天皇陛下の万歳を祝し奉ります。
皇后陛下の万歳を祝し奉ります。

皆さま、太上天皇のお誕生日おめでとうございます♪
畏くも 太上天皇御聖誕90年 慶祝の日をお迎えいたしました。

卒寿のお誕生日をお迎えあそばされました。

皇民たる日本国民一同、心より奉祝の誠を捧げます。

私ども日本の国民は、古来より 天皇を現御神(あきつみかみ)と仰ぎ奉るとともに、また 皇室を宗家としていただいています。

天皇陛下は、この 皇室の御家長で、皇族はその御家族でいらっしゃいます。

太上天皇は、御名を明仁(あきひと)と申しあげ、昭和8年12月23日、御降誕になりました。

御年18歳で、立太子の礼をお受けになり、御年54歳から、昭和天皇の御不例のため二度にわたり国事行為臨時代行として、政(まつりごと)を御覧になり、平成元年1月7日御年55歳でご践祚、同2年11月12日ご即位の大礼をお挙げになり、同31年4月30日にご譲位あそばされました。

御恵みは国の内にあまねく、御稜威は国の外まで輝き渡りました。

誠にめでたい限りと申さなければなりません。

わが大日本は万世一系の 天皇をいただく国でありますから、御稜威のいよいよ高く、皇室のいよいよお栄えになることは、やがてわが大日本の永久(とこしえ)に栄え行くことを示して、私たち国民のこの上もない幸せです。


     ◇

この日をお迎えし、振り返って想うことは、幼い時に昭和から平成の御代替わりをお迎えして、我が青春の日々は平成の御代とともにあったという大切な思い出です。

個人的な人生の歴史においても平成は本当に想いの深い御代です。


あんなこと、こんなのこと、嬉しかったことも悲しかったことも、将来に対するただぼんやりとした希望だけで、まだ見ぬ明日へ向けて夢を追い求める情熱を飾る「ストーリー」として日常が輝く・・・そんな御代が平成でした。

政治、経済、社会、文化、芸能、国際情勢など、本当に色とりどりの出来事が彩る平成の御代でもありました。

平成3年(皇紀2651・西暦1991)に訪れたバブル崩壊に始まる大不況。

阪神淡路大震災や松本・地下鉄両サリン事件、東日本大震災など、世の中を揺るがせた大規模災害、重大事件が群発した御代でもありました。

根本的な解決をすることなく、こうした社会政治的諸問題を「平成の負の遺産」としてそのまま引き継いだ現在。

その「後始末」や「清算処理」を背負った私たちの責任は大きいものがあります。

太上天皇 皇太后陛下へその務めを立派に果たし尽くして、国力が強く、すべてのことが興隆し、国民が世界に羨むものがなく生活する令和の御代を実現する営みをご覧いただき、お喜びいただけるようにしていきましょう。

何といっても、太上天皇のご譲位によって、元号が平成から令和へと改元せられ、すっかり「西暦」が定着した現在の戦後現代人に、あらためて「年号」の価値と尊厳が再発見あるいは新発見され、再認識されることにもなりました。


今日にちなんで、あらためて皆さまにお話しします。

     ◇

元号には「一世一元の大義」があります。

畏くも 天皇陛下には「時間」を統治し給い、それを「空間」の統治を通じて「時空」を「しろしめす」ことを明らかにされる古来悠久のお役割を果たしておられます。

それ故に、御歴代の 天皇陛下には森羅万象、良きこと悪しきことそのすべての責任を御身にすべて背負われるご自覚とお覚悟に徹してこられました。


深刻な天災やテロ事件などといった非常時も多々発生した平成の御代にご君臨なさっておられた 太上天皇・皇太后陛下の大御心は如何ばかりでいらしたことでしょう。

改元は国史上、戦乱や天変地異などの際にも行われてきました。

それはまさに「時空の更新」による「グレートリセット」によって、それまでの悪しきもの、汚らわしきもの、忌むべきものをすべて「なかったこと」にして、清く、正しく、明るく、朗らかで美しく、新しい「時間」と「空間」へと切り替えることを意味しています。


畏くも 明治天皇には、こうした先例を改められ「一世一元」を御定めになられました。

ここにその「改元ノ詔」を謹んで奉戴致します。


**改元ノ詔【明治元年9月8日】

詔体太乙而登位膺景命以改元洵聖代之典型而万世之標準也朕雖否徳幸頼祖宗之霊祇承鴻緒躬親万機之政乃改元欲与海内億兆更始一新其改慶応四年為明治元年自今以後革易旧制一世一元以為永式主者施行


