昨年もお話をしましたこのテーマですが、「今日は何の日」というトピックスにちなみ、今年も皆さまへこのお話をお届けします。

明治元年(皇紀2528・西暦1868)の「3月28日」に神仏判然の令が出されています。

世にいう「神仏分離(令)」です。

近世までは日本の神道と外来の仏教(北伝教派)が互いに影響し合い、独特の儀礼・教義を生み出していました。

これを「神仏習合」といいますが、それを廃止したのが神仏判然の令です。

まず明治元年「3月17日」、諸国神社の別当・社僧の還俗が命じられ、同28日に、権現などの仏教語を神名に使うこと、仏像をご神体に使うことが禁止されました。


「諸事 神武創業之始ニ原キ」という「王政復古の大号令」により実現した大政奉還は、「日本の清き源流に立つ」ということを掲げました。

畏くも 明治天皇のご即位と大政奉還によっていよいよ日本の清らかな源流たる 神武天皇の御代に立ち還ったということを、新たに迎える「近代」という時代と世紀に向き合う日本の正統としてゆるぎないものにするためでした。

そうした「日本の清き源流に立つ」という意識は、近世における国学でも追及されたものですが、外来の思想や信仰などが影響を与える前のピュアな日本を求める動きは、神社や仏閣の在り方にも及んで神仏判然(神仏分離)へと帰結していきました。


そうした中で「廃仏毀釈」という深刻な副作用も生じました。

貴重な仏像・経典・寺院の破壊や破棄などの過激な社会現象が発生したのです。

本来の神仏判然(神仏分離)という国の施策と、廃仏毀釈という民間の社会現象とを混同した理解によって、在野の保守系の方の中にも「廃仏毀釈」という社会現象を例にして、明治の神仏判然を批判しておられる方も少なくありません。

私は神仏判然(神仏分離)については大変好意的に捉えています。

といいますのも、そもそもエッセンシャルな意味において神様と仏様は全く違うからです。

日本の神様は、主に古事記や日本書紀をはじめとした神話に登場する神様が有名ですが、他に昔話や伝説などの民話を由来とする神様も各地で多くお祭りされています。

それらは歴史という悠久の時間を通じて育まれてきた日本人の生活様式であり、教祖や教義や教団が存在するわけではありませんから神社神道は全く宗教ではありません。

そもそも「神話」というのは「歴史=史実のメタファー」であり、特に古事記や日本書紀は歴史をメタフォリカルに語っているものであって、教祖や教団を形成する「宗教」における「教義」(ドグマ)を記した「経典」(聖典)といったような性格をもつものではありません。

怪談の大家である稲川淳二師匠は、古典怪談や民話で語られる雪女や河童は、北国における「雪女郎」や「異形の身体障害児」のメタファーであるという旨の考察を披露していたりしています。


さて、仏教とは、古代インドに実在した歴史上の人物ゴータマ・ブッダが説いた教えです。

その教えは「人はいかに生きるべきか」を説いた人間哲学であり、その詳しい内容はパーリ語三蔵に含まれる原始仏教経典の中に知ることができます。

岩波文庫からインド研究の世界的第一人者である中村元博士が現代語訳に翻訳した経典が出版されていますので興味のある方はぜひお手に取ってみて下さい。

また大型書店の学術書コーナーや図書館でも仏教の学術研究書があり、百科事典などでも仏教の概論を知ることができますので、併せてごらんいただければと思います。

私は「仏教」というのは学理的に分類されている通り原始仏教こそゴータマ・ブッダの教え(思想や哲学)であると思っています。

そしてゴータマ・ブッダは思想家であり哲学者でもあるのですが、決して宗教家ではありません。

原始仏教では、何かを拝むことも儀式をすることも一切しませんでした。

何かを信じてご利益を得ようとしたり、あるいは神秘的な呪術によって願望をかなえようとすることも一切しませんでした。

むしろゴータマ・ブッダはこうした「宗教」や「呪術」に全く意味を見出さなかったのです。


「自分が抱える問題は自分で解決できる」
「自分は自分で救うことができる」
「自分はなぜ生まれて来たのか」
「そのために知っておくべき真理がある」
「私はその真理を悟りブッダとなった」
「その実体験を教えるので、その通りに実践すればみんなも私のようにブッダになれる」
という実践的な人間哲学がゴータマ・ブッダの教えなのです。

