パラオに1981年に憲法が制定・発布された。この時に「日章旗」を模した国旗
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とともに、ペリリュー兵士の歌も作られた。ペリリュー兵士とは日本兵を意味している。題して「ペ島の桜を讃える歌」。国のために尊い命をささげ、死しても島民を守り抜いた日本兵士を桜に譬(たと)え、その遺徳への感謝をつづった歌である。
作詞者はオキヤマ・トヨミ氏、ショージ・シゲオ氏。日本人ではなく、現地の人々である。日本を慕って止まない心。それが国民の8割以上が、姓名のいずれかに日本名を名乗る習慣となった。両氏の名前は、その事実を物語っている。
一
激しく弾雨(たま)が降り注ぎ
オレンジ浜を血で染めた
強兵(つわもの)たちはみな散って
ペ島(じま)は総て墓地(はか)となる
ニ
小さな異国のこの島を
死んでも守ると誓いつつ
山なす敵を迎え撃ち
弾(たま)射(う)ち尽くし食糧(しょく)もない
三
将兵(ヘいし)は桜を叫びつつ
これが最期の伝えごと
父母よ祖国よ妻や子よ
別れの桜に意味深し
四
日本の桜は春いちど
見事に咲いて明日(あす)は散る
ペ島(じま)の桜は散り散りに
玉砕(ち)れども勲功(いさお)は永久(とこしえ)に
五
今守備勇士(もののふ)の姿なく
残りし洞窟(じんち)の夢の跡
古いペ島(じま)の習慣で
我等勇士の霊魂(たま)守る
六
平和と自由の尊さを
身を鴻(こな)にしてこの島に
教えて散りし桜花
今では平和が甦る
七
どうぞ再びペリリューヘ
時なし桜花(さくら)の花びらは
椰子の木陰で待ち佗(わび)し
あつい涙がこみあげる
八
戦友遺族の皆さまに
永遠(いついつ)までもかわりなく
必ず我等は待ち望む
桜とともに皆さまを
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