明治13年(皇紀2540・西暦1880)の今日、初めて観菊会が開催されました。

この観菊会は、春の観桜会とともに各国公使を招き赤坂離宮(現在の赤坂御用地)において開催されました。

今では「園遊会」として広く知られ、毎年の報道でも時の話題になっています。

今年の今日も、これまでお話したことを、あらためて振り返りながらお届けします。

この「園遊会」というのは、ある設定(ストーリー)があるといいます。

それは

《ある時、美しい草花を愛でながら遊んでいたところ、同じようにお楽しみになられようとお出ましになられた天皇陛下と偶然お会いすることができ、天機御麗しい陛下様とその楽しいひとときをご一緒させていただくことができました。何て嬉しく有難いことでしょう。とても光栄で畏れ多いことです》

というものです。

とっても素敵な設定(ストーリー)だと思いませんか?
「義における君臣、情における親子」という慈愛あまねく慈悲深い大御心と日本の国体の麗しい彩りを物語るエッセンスのひとつです。

畏くも 昭和天皇におかせられましては「君臣親子」と仰せられています。


日本には「八紘一宇」という国是があります。

畏くも 神武天皇には大和橿原に都をお定めになられたとき、

「六合
(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」(日本書紀)

という優渥なる詔勅を賜いました。


ここに拝しますのは「八紘為宇」という大御言ですが、今では広く「八紘一宇」として知られています。

要するに「日本の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基づく」というわけです。

この「八紘一宇」というのは「ひとつ屋根の下」ということです。

「生きとし生けるものが、天皇を父母としたひとつ屋根の下で家族のように仲睦まじい絆で結びついて生きていく」という慈しみ深き大御心で神武天皇におかせられましては日本という国をつくられました。

「日本」とはそういう国であり、そういう国で生きる私たちが「日本人」なのです。


これから「人為的かつ意図的」に引き起こされようとしている「分断」という現実を前に、私たちは、今一度、祖先を同じくする日本人としてこの愛しい祖国日本と国体へ想いを共に寄せ合いながら手を取り合って生きていくべきではないでしょうか?

この「君臣親子」というお話についてですが、私たち「日本学会」が「ベーシック」としている「臣民の道」(昭和16年3月31日 文部省)にも様々な解説がされていますが、その一端をご紹介します。

昔の雰囲気を感じていただくため、旧漢字の原文・文語体のまま引用します。

◆◆◆

**臣民の道【第二章 国体と臣民の道 一、国体】
神武天皇は皇居を營み給ふに當たり、

 夫れ大人の制を立つる、義必ず時に隨ふ。苟も民に利あらば、何ぞ聖造に妨はむ

と詔し給ひ、崇仁天皇は、

 宸極しろしめすことは、豈一身の為ならむや

と仰せられ、仁徳天皇は、

 百姓貧しきは則ち朕が貧しきなり。百姓富めるは、則ち朕が富めるなり

と述べ給ひ、また元明天皇が宣命に、

 遠皇祖の御世を始めて、天皇が御世御世、天つ日嗣と高御座に坐して、此の食國天下を撫で賜ひ慈み賜ふ事は、辞立つに在らず人の祖のおのが弱児を養ひ治す事の如く、治め賜ひ慈み賜ひ來る業となも、隨神念ほしめす。

