今日も12月22日にちなんだ「今日は何の日」というお話からです。

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文久元年(皇紀2521・西暦1861)の「12月22日」には、幕府遣欧使節が品川を出発。

そこには、かの福沢諭吉福地源一郎も随行しています。

明治18年(皇紀2545・西暦1885)の今日、太政官が廃止されて内閣制度が置かれることとなり、伊藤博文が内閣総理大臣に就任(第一次伊藤内閣)します。

明治38年(皇紀2565・西暦1905)にはロシアの利権引継ぎに関する清国との条約、付随協定、付随取極め各々の調印が果たされます。

やはり皆さまへお話ししたいこと、お伝えしたい想いは同じです。

今日も以前にお話ししたことを踏まえながらお届けします。

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黒船来航によって「西洋」という「近代」との接近遭遇を経験した日本。

当時の江戸幕府は近代揺籃の地たるヨーロッパへ使節団を派遣することにより、「世界」のリアリズムを学ぶ努力を始めます。

旧来の幕藩体制内で近代化を推進する試みは幕府も取り組みますが、「近代化」という「西洋への均質化」を試みることは、その結果として武家を頂点とした幕府支配の体系そのものの否定という必然とした帰結へと歴史的運命が胎動していくことになります。

それから紆余曲折を経た24年もの年月の後に、ヨーロッパと同じく内閣制度を創設し、その首班として岩倉使節団の一員であった伊藤博文が日本で最初の宰相になります。


以来、日本の内閣は戦前・戦中・戦後、明治・大正・昭和・平成・令和へ連綿と続き、現在の岸田文雄内閣へと継承されています。

明治維新とは日本の政治、経済、法制度、文化、宗教、学問、芸術、言語、風俗、習慣などあらゆる社会領域での大変動へと波及した「御一新」そのもので、まさに近代日本の社会、経済、文化、そして人間そのものを生み出すことを期した「明治のルネサンス」ともいえるでしょう。

もちろん、このあくまで想像上の「西洋」へと均質化する傾向を前提とする「近代の普遍性」という社会科学や近代思想のテーマは、国民国家という単位によって構成された地球上の国際社会の中でこそ受け入れられることができたものの、その基礎的な条件である基本体系そのものが、今やグローバリゼーションという名の世界的革新の趨勢の中で変容し、自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さないとするグローバリズムの考え方や政策が各国の立ち位置を左右する世界を生み出しています。

「国民国家」「国民経済」「国民文化」という国民の単位にまとめられた民族を基礎として成立した統一国家における、国民的一体性の自覚の上に確立された経済と歴史的伝統に根差した文化的同一性を共有する様々な地域や分野がゆるやかに融合した共同体こそが日本です。

明治維新によって欧米諸国と「西洋=近代」という理念を共有する道を歩んだ日本ですが、一方で教育勅語や戊申詔書、国民精神作興詔書などといった優渥な詔勅を賜い、日本人自身の古来からの思想・文化・風俗・習慣による社会全体の精神的様相を歴史的伝統として保ち守り、先祖代々守り抜いてきた社会秩序と個人の自我を支えている基本的価値の根本的なエッセンスを明らかにする聖代を、明治、大正、昭和と生きてきました。

日本人は「近代化」という「西洋への均質化」の中で、古来からの悠久の「日本」を失うことがないよう、歴史という時間に支えられて懸命に新しい世紀と時代を紡いできたのです。


常々お話ししている「新しい冷戦」というこれからの世界に生きていく日本人にとって、やはり忘れてはならない「大切なこと」はここにあるのだろうと、あらためて私は強く思います。


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毎年、この12月22日にちなんでお話している内容ではありますが、以前にお話した内容を一部抜粋して振り返ります。

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日露関係についても一考深めた世論形成が必要ではないでしょうか?

そもそも現在の「ロシア連邦共和国」なる国家は、「ロシア帝国の後継国家」であるのか、あるいは「ソビエト社会主義共和国連邦の後継国家」であるのか否かを、まずは日本国民が考察を巡らし、同時にそれをロシアに突き付けるくらいの積極外交を求めたいと思います。
よく話題となる「北方領土」に関していえば、いわゆる「北方四島」か「南樺太と千島列島」であるかだけで180度違います。
現在のロシアがソ連の後継国家であれば「北方四島」での話になりますし、ソ連ではないロシアたる後継国家であるのなら「南樺太と千島列島」での話になります。

どうやら現ロシア人はソ連を自ら崩壊させたくせに、この「北方領土」に関しては「ソ連時代」を手放そうとしないようです。
こうした「矛盾」を鋭く抉り、強く突き通すくらいの「歴史的良識」が、私たち日本人一人ひとりに求められています。
支那(中華人民共和国)に対してもそうです。

再掲ここまで
※『「日本学会」総本部ブログ 私たちは、日本という国に生まれた。『問われる「日本人としての自我」』(2020年・12月22日号)

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そして他にも「鬼滅の刃」に照らして《私たち日本人が向き合う「現実」というリアリズムは、「鬼」そのものであるということ》ともお話ししていました。

