◆航海技術を持つ古代人達◆
日本には航海技術を持った海洋民族約3万8千年前には到達しています。
伊豆諸島の神津島産の黒曜石3万8千年前の物が静岡や千葉などの本土から出土しているからです。
※2万年前の寒冷期による約130mの海面低下を加味しても陸続きにはなりません。
つまり、海を渡る他に採取する方法は考えられないのです。

また、静岡から3万年以上前の罠猟跡(落し穴)がいくつも出土しており、
沖縄の洞窟からは最世界古の釣り針(約2万3千年前)が発見されています。

またオーストラリアに次いで古い磨製石器が日本で出土しています。(約3万8千年前)

このように日本列島において旧石器時代の遺跡は1万遺跡以上、縄文時代草創期の遺跡は2千遺跡以上存在しています。(3万8千年前〜1万年前)

◆遺伝子からみる縄文人の兄弟
Y染色体遺伝子父親から息子(男から男)にのみ継承される遺伝子です。
縄文人の子孫である日本人のY染色体は、『D1a2』なのですが、
それに近い遺伝子を持つのがチベット民族『D1a1』です。
このD系統遺伝子を持つ両グループは、日本列島(島国)であることと、チベット高原(山岳地帯)であることで他民族からの侵略を免れ、当時の遺伝子を色濃く残した古代人の生き残りであることがわかります。

しかし、現在中国南部ではほぼ存在しません。漢人(O2)が席巻しています。

これは‘‘D系統の男子が皆殺しにあったか、他の地に逃れた’’ことを意味します。
ではそれ以前はどうでしょう。

◆◆姶良火砕噴火◆◆◆
約2万9千年前、鹿児島の姶良火砕噴火によって西日本は大ダメージを負います。
生き残った東日本のD系統グループ縄文文化へと独自の発展を遂げていったのではないでしょうか。

鬼界アカホヤの噴火
約7千3百年前、再び鹿児島南方大噴火が起こります。
この時、一部の縄文人朝鮮半島へと渡り、縄文土器を発生させています。(約7000年前)
また、中国に渡った縄文人長江文明を発生させたのではないでしょうか。(約7000前)
それが後に倭人と呼ばれるようになります。
このように倭人の文化圏は広く存在していました。
事実、7、8世紀ぐらいまで北朝鮮の辺りまで日本語が普通に通用していました。


古史古伝にもこれを伝えているものがあります。

◆◆古史古伝の合致◆◆
『契丹古伝』によると漢人(北方騎馬民族)が登場するまでの古代中国は『シウカラ』と呼ばれる縄文人倭人の同族が治めていたという。

また、その他古史古伝にも似たような記述があり、日本残留組の王朝や日本から大陸へ行き帰って来た帰化組のグループがあるという。
済の国の皇子徐福が書いたとされる『支那震旦國皇代歴記』にも古代中国皇帝の祖は日本からやってきた。自分のその子孫である。と書き残しています。

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◆◆漢民族のルーツ◆◆
大陸系D系統グループによって長江文明が興ると次にユーラシアステップといわれる高大な乾燥地帯から北方騎馬民族が南下し流入してきます。(突厥族・匈奴・漢民族の祖先
そして、長江文明に侵攻し、争いが勃発します。
(長江の年代古い遺跡では武器は出土しないが、新しい遺跡からは武器が出土し始める。)

そして、やがて王朝が誕生するのですが、北方騎馬民族と交わる中で、王朝の内側から秩序が崩壊し出したのが殷王朝だと思われます。



その後、登場する倭人
かくして、
夏王朝殷王朝周王朝時代に入るとその頃の倭人が中国の古書『論衡』に登場します。
倭人が献じた暢草は、中国南部が産地ですので素直に受け取れば、この倭人は、中国南部にいた先住民族(縄文人の子孫)であることが分かります。

また中国最古の地理書『山海経』にもが登場します。
列陽は、殷代の王族で賢人の箕子が移住して築いた地域です。今の平壌の辺り。

山海経での朝鮮とは、“朝鮮半島”のことを指します。
国名として朝鮮という言葉が初めて使われ始めるのは、衛氏朝鮮以降です。(前195年〜)


    〜つづく〜