畏くも聖旨を拝しますと「どんなことも、あらゆることも、そのすべての責任を一身に背負って治世を全うし、すべてを抱えて崩ずる」という、とてつもなく計り知れないご自覚とお覚悟をお示しになられたことを意味しています。

こうして明治、大正、昭和と聖代は全うされました。

これが元号における「一世一元の大義」です。


不敬を覚悟で申し上げますと、太上天皇におかせられましては、きっと御譲位と御改元によって「グレートリセット」を思し召され、平成の御代におけるすべてのことを御身にのみお抱えになられて、今上天皇陛下に清く、正しく、明るく、朗らかで美しく、新しい「時間」と「空間」すなわち令和の聖代への切り替えを勅願なさったのではないかと思えてならないのです。

以前にもお話ししている通り、この12月23日は、かなり根深い、ある歴史的な一日でもあるのです。

極東国際軍事裁判(東京裁判)にて、いわゆる“A級戦犯”とされた7名の(板垣征四郎・木村兵太郎・土肥原賢二・東条英機・武藤章・松井石根・広田弘毅)死刑が執行された日でもあります。

昭和23年(皇紀2608・西暦1948)のことです。

この極東国際軍事裁判というのは、相当慎重に因縁付けようとした意図的な要素があり、“起訴”されたのは昭和21年(皇紀2606・西暦1946)の4月29日、つまり当時の天長節が選ばれ、“死刑執行の日”は当時、皇太子殿下のお誕生日である12月23日がわざわざ選ばれました。

「日本人に永遠に因縁付けようとするかなり執拗で陰湿な怨念じみた悪意」を強く感じます。

太上天皇のご譲位の聖慮として「グレートリセット」を思し召されたのではないかと、これまでお話しましたが、私はこうした「敗戦の陰湿な因縁」をも義絶し祓い清めんとした大御心をも拝することができるように思えてなりません。


本当に涙が出てきます。

「世の中のすべての良きことは我が喜び、世の中のすべての悪しきことは我が責任」

こんなあまりにも過酷で耐え切れないご自覚とお覚悟に徹しておられる 天皇 皇后両陛下、太上天皇、皇太后陛下、皇族殿下。

私ども日本人は、小なりといえども、みんながともに幸せとなり、国を栄えさせて、ただただ宸襟を安んじ奉らんとの念願で心を合わせて、皆が手を取り合いながら、今日と明日への希望を紡いでいきましょう。


     ◇

報道によりますと、畏くも 太上天皇には、皇太后陛下とご一緒に、お健やかに、穏やかな日々を静かにお過ごしになられておられるといいます。

昨年の4月に東京・元赤坂の赤坂御用地内の仙洞御所に遷御、御代替わりに伴う遷幸を終えられ、平成5年(皇紀2653・西暦1993)まで33年余をお過ごしになられた思い出の地で、規則正しいご日常の御中、皇太后陛下と朝夕のご散策をお楽しみあそばされておいでだということです。

午前7時のニュースを御覧になられてのご朝食。

新聞へ御目を通された御後、両陛下での「ご本の音読」も続けておられ、最近、両陛下には小学5年生当時に親しまれた国語の教科書をお読み返されておられるということです。

将棋の藤井聡太八冠の活躍を受け、最近は侍従と将棋をお楽しみあそばされることもあるそうです。

毎日側近から国の内外の出来事について説明を受けられ、新聞やテレビのニュースもよく上覧になられ、広く国内外の出来事から、国民生活の様子に大御心を配られておられます。

また、地震が発生すると、昼夜を問わず、すぐにテレビ速報を上覧になられ、被災状況をご確認あそばされておられるということです。

また、昨年4月の仙洞御所遷御の御後、チェロのレッスンを月に数回のペースで再開され、音楽にも親しまれておられ、ライフワークのハゼご研究のため、毎週水曜日の午前に御所でのご研究のほか、皇宮内の生物学御研究所へ毎週月曜日と金曜日の午前午後に出御あらせられ、顕微鏡での標本観察などの学術研究、そして2か月に1回、国立科学博物館が主催する魚類分類研究会のオンライン会合にも可能な限り出御あらせられるとのことです。

これまでにご発表あらせられたハゼ科魚類の分類に関するご論文は、現在でも研究者のみならず図鑑等の啓蒙書でも引用されているそうですが、ご発表から40年が経過し、研究対象とされた同属の種の数も増え、その生態や分布に関する新たな知見も見られることから、太上天皇にはこれまでにご発表あそばされたご論文を詳細に再検証することをお決めになられたということです。