問われる「日本人としての自我」というお話も、その向き合うべきテーマはやはり毎年同じです。

「新しい冷戦」は、アメリカ合衆国を中心とする自由主義諸国の西側陣営と支那(中華人民共和国)を中心とする全体主義諸国の東側陣営との対立です。

ロシアも東側陣営に属することになります。


昨年、日本と支那は国交樹立に伴う平和友好条約調印から50年を迎えました。

それに触れた2年前《日本にとって様々な懸案を抱える支露両国との外交関係は大変複雑だが、これまでの「どっちつかずの八方美人」という立ち振る舞いが一切通用しない厳しい現実を突きつけられるものとなるだろう。》とお話ししました(▽「日本学会」総本部ブログ 私たちは、日本という国に生まれた。/あらためて問われる「日本人としての自我」2021年12月22日号)が、未だに支那や南朝鮮(大韓民国)への虚妄を捨てきれない悪しき現実が続いています。

昨年の今日

《激動の令和4年も10日を切り、残り少なくなったが、果たして年を越した先に待っている世界のリアリズムは、日本に何を突き付け、そしてどこへ追いつめようとするだろう?》

《迫りくる冷戦の現実を前に、日本はどうすればいいのか?》


と申し上げましたが、今年突き付けられた世界のリアリズムは、昨年以上の苛烈さを増して、この激動する世界の中で日本を更なる窮地へと追いつめています。

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衰弱した日本社会と国民生活の現実をよそに、岸田内閣は「ウクライナへ6500億円の追加支援をする準備がある」と国際社会へ向けて発表しています。

もはや日本は外国を支援するゆとりも余裕も全くないにもかかわらず、虚弱化した自国民への支援をせず外国を支援するという醜態は、先のいわゆる“LGBT理解増進法”なる怪奇な悪法を誕生させた顛末でも明らかとなったように、まさに反日本的勢力そのものであることを自ら明らかにした岸田内閣・自民党らしい醜さであると強く憤ります。

「慢性的なデフレ不況によって虚弱化した自国社会と自国民を見捨てて、自国以外の外国の利益に資する支援のために財政出動する」

もはやこれは「外交」ではありません。

いわば「国ぐるみの援助交際」です。


何度もお話ししていることですが、外交というのは所詮陰謀であり、どの国も「自国の利益はすべてに優先する」という原理原則で外交を行っています。

ところが戦後日本の“平和外交”やら“善隣外交”やらと称するものは、「日本が相手国の要望に応え、また国費を投じて相手国の利益に資することで、日本の国際的評価と信用が高まり、結果的に日本の利益となって還元される」という考えを根本的土台としているのですが、その現実は大いなる幻影であり、虚妄でしかないばかりか、こうした日本の「国ぐるみの援助交際」によって、支那(中華人民共和国)や南朝鮮(大韓民国)、ロシア連邦や北朝鮮などといった反日敵視政策を揺るがない政策とする特異な国や一部地域をますます増強させ、結果として当の日本にとっても「今そこにある危機」や「不都合な真実」の浸潤を深め、国家安全保障を含めた社会的脅威の侵襲をも増悪させ続けている現実をもたらただけにとどまらず、その直接的・間接的な悪影響を受けるアジア諸国と国際社会へ多大なるご迷惑をおかけすることになっています。

この期に及んで、アメリカや西ヨーロッパ諸国が「ウクライナ疲れ」で息切れを始めようものなら、日本が連帯保証人であるかのように欧米諸国に代わってウクライナ支援を永続的に行うかのような流れが、まるで当然であるかのように岸田内閣・自公連立政権によって「しれっと」行われようとしているわけです。

もちろん、アメリカ・バイデン大統領からの指令があってのことかもしれませんが、一番許せないことはそこに「単なる自己満足だけに終始し、原義における外交の成果を享受することのない、ただの援助交際」という醜悪なリアリズムがあるということです。

いまの日本は他国を支援できるほど豊かな国ではありません。

自国民を支援することすらできないような日本が、どうして不特定多数の外国を支援できるというのでしょう?

「諸外国相手に援助交際」する戦後旧来の陋習、邪な戦後の悪癖・悪習は今すぐ断ち切るべきです。

「自国民を見殺しにしながら行う諸外国相手の援助交際」に、何らの歴史的大義はありません。


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昨年皆さまへ語りかけた言葉を、今年も繰り返しお伝えします。

激動の令和5年も10日を切り、残り少なくなりましたが、果たして年を越した先に待っている世界のリアリズムは、日本に何を突き付け、そしてどこへ追いつめようとするでしょう?

迫りくる冷戦の現実を前に、日本はどうすればいいのでしょうか?


繰り返し訴えます。

過去に生きる祖先と未来に生きる子孫が、現在に生きる私たちを見つめています。

《悠久の古と結ばれた明治・大正・昭和の日本人であったら、どう感じ、どう考え、何を思い、どう決断し、そして行動するのか?》

令和の御代に生きる私たちが物事の価値基準を含め、日常の思想・行動・意識の中にこのことを据えて、現在と未来にわたる社会政治的諸問題を解決していく「ヒント」や「答え」をみんなで導き出し合っていきましょう。


「日本人」の答えは、「日本=国体」のなかにあるのですから。


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上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日と未来をつむぐ」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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