本当にこの令和6年の時空では、一体何が起こっているというのでしょう?

「令和6年能登半島地震」から一夜明けた本日午後5時50分頃、羽田空港において、着陸態勢に入った日本航空新千歳発羽田行き「エアバス350型機」516便が、能登半島地震の対応のために新潟航空基地へ物資を送る途中だった海上保安庁の固定翼機「JA772A」と34R滑走路で衝突して炎上、日航機367人の乗客と12人の乗員は全員避難できたということですが、海上保安庁の航空機に乗っていた乗員6人のうち5人が救出されましたものの死亡が確認され、また、機長も重傷を負っており、日航機に乗っていた17人も怪我をしたと報道されています。

元日に発災した「令和6年能登半島地震」は、一夜明けた今日、刻一刻と更新される甚大な被害状況にただただ胸が痛くなるばかりですが、そんな中、飛び込んできたのがこの報道です。

未だ被害の全容が明らかとなっていない「令和6年能登半島地震」に加えて「羽田空港でJAL機と海保機が衝突・炎上」。

元日から続けて起こる衝撃的な不幸に、言葉を失います。

令和6年は、まさに「お正月を失った年」といえるかもしれません。


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四方拝から始まる日本のお正月。

宮中では 皇祖天照大御神の御霊代である神鏡をお祀りする賢所、御歴代の

天皇陛下 皇族殿下の御霊をお祀りする皇霊殿、天神地祇をお祀りした神殿のご祭典の御後、元日の朝に畏れ多くも陛下には儀式食を聞し召される晴御前(はれのごぜん)が、その後に諸臣から新年のご挨拶を受けられる拝賀と、宮中行事がまさに分刻みで営まれます。

この賢所・皇霊殿・神殿御祭典、晴御前、拝賀というお正月の儀式は3日まで行われます。

明治5年(皇紀2532・西暦1872)の「1月2日」には各国公使の新年参賀が初めて行われ、以後恒例となり現在に至ります。


もちろんこれらは例年通りのお話しです。

昨日発災した「令和6年能登半島地震」を受けて、すでにこうした畏き辺りの年中行事も大きなご変更とお慎みのご様子が報道されています。


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昨日、能登半島で発生した地震を受け、本日予定されていた「新年一般参賀」は中止となりました。

畏くも 天皇皇后両陛下には現地の状況に深く大御心を痛められ、厳しい寒さの中で、人命救助や消火活動などが一刻も早く進むことを願われておられるといいます。

こうしたご叡慮を拝し奉り、宮内庁は昨日夜遅く、一般参賀の中止を発表していたのです。

被災地における人命救助や消火活動の上に垂れさせ給うご叡慮のほど、誠に畏き極みです。


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昨日にもお伝えした通り、畏くも 天皇陛下には新年に当たり畏きご叡慮を賜りました。

本日もここに謹んで奉戴致します。

**新年に当たり御叡慮を示させ給う【令和6年1月1日】


昨年も地震や大雨、台風などの災害や、大雪による被害が各地で発生したほか、物価の上昇などにより、苦労された方も多かったことと思います。困難を抱えている人々のことを案じています。その一方で、助けを必要としている人々のために、様々な活動に地道に取り組んでいる人も多いことを心強く思うとともに、そのような支援の輪が広がっていくことを願っています。

世界各地で、戦争や紛争により、多数の人々の命が失われていることに心が痛みます。平和な世界を築くために、お互いの理解に努め、協力していくことの大切さを改めて感じています。

今年も、人々がお互いを思いやりながら支え合うことを願い、新しい年が、我が国と世界の人々にとって、明るい希望を持って歩んでいくことのできる年となることを祈ります。



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昨日、私はこのようなお話(2024年1月1日号)を皆さまにお届けしました。

 * * *
陛下の世界と人類の上に垂れさせ給う御叡慮のほど、誠に畏き極みです。

本日午後、石川県能登地方で震度7の揺れを観測した地震が発生し、その被災状況の全貌は未だに明らかではありません。

気象庁は「令和6年能登半島地震」と名付けています。

大きな被害の災害に気象庁は名前を付けることがあり、地震に名前が付くのは平成30年(皇紀2678・西暦2018)9月の「平成30年北海道胆振東部地震」以来ということです。

令和6年の元日に発災した突然の大地震。

正直なところ、冒頭、例年通りに寿ぎのご挨拶より始めるのは心苦しく、胸が痛むものがあるのですが、それでも例年通りのご挨拶から始めたのは「一年の計は元旦にあり」という言葉通り、やはり令和6年の始まりのご挨拶は、希望を紡ぐ言葉でありたかったからです。

しかし、やはり、今もこの瞬間、現地では度重なる地震の群発に加え、この暗くて冷たい夜に、避難所などで身を寄せ合うように過ごしておられる被災者の方々の身の上やお気持ちを想えば、晴れやかなる新春を寿ぐ心地は一気に失せて、今年への向き合い方としても、かなり気を引き締めた自覚を早々に強めることにもなりました。

旧年中に

《まるで「旧来の陋習としがらみ」が足元から地盤沈下をして“自然崩壊”するかのような動きのようにもみえてならない》

《間違いなく「事の大小を問わず、これまでの“何か”が自壊し始めている」ということ》

《私たちは、やがて歴史による審判を受けることになる「時代の過渡期」に際会し、当事者としてリアルタイムに生き、その過程を目撃している歴史的世代であるといえるだろう》

