令和5年(皇紀2683・西暦2023)も、悠久の時の流れとともに過ぎようとしています。

毎年の大晦日に思うことは同じです。

昨年の大晦日、こうして皆さまへお話しした内容を振り返ってみると、一年経った今、年越しを迎えんとする今日、皆さまにお伝えしたいこと、主張したいことが変わらずほぼ同じであることに、やはり何とも言い難い複雑な想いが致します。

もちろん個別のリアルタイムな出来事や向き合う事柄は異なります。

しかし昨年もお話しした「エッセンシャルなことに向き合い、問い続けながら、いま導き出せる答えを懸命に生み育む」ということに、「年の違いなどは関係ない」ということであるのだと、あらためて痛感します。

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今年も振り返ればいろいろなことがありました。

昨年の2月24日に勃発したウクライナ事変の衝撃で、世界が揺るがされたままの年越しから始まった今年。

経済・外交・情報などを手段とし、アメリカを中心とする自由主義陣営と支那(中華人民共和国)を中心とする全体主義陣営との激しい思想・政治闘争を背景にした現在の米支関係を表す「砲火は交えないが、戦争を思わせるような国際間の厳しい政治・思想・文化闘争の状況」たる「新しい冷戦」=第二次東西冷戦の正式な“開戦”を迎えた今年。

「representation(レプリゼンテーション、多様性の表現・表出)」と「inclusion(インクルージョン、多様性の包摂)」のスローガンを掲げる欧米の「現代文化大革命=ブルジョア文化大革命」(市民文化大革命・シチズン文化大革命/シティズン文化大革命とも)が“アメリカからの直輸入=内政干渉”による侵襲を招来することとなり、その理念法ともいうべき、いわゆる“LGBT理解増進法”なる怪奇な悪法を与野党合同で誕生させ、国体の変革あるいは否定を目的とし、日本の思想・文化・風俗・習慣を打破しようとする新たな脅威を自ら生み出してしまった今年。

旧ジャニーズ事務所(現SMILE―UP.)の創業者で「ジャニー喜多川」こと故喜多川擴(きたがわひろむ)氏による性加害問題の告発を起因としたジャニーズ・ショックによって明らかとなった「マスメディア+芸能プロダクション+広告代理店の三者の結びつき」による“鉄の三角形(トライアングル)”と「親密な利害関係者の悪質な性犯罪を隠蔽し黙殺する、形ばかりの報道機関と形骸化したジャーナリズム」という醜悪で致命的な現実が明らかとなった今年。

支那のバブル崩壊が今や公知の事実として認知されることとなった今年。

パレスチナの「ハマス」によるイスラエルへの奇襲攻撃によって「中東事変」が勃発した今年。

「日本臨時政府=暫定政権(戦後レジーム)の担任与党」たる役割を果たし続ける自由民主党という政党が、いよいよその歴史的崩壊の序章へ突入した「自民党パー券裏金事件」が発覚した今年。


などなど・・・。

ざっくり振り返るだけでも、これだけの重大事件が山のように起こった年でもありました。

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今年も昨年お話ししたことをあらためて皆さまへお伝えします。

平成から令和への御代替わりをお迎えした現代、何事にも「予兆」というものがありますが、日本を見ても戦後を通じて何かが原点から狂いつつあり、その振幅は増大こそすれ小さくはなりません。

世界も同様で、その国や地域の国民・民族自身の思想・文化・風俗・習慣が打破され、歴史と伝統を本質的に否定する怪奇な趨勢がみられます。

日本や欧米、そのいずれを取り上げても巨大な暗黒の深淵に向かって人類は突き進んでいます。

いま、何か異常で大変なことが起こりつつあることは、皆が直感として感じています。

ただ誰も為す術をもたず、「今だけ、カネだけ、自分だけ」といった目先の金儲けと自分の利益と娯楽のみに囚われ盲目的に生きている人が多いのも事実です。

そして私たちの与り知らぬところで、異常な、常識を超えた「不都合な真実」と「今そこにある危機」が進行しているのです。

もしかしたら私たち日本人は「恐怖」というエッセンシャルな感覚がマヒしてしまっているのかもしれません。

一番の「恐怖」とは、人々(特に私たち日本人)の「無関心」そのものにあります。

実はいかなる支配層・権力構造も、その構成が一握りのマイノリティーである以上、「世論」という大衆パワーには太刀打ちできません。

まず大事なことは、個々それぞれが社会政治的問題を真剣に考え、一人でも多くの人たちが関心を持つよう一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることが第一歩です。

何事もそうですが、人間とは関心を持つ対象が大きくなるほどに、その人の価値=スケールが決定されるといいます。

かのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、次のような言葉を残してこの世を去りました。

「君は生を安易にしたいか。それならば常に群衆の間に留まれ。そして群衆と一緒になって我を忘れよ」(ニーチェ遺稿より抜粋)

イギリスの生物学者、トマス・ヘンリー・ハクスリーのものとして語り継がれる次の言葉も有名です。

「事実を前にして幼児の如く脆きものである。もし、それが奈落なりとも、一切の予断を排し謙虚におもむくがよい。さもなくば何事も学び得ないであろう」

私たち一人ひとりはこれから先の未来へ向けて、そのいずれを選択するのでしょう。

「今そこにある危機」や「不都合な真実」への一般の認識レベルは、鎖国時代の日本人と世界情勢への盲目さと驚くほど似通っています。


昨年の今日

《現在進行中のウクライナ事変に対する考察も何度かお話ししてきたが、この侵略戦争がもたらせた「20世紀型戦後世界の終焉」は、世界各国に、「外的要因に決して動揺することのない自国の揺るがない思想・政治・経済・国防の本質」=「4つの本質論」に真正面から向き合い、「自国のアイデンティティー(国の主体性・国民の自己同一性)」を再発見あるいは新発見を促す必然とした巡り合わせをもたらし、これからの新しい世界的な趨勢を大衆レベルで生み出しつつある。》