ご研究のない日の午前中は歴史や文化、自然などのテレビ番組の録画を上覧になられ、夕方には両陛下で赤坂御用地内を30分ほどご散策、読書や大相撲中継をお楽しみになられることもあるそうで、夕方のご散策の御後は 皇太后陛下や宮内庁職員とご歓談あそばされておいでだそうです。

昨年7月に診断された三尖弁閉鎖不全による右心不全については、「現在も血液検査のBNP値がやや高く、少量ながら胸水貯留も認められる」とのことですが、お薬の服用、水分の摂取制限といった内科的治療により、昨年末以降、比較的安定した状態が続き、また、昨年お受けになった白内障及び緑内障手術のその後の経過は順調という喜ばしき報道があり、私ども国民一同、心より安堵致しました。

今は運動量も増え、ご散策での玉歩の距離をお延ばしになられているということです。

今年5月から感染症法上の位置づけが変更された新型コロナウイルス感染症(武漢肺炎)の感染状況と社会対応の変化にご注目あらせられる一方、世界的に異常気象が発生していることをお気に留めておられ、梅雨から夏にかけ全国各地で発生した線状降水帯による大雨被害や今夏の記録的な高温による熱中症患者の増加や農作物への影響について案じていらっしゃり、また東日本大震災をはじめ、各地の災害で被災した人々や、様々な文化財の被害などに今でも大御心を寄せて下さっておられるといいます。

ご在位中にお見舞になられた東日本大震災を始めとする被災地のその後の様子をいつも大御心に留められ、とりわけ、原発事故による放射能汚染により未だ帰還困難者がいる福島県の状況を案じておられるということです。

東日本大震災については、太上天皇が詠まれた御製


大いなる まがのいたみに 耐へて生くる 人の言葉に 心打たるる


と、皇太后陛下の御歌


今ひとたび 立ち上がりゆく 村むらよ 失(う)せたるものの 面影の上(へ)に


に節をつけた祭祀舞が、今年3月11日、宮城県石巻市にある鹿島御児神社の東日本大震災物故者慰霊祭で奉奏されたという奉告をお受けになられたということです。

新聞記事やニュースで話題になった国や地域については、ご訪問当時の様子やお会いになった人々のことを皇太后陛下とよく話題にされています。

畏くも 天皇皇后両陛下、皇太弟同妃両殿下 皇族殿下の外国行幸啓の折は、無事のお務めとご帰国を願われつつ、その国を行幸啓になった当時のことを懐かしく思い起こされていらっしゃるそうです。

これまでの行幸啓国の中には、社会情勢が当時と一変しているところもあり、時に外部の識者からそうした国の現況について説明を受けられたこともありました。

外国元首の中には、個人的なご交誼から、今でも季節の挨拶状や書状を送ってこられる方が多くあるとのことです。

畏くも太上天皇には、過去の出会い、一期一会をとても大切になさっていらっしゃるといいます。

平成9年(皇紀2657・西暦1997)ブラジル行幸啓を機に、日本語と日本文化を学ぶ日系ブラジル人学校「松柏学園・大志万学院」の生徒から、毎年、学校での様子をお伝えする日本語の作文が奉呈されているそうで、今年も運動会の様子を伝える案内状や作文集が届き、いつものように 皇太后陛下とご一緒に楽しそうにお目を通していらっしゃったそうです。

夏の那須御用邸ご滞在の折には、これまで行幸啓になった農家の人々の来訪を受けて再会をお楽しみになられ、秋には昭和60年(皇紀2645・西暦1985)の北欧4か国行啓の折に、フィンランドとデンマークでそれぞれお会いになり、ご交流が始まった日本人ピアニストの都内演奏会に
皇太后陛下と御幸になりました。

宮中祭祀については、ご在位中はもとより今も引き続き一番大切に思し召され、祭祀が行われる間、 上皇皇太后両陛下にはいつも静かにお慎みになっていらっしゃるそうです。

今年の新嘗祭でも、上皇皇太后両陛下には 天皇陛下の出御に合わせられてお慎みの時を過ごされ、暁の儀が終了する深夜までお慎みをお続けになられたそうです。

沖縄県慰霊の日、広島・長崎原爆の日、終戦記念日、阪神淡路大震災と東日本大震災の発生日には、今もテレビ中継に合わせて 皇太后陛下とともに黙祷され、沖縄や戦争と平和への思し召しは今もお強く、今年2月に御幸になったJICA横浜海外移住資料館の「沖縄移民の歴史と世界のウチナ―ンチュの絆」展や平和祈念展示資料館で開催された企画展「収容所(ラーゲリ)と日本を結んだ葉書」では、説明者に熱心にご下問になり、興味深く上覧になりました。