《令和6年には「第二次世界大戦後の世界」が「緩やかな崩壊」を迎えた「向こう側」の世界が生み出され始めることと思うが、果たして人類はどんな状況に置かれているのであろうか?》

と皆さまへお話ししましたが、今日の「令和6年能登半島地震」は、まさにそうしたことを象徴し、世に告げるかのような現象であるかのような気がしてなりません。

そう考えると、新年に当たり賜りたる畏きご叡慮にて思し召しの大御心は、まるですべてをお見通しであらせられたかのような思いがしてなりません。

再掲ここまで
※『「日本学会」総本部ブログ 私たちは、日本という国に生まれた。『揺れる新年 石川県能登地方の地震とともに迎えた令和6年』(2024年・1月1日号)』

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地震と津波にうちさいなまれた数多くの民草救済の状況、また被災地の被害状況に寄せさせ賜いし大御心のほどを拝し奉り、我等一億、等しく東日本大震災の時と同様に被災地へ心を寄せ合い、救済と復興への決意をいよいよ固め、広大無辺の御仁慈に応え奉らんことを期するものです。

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冒頭のお話を踏まえてお伝えしたいことがあります。

畏くも 天皇 皇后両陛下、皇族殿下には大変ご多忙な御日常をお過ごしになられているというお話についてです。

いわゆる“日本国憲法”に定められている「国事に関する行為」だけでも内閣総理大臣および最高裁長官の任命、法律・政令・条約の公布、国会の召集、衆議院の解散、総選挙施行の公示、大臣および法律の定める官吏の任免や全権委任状および大使・公使の信任状の認証、恩赦の認証、栄典の授与、批准書や外交文書の認証、外国の大使・公使の接受、儀式を行うことなどといった日常的な激務が山のようにおありで、その一方で、ご会見・ご引見、拝謁・お茶・ご会釈、午餐・晩餐、園遊会、国内各地・各分野への行幸啓(お出まし)、国賓・公賓・公式実務訪問賓客のご接遇、信任状捧呈式、ご親書・ご親電、外国行幸啓などの「御公務」が毎日分刻みでスケジュール化されていて、これらもすべて親しく臨まれ、それに加えて何よりも大切な宮中祭祀にも臨まれておいでです。

驚くべきことに 畏れ多くも両陛下、皇族殿下には公式な「休日」というべき日がなく、御静養をはじめとした「御休日」というのも「一時お休みになられたり、重臣をはじめとする国民がお目にかかる日」というための日であり、一般での「一時待機」や「一時休憩」の意味合いが強く、私どもの日常における「オフの日」が一日もおありになられないのです。


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畏くも 太上天皇のご譲位に関するトピックスでもお話ししたことですが、当時もこのご多忙ぶりが注目され、かねてからご負担の軽減に努めた当局の取り計らいもあったものの、それでも私どもの日常における「オフの日」が月にたったの2日しかなかったことが話題にもなったりしました。

不敬な言い方になってはいけませんが、私どもに当てはめてみると「普段の仕事に加えて、気の抜けない冠婚葬祭の予定が毎日入っているような日常」だと想像すれば、その大変なご多忙ぶり、ご苦労ぶりの一端を感じることができます。

私どもの幸せと世の平安のために、大晦日の夜が明けきれぬ頃合いから新年の初日の光が地を明るく照らした後も、ひたむきに宮中祭祀や御公務へ励んでおられる 天皇 皇后両陛下、皇族殿下の献身的なご日常を拝しますと、そのいつくしみ深き大御心と 皇恩の有難さには、何とも言葉に形容しがたい想いが込み上げ、胸が熱くなります。

かつて日常の時間と空間にも存在していた在りし日の「日本」という悠久のエッセンスが浮かび上がるかのようです。


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令和6年1月2日。

「令和6年能登半島地震」による新年一般参賀の中止という、民草の上に垂れさせ給いし大いなる御仁慈に、ご聖慮のほどを拝察して、ただ我等、万斛の涙を飲む想いが致します。


2年前にもお話ししたことではありますが、本年も皆さまにお伝えしたい想いがあります。

令和6年こそは、今やすっかり「空間」から消失した「日本」を「時間」の中に存在する「日本」の中から探り訪ねて「日本という時間と空間とが交差する年」となるようにみんなが想いを寄せ合い、こころを重ね合わせ、ともに手をつなぎながら、御稜威のもと、やすらかにやわらぎ、おだやかで変わりのない世の安穏を育む素敵な年にしていきましょう。

未来への希望と祈りを込めて、本日は最後に、畏くも 昭憲皇太后の「迎年言志」というお題の御歌(明治7年 歌御会始御歌)を謹んで奉戴致します。


はつ国を しらしし御代の すがたにも たちかへりゆく 年のゆたけさ
口語訳:はじめてこの国をお治めあそばした 天皇の御代の、すがすがしい姿にたちかえる思いがして心ゆたかな新年です。
『明治神宮編・発行『新版 明治の聖代』(平成27年11月25日第五刷・明治神宮)』



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上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も続いてお栄えになりますように。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日をつむぎ未来をひらく」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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