東大教授高野岩三郎、ジャーナリスト馬場恒吾、元東大助教授森戸辰男、元読売記者岩淵辰雄、元朝日記者室伏高信、憲法学者鈴木安蔵の6人の憲法草案要綱を作った憲法研究会のメンバーの中の読売記者岩淵辰雄さんの御子息がブログを書かれています。
http://www5.diary.ne.jp/user/523824/

以下、抜粋。
「<基本知識>
東大教授高野岩三郎、ジャーナリスト馬場恒吾、元東大助教授森戸辰男、元読売記者岩淵辰雄、元朝日記者室伏高信、憲法学者鈴木安蔵、これが、憲法草案要綱を作った憲法研究会のメンバーである。

曾爺さんは読売記者岩淵辰雄です。共産主義者ではなく、皇道派の保守言論者デスメタル!

先ず第一に、日本国憲法はGHQ憲法である。
平和憲法というのは、腐れ左翼や共産党がデマゴギーしているだけです。
曽祖父達がなぜ?憲法草案をつくったか。イデオロギー抜きの言論の自由の為と、統制派と軍閥の政治、経済、思想を奪う独裁体制の打破だった。
その為には、明治憲法を改正しなくては話にならない。そこで、曽祖父は時代を遡る数十年前、早稲田の学生の頃から「憲法草案」の土台を独自に考えていました。NHKの「焼け野原の憲法草案」ではそこが抜けているのだ。

そして、一日も早く独立する為には日本人の為の日本人による「憲法」を制定しなければならない。曽祖父達はマッカーサーや極東委員会に取り入れてもらう為にも「天皇の地位」について論議しなくてはならなくなった。
その改正案を論議する過程で、曽祖父は「天皇から政治大権をはずして、イギリス皇帝のような君臨すれど統治せず。」という案を主張した。

共産主義者の高野岩三郎と森戸辰男が驚いて、それは行きすぎではないかと容易に同調しなかった。
(コイツラは天皇制廃止を訴えていた!)

結果、室伏高信(朝日新聞の記者)が折衷案として「象徴」と位置づけ、天皇制は守られたのである。
これまた、NHKは詳しく経緯を伝えていない。

そして、日本国憲法は制定されるのであるが、その後の曽祖父の憲法改正運動に一つも触れていない。
日本は昭和27年に主権回復して、始めて米国より独立したのであって、日本国憲法を与えられたから独立したのでもありません。

戦時下の厳しい特高警察の網の目を潜って、平和終戦の大義の為に闘った同志の吉田茂と曾爺さんが袂を分かったのも「憲法改正」であった!
敗戦降伏した日本が占領軍の支配下になって、国民の意志が完全に封殺されていた時に、一方的に押付けられた「マッカーサー憲法」は独立国日本の憲法ではないという信念をもっていた。
吉田第一次内閣が発足した時、曾爺さんは憲法改正問題を持ち出した。だが、吉田首相はこの問題に積極的に取り組まなかったのだ!
しかし、曾爺さんの執念は挫けなかった。
終戦後の日本の政局は、政党乱立の中にあって日本の再建はできまい。三木武吉老は二大政党制の運営に持ち込もうとしていた。そのような政治改革は憲法改正と不可分と言う認識をもっていた。三木武吉老と志を同じくしていた曾爺さんは、鳩山内閣以後の自民党の党是に「憲法改正」を記載されるように持っていったのだ。
これまた、NHKは詳しく経緯を伝えていない。

憲法9条のについて爺さんが回顧録で触れているので、紹介します。

「軍備の問題についても、今になって戦争を放棄する条項は幣原の主張によったものであるとかないとか、いろいろな議論が行われている。あの条項はマッカーサーによる意見だった。しかし、いずれにせよ、日本の国は日本人の手で護るのだという意欲が、日本人の中から生まれ出てこない限り、紙に書いた憲法だけでは、解決し難いことである。戦後、膨潤として高まってきている左翼思想は、日本から日本の国を自ら護るという思想を故意に奪い去ろうとしている。この事実を改正論者は反省する必要がある。」」


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