皇太后陛下とのお話の中でも、琉歌や琉球舞踊など沖縄の文化や歴史、沖縄のハンセン病療養所等を行幸啓になった思い出とともに、ご疎開中の日光や終戦直後の東京都小金井市の東宮御仮寓所でのご生活、軽井沢大日向を開墾した満蒙開拓団の人々のことなどがよく話題になっているということです。

日々のご生活の中で今も変わりなく、苦労や困難の中にある人々を常に案じ、それを支える人々の活動へ大御心を寄せられ、人々の幸せと社会の安寧を願っていらっしゃいます。

     ◇

申しあげるまでもなく、今日は平成の御代における天長節にあたります。

平成の御代における地久節は10月20日です。

今年の 皇太后陛下のお誕生日(10月20日)の際にも、私は《ご譲位による御代替わりをお迎えし、畏くも 太上天皇、皇太后陛下のまします令和の御代に生きる私どもが、平成の天長節、地久節をどういう奉祝の誠を捧げる日とするべきでしょうか?》とお話しし、次のように皆さまへ呼びかけました。

一部抜粋して振り返ります。

 * * *
国民の祝日に関する法律で定められている「国民の祝日」の中に、「敬老の日」があります。

同法第2条では、この「敬老の日」について「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」としています。

昭和41年(皇紀2626・西暦1966)に、建国記念の日、体育の日とともに追加制定された「国民の祝日」です。

平成の天長節であった畏くも 太上天皇のお誕生日である12月23日、そして平成の地久節であった畏くも 皇太后陛下のお誕生日である10月20日を、それぞれ「太上天皇のお誕生日、皇太后陛下のお誕生日をお祝いするとともに、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」とすることを皆さまに呼びかけます。

ちなみに国民の祝日に関する法律では、これまで平成14年(皇紀2662・西暦2002)までは毎年9月15日を「敬老の日」としていました。

これは、聖徳太子さまが四天王寺に悲田院(貧窮者・病者・孤児などを救うための施設)を設立なさった日にちなんだものです。

国家の祝日たるナショナルデーの由縁としては歴史的伝統や文化に則ったようにも思えます。

ところが平成15年(皇紀2663・西暦2003)から現行の「9月の第3月曜日」となっています。

国民の祝日に関する法律第1条で「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日」(条文ママ)として定め、これを「国民の祝日」と名づける日が、いまや「歴史的伝統や趣旨が忘却された単なる休日と化していること」となっている、あるいはしている現状は、まさに文化への冒涜とも思えてなりません。

地久節は母の日であるのと同時に、女子・女性の祝日でもあります。

皇太后陛下のお誕生日をお迎えした今日。

特に女の子や女性の皆さまには、女性同士が 皇太后陛下のお誕生日をお祝いし、祖母への想いをともに、お年寄りを敬愛し、長寿を祝うあたたかいひとときを過ごしていただきたいものです。

再掲ここまで
※『「日本学会」総本部ブログ 私たちは、日本という国に生まれた。『奉祝 皇太后陛下のお誕生日おめでとうございます』(2023年・12月9日号)

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10月20日と同じく、本日12月23日もあらためて皆さまに呼びかけます。

平成の天長節であった畏くも 太上天皇のお誕生日である12月23日、そして平成の地久節であった畏くも 皇太后陛下のお誕生日である10月20日を、それぞれ「太上天皇のお誕生日、皇太后陛下のお誕生日をお祝いするとともに、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」としましょう。

限りなき 皇恩のありがたさに浴する身である私ども日本国民一同、心より謹んでお祝い申し上げ、ただただ宸襟を安んじ奉らんとの念願を共に、みんなで真心を合わせて想いをつなぎ、皇室の弥栄に未来の希望を明るくしていく努力を積み重ね、御稜威のもと、真心と想いを合わせて広大無辺なる 皇恩に応え奉ってまいりましょう。


最後に、畏くも 明治天皇の「」というお題の御製(明治43年)を謹んで奉戴致します。


ならびゆく 人にはよしや おくるとも ただしきみちを ふみなたがへそ
口語訳:大勢の人たちと並んで進む人生で、たとえ人より遅れるようなことがあろうとも、決して正しい道をふみはずすようなことがあってはならない。
『明治神宮編・発行『新版 明治の聖代』(平成27年11月25日第五刷・明治神宮)』



   ◇

上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も続いてお栄えになりますように。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日と未来をつむぐ」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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