要するに「ブッダ=悟った人」という「理想的な人間になること」が本来の仏教の目的です。

思想や哲学として私個人は「ブッディズム」や「ブッディスト」という言葉が一番しっくりくるのです。

個々人の信仰の有無を一切問わないのがブッダの基本姿勢です。

「拝むこと」や「個人の信仰の有無」を問わない本来の仏教であれば、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教を信仰する人々の中に「ブッディスト」がいてもよく、「私はクリスチャンの仏教徒です」とか「ムスリムの仏教徒です」ということがあっても全くおかしくないわけです。

それは私たち日本人でも同じで、「ブッディスト」であっても神社のお祭りや歴史的伝統による年中行事を営むことに全く矛盾はないのです。


そんな仏教ですが、ブッダ滅後に分裂し、北ルート南ルートに大別して伝わっていきました。

詳細は割愛しますが、北ルートが「北伝仏教(以下北伝教派)」南ルートが「南伝仏教(上座部仏教)」です。

日本には「北伝仏教(北伝教派)」が伝わってきますが、残念ながらこの「北伝仏教(北伝教派)」は本来のゴータマ・ブッダの教えではありません(大乗非仏説は学理的な常識となっています)。

「北伝教派」の経典はブッダの死後500年~1000年以上後につくられたものばかりで、その内容も本来の人間哲学から煩瑣な神学理論体系を伴った「宗教」と化して、ブッダ自身が全く意味を見出さなかった「儀式」や「呪術」、「神秘的なご利益」が重視されるようになります。

「北伝教派」は厳密に「仏教」と言えるかどうかについてですが、私個人は「別物」と理解しています。

日本に伝わった「北伝教派」は、神道と結びついて多様に変化を遂げていきます。

江戸時代になると、各寺院は寺社奉行の外局の役割を果たし、民政機関として幕藩体制の支配を地域から固める政治的機能を果たし続けていきます。

先に触れた廃仏毀釈も、そうした封建支配の一番身近な行政機関であった「寺院(宗門)」への一部民衆の反発が現れたものとしてみると、別の時代背景が浮き彫りとなってきます。

ゴータマ・ブッダと原始仏教をリスペクトしている私にとっては、原義における「仏教」と神道はやはり別物ですから、神仏判然はとっても自然なことだと思います。

もちろん「北伝教派」が各時代の中で花開いていった文化に多大な貢献を為し、国体に彩りを添えてくれている事実も見逃せません。

「原点回帰」という原理原則で始まった明治の聖代における神仏判然は、文字通り神社もお寺も「そもそもの原点に還ること」を望んだことなのであり、そもそもの神道と仏教は異なるものであるのですから、それぞれが分かれて存立し合い、原点と向き合う好機を見つめる歴史的な出来事であったと考えます。

残念ながらこの時、日本の各宗門は原始仏教に「新時代における日本仏教」を見出せなかったことです。

「混じりけの無いピュアな神道」を目指した神社に対抗するために、インドのゴータマ・ブッダが説いた普遍的な人間哲学である本来の仏教を日本で復興する努力をしなかったことに、今につながる「お寺の衰退」の原点を見ることができるように思えます。

あるいは、各宗門が拠り所とする経典(浄土三部経や法華経など)群を現代語訳・口語訳して普及し、同時に各宗祖の残した古文書や教えを同じく現代語訳・口語訳して普及する努力を怠ってきた点も指摘できます(その怠惰な姿勢は今に至るもそのままです)。

ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も、“聖書”やコーランを日常の文章として読むことができ、当然のことながらその内容を日常の言語感覚で理解でき、その中で説かれている教えをみんなが知っています。

古典ヘブライ語や古典ギリシア語、古典ラテン語、あるいはアラビア語を、意味も分からずただ節をつけて呪文のように唱えるだけで救われると考えるユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒は一人もいません。

そもそも真言宗や天台宗、浄土宗や曹洞宗などといった私たちに身近な各宗門で採用している「経典」が全部漢文で理解できず、また宗祖の教えも古文で理解できないまま、「菩提寺と檀家」という旧来の関係性を保持し続けるのは、一般社会の人間関係の希薄化が指摘されている現代において致命的な欠点であるといえるでしょう。

「何て書いてあるのかはわからないけれど、そのまま漢文を音読みして節をつけて唱える」というだけで「ご利益がある」という発想そのものが、すでに仏教ではありません。


昨年もお話していますが、「仏像に向かってお経を唱える」というのも滑稽なものだと思いませんか?
そもそもお経というのは「お釈迦さま(ゴータマ・ブッダ)の教え=説法を記したもの」という体裁があるのですから、それを「仏像(仏様)に向かってお経を唱える」ということはまさに「釈迦に説法」を地でいくようなものではないかと・・・。


お経は「テキスト」ですから自らが学習してその内容の理解を深め、知らない人に向かって読み聞かせ、教え伝えるべきもののはずです。

原始仏教経典では、ブッダの教えを「ゴータマ・ブッダがいろんな人々から質問を受けたり、悩みを相談されたことに対してそれぞれこのように答えた」という当時の質疑応答の記録というカタチでまとめられています。

当時の人々は仏様にいろいろな「お悩み相談」をしていたんですね。

それを今に照らして考えてみると、お寺で「祈り」を捧げ、「ご利益」を求めて「お願いごと」をしても全く意味がないということです。

手を合わせながら、いま自分が抱える悩みや苦しみについて「相談する」という方が仏教らしいのかもしれません。

この「お寺の本尊に向かって手を合わせるお悩み相談」は、まさに「真剣に自問自答すること」と同じだと思います。

ブッダの教えの通り、その答えと努力は自分自身に限るわけですから。

「お祈り」や「お願いごと」は神社で
「お悩み相談や質問=自問自答」は寺院で
私にとって神仏判然はこれでもすっきりするのです。


ちなみに私は「無宗教」です。

この場合、「特定の教祖、特定の教義、特定の教団に所属・服属していない」という意味での「無宗教」です。

そして既存のあらゆる「宗教」に対して極めて厳しい意見を持っている立場の人間でもあります。

私は終生、何らかの宗教に入信することは絶対にありませんが、そんな私でも「宗教的なもの」までをも否定するほど傲慢な人間ではありません。

人は誰しも「宗教的なもの」を内に抱え込んで生きていくものです。

それを「教祖」や「教義」や「教団」といったものにされてしまうと、つい否定し批判してしまうというだけの話です。

もちろん何か特定の信仰をお持ちの方を誹謗するつもりはありませんし、そうした方々の信教を否定することはエチケットとしていたしません。

私は「科学の頭と文学の心」という信念がありますが、それだってひとつの「信仰」であるといえるかもしれませんから。


今年の今日も、神仏判然の令が出されたトピックスに合わせて、珍しく「宗教」というキーワードでお話をさせていただきました。

私たち「日本学会」のベーシックである「国体の本義」の中にも、仏教と国体のエッセンシャルな関係について詳しく解説されていますが、今年もやはり割愛することが多く、いつもよりまとまりのないお話ばかりとなってしまって恐縮ですが、今日は日本人の生活様式の中で大きな要素となっている神社やお寺について、そもそも論を考える一日にしてみるのもあらためて面白いかなと思い、今日もこのお話をお届けしました。

今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も続いてお栄えになりますように。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日をつむぎ未来をひらく」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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