と仰せられたのを拝するにつけても、民をみそなはすこと子の如き大御心の程は、まことに忝なき極みである。
聖武天皇は、疾疫流行し、百姓重病を得て昼夜辛苦せる時、

 朕は父母たり、何ぞ憐愍せざらむ

と大御心を垂れ給ひ、醫藥を遣はし、賜穀賑恤せしめられた。
醍醐天皇は寒夜に御衣を脱ぎ給ふて窮民の上を御軫念あらせられ、後鳥羽天皇は御製に、

 夜を寒みねやのふすまのさゆるにもわらやの風を思ひこそやれ

と深く民草を憐み給ふた。
後醍醐天皇は飢饉を聞こし召して朝餉の供御を止めさせられ、御製に、

 世をさまり民やすかれといのるこそわが身につきぬおもひなりけれ

と、深き大御心の程を詠じ給ふてゐる。
明治天皇は維新の宸翰に、

 朝政一新ノ時ニ膺リ天下億兆一人モ其處ヲ得サル時ハ皆朕カ罪ナレハ今日ノ事朕自身骨ヲ勞シ心志ヲ苦メ艱難ノ先ニ立古列祖ノ尽サセ給ヒシ蹤ヲ履ミ治蹟ヲ勤メテコソ始テ天職ヲ奉シテ億兆ノ君タル所ニ背カサルヘシ

と仰せ給ふた。

かくて天皇は皇祖皇宗の御心のまにまに、親の子を慈しむにもまして國民を慈しみ給ひ、國民は天皇を大御親と仰ぎ奉り、ひたすら隨順のまことを致すのである。
これは國即家の我が國體の精華である。
今上陛下には即位礼當日の紫宸殿の儀に於いて勅語を賜はり、

 皇祖皇宗國ヲ建テ民ニ臨ムヤ國ヲ以テ家ト為シ民ヲ視ルコト子ノ如シ列聖相承ケテ仁恕ノ化下ニ洽ク兆民相率ヰテ敬忠ノ俗上ニ奉シ上下感孚シ君民體ヲ一ニス是レ我カ國體ノ精華ニシテ當ニ天地ト竝ヒ存スヘキ所ナリ

と仰せ出されてゐる。


 ***

かなり難しい言葉遣いと漢字が並びますね。

私たちの祖父母は当時誰もが違和感なくこうした文章を読めていたわけですから、私たち世代と祖父母世代だけでも、その日常言語の体系に大きなギャップがあることも思い知らされます。

こうした旧漢字や文語体の他に古文についても、まるで外国語のように難しく感じるのはそれだけ私たち戦後現代人と「祖先や祖父母を含めた日本人」との間に「隔たり」が生じているということでもあります。

以前にこちらでもお話したと思いますが、「こうした文語体や古文を意味は分からなくとも声に出して読んだり、書き写したり、自分でも書いてみたりすることで、私たちも『日本』へのアクセスができるのではないか」と思っています。

「義における君臣、情における親子」という「君臣親子」の道理は、日本だけの大切なエッセンスです。

皇室と国民の有機的なつながりは、いつの時代でも世の中と個人の自我を支える揺るがない絆であり、確かな希望であり続けてきました。

それを「知っている」のと、「知らない」のとでは大きな違いです。

私たちの日常では、学校やオールドメディアといった教育と情報の分野で「意図的に知らせない」ということが横行しています。

これも以前にお話したことですが、「良心(conscience)」の語源は「conscientia=con(共に)scīre(知る)」という言葉が表す「共に知っているもの」ということを原義としますが、「私たち日本人の良心」というものはまさに「日本人が共に知っているもの」から育まれていくものです。

その意味で私たちが「共に知っていなければならない大切なこと」があります。

これからもこの「共に知っていかねばならない大切なこと」を皆さまと愛しみながら、まさに「共に知る」営みを続けていこうと思います。

日本を誰よりも愛しているのは私たち日本人です。
日本は日本人が守り抜いていきましょう。
この愛しい日本を私たち日本人が大切にしていきましょう。


最後に、畏くも 昭憲皇太后の「観菊会」というお題の御歌(明治19年)を謹んで奉戴致します。


秋ごとに つらなる人の 数そひて うたげにぎはふ 菊のはなぞの
口語訳:毎年秋になるたびに集まる人の数もふえて、宴も賑やかとなる御苑の菊園です。
(「新版 明治の聖代」編者・発行者『明治神宮』)


上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日をつむぎ未来をひらく」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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