この12月17日にちなんでお話ししたいことは、やはり毎年同じトピックスを皆さまへお届けしたいと思います。

みんなで大切にしたい想いを込めて、今年もお伝えします。

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明治2年(皇紀2529・西暦1869)の「12月17日」に、大学校を大学と改称し、開成学校を大学南校、医学校を大学東校と称することになりました。

今日は、いわば「大学記念日」ともいえる日でもあるのですね。

日本の教育や学校制度についてはいろいろとお話ししたいことがあり、以前に大谷翔平選手に関連したトピックスの中でも少し触れましたが、「日本の人材育成」というテーマや考察もからんで本当に奥深いものがあります。

その際に日本のジェネラリスト教育について少しお話ししましたが、昨今「日本の大学」という最高学府の役割と機能についてかなり本質的な議論が起こりつつあります。

そもそも大学の機能は、学者相互の連絡、研究の促進、知識・情報の交換、学術の振興を図る協議などの事業を遂行するために組織する最も程度の高い学校という性格があります。

以前に「学歴フィルター」を巡る騒ぎもありましたが、本来、大学というのは真理探究・学問的研究活動およびその成果としての学問的知見・見解の表現・発表・教育の最高機関であるはずですから、民間の一流企業就職への登竜門というよりは、人文科学・自然科学の学術研究およびその社会への応用を目的とする研究機関としての役割に特化・専科するべきではないかと、私は考えます。

個人的には日本のジェネラリスト教育に賛同していますが、もしも大学を学術研究機関に特化するとしたら、これまでの「一流企業就職への登竜門」とされた役割は如何なる学校が果たすべきでしょう?

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私は「青年学校」と「実業学校」という新制度の導入を主張しています(戦前における同名の学校とは違います)。

あらためてお話しします。

「青年学校」というのは小学校卒業後に、社会人として必要な職業スキルを学習・習得することを目的に進学する学校で、青年中等学校から青年大学校(5年制で東京・京都・宮城・福岡・北海道・大阪・名古屋の計5か所に設置)まで、それぞれの段階(初等教育課程・中等教育課程)に合わせた総合的なスキル教育を担う学校です。

「実業学校」というのは小学校卒業後に、起業家・経営者として必要な企業経営の経済的・技術的・人間的諸側面を学習・研究することを目的に進学する学校で、実業中等学校から実業大学校(5年制で東京・京都・宮城・福岡・北海道・大阪・名古屋の計5か所に設置)まで、それぞれの段階に合わせた企業経営の実務教育を担う学校です。

一般的な進路を次のように整備するべきであると想定・提案しています。

1.幼稚園・保育園→小学校→中学校→高等学校・高等専門学校→短期大学・大学→大学院→研究者(希望によっては就職・起業)
2.幼稚園・保育園→小学校→中学校→高等学校・高等専門学校→就職・専門学校(→就職へ)
3.幼稚園・保育園→小学校→青年中等学校→青年高等学校→青年大学校→就職
4.幼稚園・保育園→小学校→実業中等学校→実業高等学校→実業大学校→起業・就職


かなり大雑把にまとめたものになりますが、こうすればジェネラリスト教育もスペシャリスト教育も並立して整備できると思います。

少子化に伴い「優等な人材育成と確保」は社会的課題となっていますが、ジェネラリストもスペシャリストもそれぞれ育成できる環境と条件を整えることで、両人材を将来的に確保できるのではないでしょうか?

また「ギフテッド」と呼ばれる、生まれつき優れた才能を持っている天才児だけで構成される小学校→大学までの国公立一貫校を東京・京都・宮城・福岡・北海道・大阪・名古屋の計5か所に設置することも必要だと考えています。


以前にもお話しした通り、ドイツやフランスなどの教育制度には倣うところも多く、これからの大学を含め、学校の役割についてもエッセンシャルに議論し合う時代に入っていると私は思っています。

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明治6年(皇紀2533・西暦1873)の今日。

畏くも 明治天皇には横須賀に行幸あそばされ、造船・製作場を親しく見そなわせられました。

明治維新の後、日本の「近代」を象徴する陛下の行幸啓・巡幸が実施されることになりました。


遠くさかのぼること慶長20年(皇紀2275・西暦1615)、第2代将軍徳川秀忠は「禁中並公家諸法度」を定めます。

これは幕府と 皇室及び公家との関係を緻密に定めたものです。

 

江戸幕府としては 皇室には祭祀・学問・技芸を求め、政治については鎌倉時代から続く「武家へ大政を御委任なさる」という先例を明確に法制化したものです。

そのため畏くも 孝明天皇の御代まで御歴代の陛下には、ほぼ宮中でのみ、お過ごしになられておいででしたので、陛下を拝し奉ることは全く叶わなかったのです。

孝明天皇には文久3年(皇紀2523・西暦1863)3月と4月、ついに賀茂社と石清水八幡宮へ行幸あそばされます。


実に237年ぶりの歴史的なご慶事でした。

その長い間、御歴代の陛下には 皇宮より出御あそばされることはなかったのです。


そうした長い時代を通じて、いつしか一般庶民の中では神話や伝説の中のご存在としてしか認識されなかった「天子様」が実在しているのだということを広く再発見・再実感するきっかけとなったのが 明治天皇の全国巡幸です。

