡へ行く途中 銅像を発見。
「王東海」という人らしい
銅像になるというのは 何かしらの歴史が隠されていて つまらないものまでも最近はデジカメで撮影することにしている。
しばらくパソコンのなかに放置されていたが ちょっと調査
戦後1948年に大陸から台湾に 「王氏図書館」と現「志仁高中」創立者で教育者
立派な人だったのだろう。
孫が志仁高中の今の校長で
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現任志仁高中校長王永高 , 記憶猶新的説, 小時候祖父常告訴他們 : 「 四十年代的台湾 , 物資缺乏 、 人民生活普遍困苦 , 三餐都難温飽了 , 更何況読書 。 当時喜歓読書的民衆総於黄昏過後 , 路燈亮了, 利用路燈昏暈不明的光線 , 看著殘破不堪 、 缺頁掉角的書籍 ,亦是難得的享受了 」 。
這也就是以 「 助 人 」 為一生最大楽趣的王東海 , 創弁 「 王氏宗廟図書館」 的起始動機 。
というのは理解できる。
が
王 永 高 説, 台 湾 由 於 日 據 時 代 日 本 的 殖 民 政 策 , 以 及 光 復 初 期 經 濟 上 的 困 難 和 民 衆 的 観 念 未 開 , 導 致 失 学 者 非 常 普 遍 。
為 針 對 當 時 的 社 会 需 要 , 発 揮 教 育 積 極 功 能 , 於 是 一 所 針 対 失 学 多 年 , 想 再 充 実 自 己 , 享 受 読 書 楽 趣 的 進 修 補 習 學 校 — 志 仁 高 中 於 焉 成 立 了 。
そりゃ ないだろ 適当なことを よくもまあ校長レベルの人間がいえるものだ。
確かに日本統治時代 在台日本人と比較してかなりの低い水準での台湾人への教育提供であったことは事実であるが 「日本の植民地政策」とならびに「戦後直後の経済的理由」と 「民衆の観念が未開」という状況によって学問の機会を失ったとは 愚民化教育を日本がしたというのだろうか 日本が作り出したこの困窮を救い 教育の機会を与えたと たいしたものだが 学問の徒である教育者である孫が言うのはひどすぎる。
まあ こういう歴史観が存在するのはその理由が存在するということだろう。
中国大陸より当時の台湾の教育レベルは少なくとも20から30年進んでいたのは紛れもない事実 まして台湾の知識人を根こそぎ葬ったのはいったい誰だったのかと・・
以上
2006/6/14(水) 投稿

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