・「11月25日の正午にホワイトハウスで会議があった。会合に出席したのは大統領のほか、ハル国務長官、ノックス海軍長官、スターク海軍作戦部長、スティムソン陸軍長官、マーシャル参謀総長。そこで、ルーズベルト大統領は「日本は無警告で攻撃を始めることで悪名の高い国であるから、米国は多分次ぐの日曜日に攻撃を受ける可能性がある」と注意を喚起し、我々はこれにいかに対処すべきかを問題にした。問題は、我々自身が過大な危険にさらされないで、最初の一撃を撃たせるような立場に日本をいかに誘導していくべきか、ということであった。これは困難な仕事であった」

 すなわち、米首脳部は日本を開戦に向けて誘導することを話し合った。とはっきり記されている。だからこそ、ハル・ノートを日本に突きつけた翌日の27日の朝、スティムソンがハルに電話すると、ハルは「私はそれから手を引いた。今は君とノックスの手中、つまり、陸海軍の手中にある」と答えます。すなわち、この要求を突きつけられたら、もう日本が戦争に踏み切るしかないと認識した上で、ハル・ノートは出されたのですから、事実上、戦争の引き金を引いたのはどっちなのか、ということになる。

 しかも、米陸海軍はこの27日に、戦争警告電報と称する機密電報を太平洋方面の司令官に発信しています。そこには「本急報は戦争警告とみなされるべし。太平洋の安定を目指す米日交渉は終了した。日本の攻撃は数日中に予想される。戦争計画(WPL第46号)で示された任務遂行の準備をせよ」と明記されています。

 ・戦後日本で使われてきた歴史教科書などを読めばわかるように、戦争に至る迄の日本側の言い分や複雑な要因などは一顧だにされず、日本は「戦争を引き起こした侵略国家」として、それこそ一方的に断罪されてきました。

 例えばシナ事変についても、中国側の旺盛な戦意や挑発行為、停戦協定違反にはほとんど触れられることなく、「日本軍の侵略」で片付けられていた。しかし、昭和12年7月7日の盧溝橋事件の後で、日本軍がもう戦争しかないと決断したのは、中国正規軍が日本軍を直接攻撃した7月25日の郎坊事件、翌26日の広安門事件の後であった。そうした事実は、きちんと説明していきたいと考えています。

永江太郎 軍事史学会理事 諸君11月号 平成18年度より
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