「最高司令官マッカーサー元帥は、終戦後、「日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に立ち上がったのは正当防衛であった」と証言した。 マッカーサー元帥は、昭和25年10月にウェーク島においてトルーマン大統領と会見して「東京裁判は誤りだった」と告白している。翌26年、米国上院で「日本が行った戦争は自国の正当防衛のためであり、即ち侵略戦争ではなかった」と証言している。
「東京裁判関係者証言」も注目に値する。東京裁判ウェッブ裁判長は、帰国後、「東京裁判は誤りであった」と反省した。日本糾弾の急先鋒であった東京裁判首席検事キーナンは、裁判後数年にして「東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だった」と告白している。
インドのパール判事は「日本は国際法に照らして無罪である」と主張し続けた。インドのパール判事は国際法上から全被告の無罪を主張し続け、オランダのレーリンク判事、フランスのベルナール判事は、裁判の進行中から、東京裁判にはいくつもの法的手続き上の、又、南京大虐殺のごとき事実認定上の誤りが犯されていることをみてとり、裁判終結後にはそれを公然と口にするようになった。
インドのパール判事は「日本は国際法に照らして無罪である」と主張し続けた。インドのパール判事は国際法上から全被告の無罪を主張し続け、オランダのレーリンク判事、フランスのベルナール判事は、裁判の進行中から、東京裁判にはいくつもの法的手続き上の、又、南京大虐殺のごとき事実認定上の誤りが犯されていることをみてとり、裁判終結後にはそれを公然と口にするようになった。
パール博士は日本の戦後教育を大心配した。「大東亜戦争における日本は無罪である。(田中正明著『パール博士の日本無罪論』慧文社)欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である」と主張した。日本の教育書は子弟に「日本は侵略の暴挙をした」「犯罪を犯した」と教えている。日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されてゆくのを、私(パール)は平然と見過ごす訳には行かない」云々。
英国枢密院顧問官国際法権威ハンキー卿。『戦犯裁判の錯誤』を著わし、裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、「私は全然疑わない」と言明し、東京裁判の不公正を衝く。
英法曹界重鎮FJPビール氏。『野蛮への接近』を著し、「東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮な行為にほかならない。」云々。
英国国際法で有名な W・フリードマン教授。国会議員であり、王室弁護士R・T・パジョット博士等、皆パール博士を支持した。ロンドン世界事情研究所監修『世界情勢年鑑』(1950)は東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付けた。
アメリカのチャールス・ベアート博士歴史学政治学の泰斗。『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』を著しその中で、日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月前に、ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令したと発表し、パール博士の指摘した点を裏ずけた。 」
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_seisenron2.htm
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_seisenron2.htm
つまり、
東京裁判無効=日本無罪
ということです!