とお話ししていますが、今年はさらに「新しい冷戦」=第二次東西冷戦の正式な“開戦”と同時に「現代文革」の侵襲、「中東事変」の勃発、チャイナバブル崩壊後の支那の軍国主義的侵略策動などの「新たなる脅威」までが惹起されました。

幕末期の幕府首脳の考え方と現代の列強諸国の支配層のそれは、スケール的には異なれど本質的には同様かもしれず、シンプルに考えれば世界のリアリズムも、今や限界に達しているのが現状なのかもしれません。

昨年の今日

《何はともあれ、来たる令和5年には「第二次世界大戦後の世界」の解答が出ることと思うが、果たして来年、人類はどんな状況に置かれているのであろうか?》

と語りました。

今年の今日、昨年を踏まえてこう思います。

何はともあれ、来たる令和6年には「第二次世界大戦後の世界」が「緩やかな崩壊」を迎えた「向こう側」の世界が生み出され始めることと思いますが、果たして来年、人類はどんな状況に置かれているのでしょうか?

と。
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畏くも 明治天皇ご降誕170年、崩御110年という歴史的な年であった昨年、「新しい景色」を求め、結果として「新しい時代」の到来を告げるのと同時に、「もうひとつの新しい景色」を日本国民に見せてくれたサッカー日本代表=森保ジャパンが、日の丸を背負って遠い異国の地でその雄姿を魅せたFIFAカタール・ワールドカップの感動を引き継ぐかのように、今年開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において見事世界一の栄冠に輝いた侍ジャパン。

将棋界の頂点であるタイトルをすべて手にする前人未到の「八冠独占」を、21歳にして成し遂げた藤井聡太八冠。

個人的には今年も豊作年であった名作テレビドラマ。

引き続き「レトロ」や「シティーポップ」をはじめ、昭和・平成のマス・カルチャーがインスパイアし、その“ネクスト”として令和に「創生」を育んだかのようなサウンドやモード。
※YOASOBIさんはもちろん、MY FIRST STORYさんの「I'm a mess」やSEKAI NO OWARIさんの「最高到達点」などは個人的にかなり感覚的な心地良さを覚えます。


などなど・・・。

政治・経済・社会・文化・芸能・スポーツなどなど、それぞれのお話を振り返るだけで、長話になってしまいます。

今年もいろいろなお話しをしてまいりましたし、やはりこの大晦日に、これ以上長々と話を続けるのは野暮なことでしょうから、今回も控えたいと思います。

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ただ毎年これだけはぜひ皆さまにお伝えしたいと思います。

大晦日に「四方拝」についてお話しをしていることについてです。

現在では宮中の年中行事、祭祀として継承されていますが、戦前・戦中までは日本の祝祭日として広く国民の間でも行われてきた年の初めの行事です。

元旦の早朝、四方を拝し、五穀豊穰、無事息災を祈るというもので、農耕儀礼として古くから行われてきましたが、最近では民間レベルでの年始のイベントとしては廃れてしまった感があります。

畏くも 天皇陛下には元旦の午前5時半、皇宮内の神嘉殿の南庭で、皇大神宮、豊受大神宮、山陵、四方の諸神を御遥拝、御親拝あらせられます。

迎える令和6年の元旦。

同じく午前5時半に皆さまのお家から 皇宮を遥拝(最敬礼)し、北から時計回りに「二拝二拍手一拝」のお作法で祈りを捧げましょう。

ご先祖さまもなさっておられた大切な年中行事です。

例年「来年の元旦から、お茶の間の年中行事として四方拝を定着させていきましょう」と呼びかけていますが、間もなく迎える年越し早朝午前5時半に皆さまも一緒に四方拝から清々しい新年を始めましょう。

令和5年の最終日である大晦日の今日、私は「日本学会」を代表して、やはりこう皆さまへ呼びかけます。

「令和の聖代における国体明徴を」

そして

「令和の聖代から日本ルネサンスを」

今年も乱文乱筆による拙いお話しばかりでしたが、それでもそんな話に寄り添い、お付き合いくださった皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。

また常々、こんな地味で退屈な話に「いいね」をしてくださる方、フォローしてくださる方、本当にありがとうございます。

「いいね」やフォロー、あるいはコメントやメッセージをくださることは本当に嬉しく、また励みとなり、明日への糧ともなっています。

心からの御礼を申し上げます。

皆さまの心に「何か」が残ってくれたとしたら、これに勝る喜びはありません。

どうか皆さま、ごきげんよう。

よいお年をお迎えください。


最後に、畏くも 明治天皇の「歳暮」というお題の御製(明治17年)を奉戴致します。


をしめども 今年はくれぬ あたらしき 初日のかげに いざやむかはむ
口語訳:いくら惜しんでも今年一年は暮れてしまった。さあ新しい年の初日の光に向かって新しい歩みを踏み出そう。
『明治神宮編・発行『新版 明治の聖代』(平成27年11月25日第五刷・明治神宮)』



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上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も続いてお栄えになりますように。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日と未来をつむぐ」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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