実に97件(うち、即日還幸37件)にも達します。

このうち、六大巡幸といわれる行幸は以下の通りです。

(1)明治5年(2532・1872) 5月23日~7月12日

   ◇近畿・中国・九州地方
 

(2)明治9年(2536・1876) 6月2日~7月21日

   ◇東北地方(函館を含む)
 

(3)明治11年(2538・1878) 8月30日~11月9日

   ◇北陸・東海道地方


(4)明治13年(2540・1880) 6月16日~7月23日

   ◇中央道地方
 

(5)明治14年(2541・1881) 7月30日~10月11日

   ◇東北・北海道地方
 

(6)明治18年(2545・1885) 7月26日~8月12日

   ◇山陽道地方

一回の行幸期間が1か月半ないし2か月以上に達していることがわかります。

京都から東京への行幸(東京奠都)に巡幸の源流がみえますが、畏くも 天皇陛下には歴史的、民族的に統治の正統性をもつ、仁恵深い御君徳を備えられた悠久のご存在であらせられることが民衆に再認識されることになりました。

巡幸は、これを全面的に日本全国あまねく「しろしめす」ことを意味する重大なご慶事となります。

その先駆けともいえるのが横須賀造船所(明治4年製鉄所から造船所と名称変更)への行幸でした。


「横須賀海軍船廠史」には「十一月二十一日 天皇陛下ニハ横須賀造船所天覧ノ為メ午前九時東京濱御殿ヨリ龍驤艦ヘ乘御午後三時横須賀 御著艦官廳前ニ御上陸・・・」(明治4年紀)と 明治天皇行幸の記述があり、横須賀造船所の各施設を御巡覧、23日に東京丸により還幸あそばされました。

この行幸が無事に成功したのを受けて翌、明治5年より六大巡幸へと帰結していき、日本が目指す近代国家への道が着実に歩みを進めていくことになりました。

「新横須賀市史」「年表」の記録では、横須賀造船所への行幸啓は、造船所ご視察・艦船ご命名・進水式と、実に計18回にも及んでいるそうです。

畏くも 明治天皇の実質的な行幸・巡幸は横須賀造船所から始められました。

その後、明治天皇・昭憲皇太后の横須賀造船所の行幸啓が叶い、現在に続く行幸啓の礎が築かれました。

日本の近代国家の幕開けを象徴する行幸の発祥の歴史的聖地が横須賀であるというわけですね。

ちなみに、大東亜戦争敗戦後における畏くも 昭和天皇の全国巡幸の大御心は、これに倣ったものになります。


今日はその歴史の真実をしみじみと噛みしめる日であるといえます。

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明治28年(皇紀2555・西暦1895)の今日。

英霊、永久に神鎮まる靖国神社臨時大祭の御為、畏くも 明治天皇には聖駕を九段の神域に進めさせ給い、新祭神、並びに護国の英霊に親しく御拝あらせられました。

竜顔を咫尺の間に仰ぎ奉る無上の光栄に胸震わせて、鹵簿御順路に粛然襟を正す遺族の姿。

畏れ多くも陛下には、遺族の奉拝に御会釈を賜り、御仁慈のほど有難き極みであったといいます。

海陸に大君のため、命を捧げ奉りし股肱の英霊に寄せさせ給う大御心の畏さ。

さらにまた遺族民草を御間近にねぎらわせ給う深き御仁慈のほど、参列の遺族はもとより、万民こぞりて、上御一人に対し奉り、日夜それぞれの立場において奉公の誠を致す決意をいよいよ固く御誓い申し上げ、以て聖旨に沿い奉らんことを期したのでした。


今日も「日本という時間」に想いを寄せれば、先人の命と心に触れあえます。

何よりもそのひとときこそは「過去と現在の時間的な交わり」とがとけ合う愛しい日本人悠久の営みであり、未来を宿し、育むことができる国体明徴でもあるのだということを、あらためて皆さまとともに実感し合いたいと思います。

最後に、畏くも 明治天皇の「をりにふれたる」というお題の御製(明治42年)を謹んで奉戴致します。


天をうらみ 人をとがむる こともあらじ わがあやまちを おもひかへさば
口語訳:天をうらんだり、他人をとがめたりすることもあるまい。自分自身のあやまちを、よくよく思いかえして反省を深めてみれば。
『明治神宮編・発行『新版 明治の聖代』(平成27年11月25日第五刷・明治神宮)』



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上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も続いてお栄えになりますように。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日をつむぎ未来をひらく」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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