今年は2668年です。
えっ?
2008年じゃないの?と思う人が多いと思いますが、初代天皇の神武天皇が日本という国を建国されたのが紀元前660年の2月11日なので、そこから数えると2668年になります。
この年代の数え方を「紀元節」と言い、
皇紀(こうき)2668年
と使います。
「紀元は歴史上で年を数えるさいの基準で,明治政府が第1代神武天皇即位の年を元年とし,日本の紀元の始まる日(神武天皇即位の日)なるがゆえに紀元節と名づけた。1872年(明治5)11月15日の太政官布告をもって,翌年1月29日を紀元節の祝日と定め,改暦の結果2月11日をこれにあて,宮中皇霊殿にて天皇親祭の祭儀となった。1914年(大正3)以来全国の神社で紀元節祭を行うこととなり,民間有志はこの日を建国祭と称して祭典が挙行されていた。
【建国記念日】大東亜戦争後の1947年,占領軍の意向としての祝祭日制度改正のさい,紀元節は廃止されたが,復活の声が高まり,1966年(昭和41)建国記念日審議会の審議答申を受けて,12月9日政令公布,翌年2月11日建国記念日式典が行われた。戦前の紀元節の祝日と意味を異にし,神武即位の日を記念するということではなく,この日が建国を記念するにふさわしい日としたのである。
http://www.tabiken.com/history/doc/E/E151L200.HTM
」
そうです、今日は日本という国の2668回目の誕生日なのです。
今では「建国記念の日」となっていますが、本来は「紀元節」という祝日だったのです。
「橿原神宮は、御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された。
第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、(ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られている。 神武天皇は、皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降られた日向(ひゅうが)国高千穂の宮におられたが、天下の政治(まつりごと)を行うべくはるばる東遷の途に立たれた。途中幾多の困難に遭われたが、ついに大和の国を中心とした中つ国を平定され、畝傍(うねび)の橿原の宮において即位の礼をあげて、国の基をたてられた。
http://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/
」
「「例祭(紀元祭・きげんさい)」
1年を通じて行われる祭典のうち、最も重要なお祭り。毎年、2月11日(現在の建国記念の日)に、勅使参向のもとに行われる。御祭神の神武天皇が橿原宮で即位された古えを偲び、建国創業の御神徳を景仰する国民的祭典として、全国津々浦々から寄せられる奉賛と、数千名に及ぶ参列者によって年々盛大に執り行われている。
http://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/2-11.html
」
しかし、上記の様に、戦後に日本に来たアメリカ占領軍により紀元節は奪われ、昭和42年2月11日に建国記念の日として復活する迄の間、日本には自国の建国を祝う日は有りませんでした。
戦後、アメリカ占領軍は、キリスト教で聖書、イスラム教でコーランに相当する日本の神話で有る「日本書紀」や「古事記」等を学校で教える事を辞めさせました。
その結果、戦後教育を受けて育った人の多くは、自国である日本という国がどの様に建国されたかという事を知りません。
その代わりに、なんと、中国(支那)の歴史に基づいた日本史を教えているのです。
"邪馬台国"とか"魏志倭人伝"というものなどは本来、中国(支那)の歴史から見た日本であり、決して日本から見た日本史では有りません。
邪馬台国→中国(支那)にとって"邪魔"な国という意味
魏志倭人伝 に用いられた「倭」の文字の意味は、
①したがう ②つつしむさま ③まわり遠い ③ちっぽけな ④つまらない、等の意味
つまり、中国(支那)から見たら、"ちっぽけで、つまらなくて、中国(支那)に従う国"という意味。
今の日本の学校では、この様な中国(支那)史観に基づく、日本を貶める様な歴史を教えているのです。
どう考えてもオカシイです!
何故、自国の歴史を教えるのが日本史の目的なのに、他国(支那)の歴史を教える必要が有るのでしょうか?
最初にも書きましたが、日本という国の歴史は神武天皇からはじまっているのです。
しかし、今の学校の教科書には神武天皇については書かれていません。
これじゃあ、自国である日本という国を愛し守り、そこから生まれる国益とか国防という思考が湧いて来る筈がありません。
今の日本の現状を見ればそれは明白な事実だと解ります。
国益を考えず私利私欲で国を操っている政治家、そして私利私欲のみで動いている資本家や企業が蔓延り、その結果、グローバルスタンダードという名目に国益が損なわれる政策が行われている結果、そういう政治家や資本家や企業に富が集中し格差が増大しているのも、この様な教育の結果なのです。
「 本日、二月十一日は建国記念日となっているが、本来は紀元節である。これは記紀によると、いまから二六六七年前にカムヤマトイワレヒコノミコトが日向から東征して、橿原の宮で即位し、神武天皇となり建都の詔を発し、祭祀をはじめられてこの国をつくられたことを記念するものである。
神武天皇の発せられた建都の詔とは次のようなものである。
三月の辛の朔丁卯に、令を下して曰はく、「我東を征ちしより、茲に六年になりにたり。頼るに皇天の威を以てして、凶徒就戮されぬ。辺の土末だ清らず、余の妖尚梗れたりと雖も、中洲之地、復風塵無し。誠に皇都を恢き廓めて、大壯を規り慕るべし。而るを今運屯蒙に属ひて、民の心素朴なり。巣に棲み穴に住みて、習俗惟常となりたり。夫れ大人制を立てて、義必ず時に随ふ。苟くも民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ。且当に山林を披き払ひ、宮室を経営りて、恭みて宝位に臨みて、元元を鎮むベし。上は乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は皇孫の正を養ひたまひし心を弘めむ。然して後に、六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇に為むこと、亦可からずや。観れば、夫の畝傍山の東南の橿原の地は、蓋し国の墺区か。治るべし」とのたまふ
これは日本書紀の記述によるものだが、ここにおいて「八紘を掩ひて宇に為むこと、亦可からずや。」というふうに、天の下に暮らす全ての人々が家族のような共同体であるべきと仰られている。これが八紘為宇、あるいは八紘一宇の精神である。
この思想について、作家の杉田幸三氏は『心に生きる日本人』(展転社)の中で、パール・S・ビースという外国人が、この神武天皇の建都の大詔について述べた言葉を紹介している。それによると、「日本の建国者は二千年も前に世界一家の理想をのべた。人類の文化史上注目すべき発言」と絶賛しているのである。
かような古に、これほどまでの理想を持って建国され、今日にいたるまで途切れる事無く万世一系の皇統を戴いて脈々と続いて来た日本。これこそまさに、人類史における奇跡である。外国人は客観的にこの奇跡に賛嘆の声をあげるが、惜しむらくは灯台下暗しの言葉通り、当の日本人がこの奇跡的な恩恵に誇りを持たず、感謝を忘れてしまったことであろう。
http://shikisima.exblog.jp/4579215/
」

