人口400万人の国、ニュージーランドの首都オークランド。1999年10月、初めて私はこの街を訪れました。

東京からおよそ12時間。ニュージーランド最大の都市は、この国の1/4が集まっていますが、

それでも100万人。とにかく空気の美味しい所でした。

空港から車でおよそ1時間。途中見える羊の牧場や、イングリッシュガーデンを持つ家々。

突然、坂の上から視界が開けると、そこはハウラキガルフ(オークランドの湾)。メガヨットが

世界中から集まり、港に停泊していた。

ヨットといっても風で進むヨットだけではなく、大型のクルーザーである。

日本だけがヨットは帆掛け舟になっているが、海外ではヨットは遊びや趣味で使うボートをヨットと呼んでいる。

このメガヨットが半端な大きさではないのだ。

全長20メートル以上はざらで、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長のヨットは、たしか全長40メートル、

マストの高さは50メートルもあるのだ。東京湾に停泊している、『シンフォニー』や『クリスタル』よりも

はるかに大きいのである。もちろん、船にはジャグジーが付いており、ヘリポートまで完備しているものまである。「世界にはお金持ちがいっぱいいるものだなあ。」と、ただただ関心しきりであった。

(今の不況下では、いったい何人がこのヨットを維持してるのだろう?)

この世界中のセレブの『所持品』が並んでいる港、バイアダクトハーバーに今回のアメリカズカップ獲得を狙う、

11のシンジケートの基地があった!!

(続く)

バウマンのブログ-横浜港

写真はオークランドとは関係ありません。

今年開港150周年を迎える、横浜の映像です。


きょうはヨットレースの最高峰、『アメリカズカップ』について書きます。


『アメリカズカップ』とは、1851年にロンドン万博開催を記念して、

イギリスのさい南端にあるワイト島を一周するレースが、

開かれました。その時アメリカから1艇のヨットが参加しました。

当時はイギリスが世界の産業、貿易を支配していて、

南北戦争が始まる前で、国内統一もなされていないアメリカは、

イギリスの相手になるはずがないと言われていましたが、

結局レースは、イギリスの大勢のヨットを相手に、

アメリカからやって来た1艇のヨット、

アメリカ号がぶっちぎりで幕を閉じました。


レース中、ビクトリア女王が側近に「2番目の艇はどこ?」

と聞いたところ、側近は「陛下、2番手などございませぬ。」

と答えたほど、アメリカ号は速かったのです。

アメリカはカップを母国に持ち帰る際に、「いつでも挑戦を受ける。」

と言葉を残し、これが「アメリカズカップ」となったのです。


その後、アメリカは1987年にオーストラリアに敗れるまで、

カップを100年以上守り続けてきたのです。

日本からは「ニッポンチャレンジ」が1992年から、1999-2000年まで

挑戦しましたが、いずれも準決勝敗退に終わっています。


私は「ニッポンチャレンジ」の1999-2000年の最後の挑戦まで、

ずっと追いかけてきました。その「最後」の話を、今後

書いていこうと思います。