この令和の御代を彩る世紀の天体ショーによる感動に包まれた昨日から一夜明けた今日も、日本にとってとても重要な歴史的記念日のひとつです。

リアルタイムでお話したい重大な社会政治的事件等もありますが、それはまた別の機会にお届けできればと思います。

毎年この11月9日の「今日は何の日」にちなんで皆さまにお話したいことは同じです。

ですので今年の今日も、これまでお話したことを、あらためて振り返りながら、そのままお届けします。

明治4年(皇紀2531・西暦1871)の「11月9日」。

畏くも 昭憲皇太后には女子留学生5名を召し令旨=懿旨(お言葉)を賜いました。


この「女子留学生」は、吉益亮子・永井繁子・津田梅子・山川捨松(後の大山捨松)・上田悌子の5名です。

昭憲皇太后には、岩倉使節団に随行してアメリカに留学する彼女たちをお召しになり、その志を嘉賞せられました。

新しい時代と世紀を迎えるにあたり、畏くも 明治天皇の皇后陛下として 

昭憲皇太后には女性の存在と価値に御心を寄せられ、女子教育の充実から貧困の根絶や公平な社会の実現を思し召され、福祉や芸術などにも幅広くお手を差し伸べられました。

近代日本の福祉・文化・教育へと常に大御心を砕かれた 明治天皇 昭憲皇太后のご聖徳・ご坤徳を拝しますと、皇室を中心とする国体を「日本の国柄」「日本人の人柄」とする我が国で、「あるべき社会政治的選択と努力」が何であるのかが、全く迷わず、普遍的な答えとして導き出すことができます。

皇室を中心に文化の創造・維持・発展へ努め、そして完全雇用政策と社会保障政策とによって全国民の最低生活の保障と物的福祉の増大とを図ることを目的とする「八紘一宇」を実現した国家こそが 皇国たる日本のあるべき姿ではないでしょうか?


明治5年(皇紀2532・西暦1872)の今日には、太陰太陽暦を太陽暦に改め(改暦の詔)、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることになります。

こちらで「○月○日」と括弧付きで月日を記載している場合は旧暦で、改暦の詔=暦法ヲ改ムルノ詔の後は括弧無しの新暦の月日を記載しています。

ここに謹んで「暦法ヲ改ムルノ詔」を奉戴致します。


**暦法ヲ改ムルノ詔【明治5年11月9日】

朕惟フニ我邦通行ノ暦タル大陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率ネ妄誕無稽ニ属シ人智ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ大陽暦ハ大陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖トモ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ大陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固ヨリ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ大陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ


改元についてお話した際にも触れましたが、畏くも 天皇陛下には「時間」と「空間」を「しろしめす」古来からのお役目、お役割がございます。

「元号」や「暦」についても等しく 天皇陛下の大権たる日本古来の歴史的伝統として現在に至っています。

御稜威の下、日常の時を刻むそのひとときの中に悠久の「日本」が変わることなく流れ続けていることは私たち日本人にとっては何よりの希望です。

「日本」が「日本」であることは、もとより御稜威のしからしむるところです。

有史以来、御稜威燦として輝く「日本」という「時間」と「空間」への想いを共に、皇恩の無窮に心からの感謝の気持ちを重ね合わせながら、過去・現在・未来にわたる日本人の絆を深めていきましょう。

 
日本の「近代」を物語る印象的な出来事があった日でもある今日。

現在アメリカでは中間選挙が行われており、この激動する世界の行方を左右しかねない超大国の動向を占う上でも日本のみならず各国が注視しています。

以前こちらに掲載したお話(2020年11月9日号)より、あらためて抜粋して振り返りながらお届けします。

 * * *
連日、アメリカ合衆国大統領選挙のトピックスに関連して「近代」をテーマに、そのエッセンシャルな価値と成果が問われ始めているというお話を繰り返してきました。
「今日は何の日」というお話でも、我が国が明治の聖代を通じて近代を迎え入れ、今の現代に至っているというお話をしておりますが、現下アメリカ大統領選挙は日本が迎え入れた「近代」の揺籃の地を揺るがす世界的な思想・政治闘争へと発展する可能性もあることから、欧米と同じく近代を共有する日本も決して無関係ではいられないという「現実」を、「今そこにある危機」の発現の種々相であるという「警鐘を鳴らす」意味も含めて、これからも繰り返し皆さまへお話をし続けていきます。

そういえば日本は、欧米を比べて極めて特殊な近代化の歴史を歩んできました。
日本の新しい時代と世紀の到来を告げた「王政復古ノ大号令」(慶応3年12月9日)では、「諸事神武創業ノ始ニ原ツキ」という「日本の清き源流に立つ」ことを明らかにされています。
西洋を発祥とする「近代」を迎え入れるとしても、黒船来航から開国へと至り、欧米列強の「近代」が押し迫ってくる脅威に屈することなく、かえってその「今そこにある危機」を機に、いよいよ日本の清らかな源流たる神武天皇の御代に立ち還ることを私たち日本人は命かけて奉じ、「諸事神武創業ノ始ニ原ツキ」の御精神のままに国体の正統を守り抜いてきたのです。

すっかり西洋に馴染み、洋式・洋風一色になっていく中で、人としていつになっても決して忘れてはならない「大切なこと」を明治天皇には「教育勅語」や「戊申詔書」にて、大正天皇には「国民精神作興の詔書」にて、昭和天皇には「教育勅語渙発五十年記念式典の勅語」や「青少年学徒に下し賜はりたる勅語」などにて国民へ親しく御教えやお諭しを賜いました。
それは時に慢心や強欲、恐怖や不安、そして不幸や苦悩などを抱えながら「今」と「これから」へ生きる日本人にとって、普遍的な「示し」や「あり方」にもなって、固い絆とも、進歩と調和とも、緩やかな寛容と融和ともなってきました。

そして何よりも、過去を通じての現在と未来の希望になってきました。
それはいつになっても大事にできる、愛しくも「大切なこと」であるからに他なりません。
これは他国の条件に比べれば、実はとても恵まれたことです。
迷った時、困った時に、日本人はそこから急に真新しいことを作り上げようとせずとも、すでに日本の国体に答えやヒントがあるからです。

今、誰もが信じて疑うことがなかった「近代」の全能性や万有性が、当の欧米ではじめて問われ始めようとしています。
「近代」はとても価値のあるものです。
その価値と向き合うとき、私たち日本人も詔勅や御製、御歌に表されたる大御心を奉体し、悠久の国史に想いを寄せ合えば、あるべき現在と未来が見えてきます。
それは欧米が下す答えと異なるかもしれません。
しかし、私たち日本人が導き出した「あるべき現在と未来」に日本人自身の主体性・アイデンティティを見出すことができるのなら、日本人にとってはそれが正解です。
欧米人自身が下した答えも、欧米人にとってはそれが正解です。
その相違点を争うようなことがあってはなりません。
それこそ「近代的価値観」でもある「多様な価値観の尊重」という「マナー」であり「エチケット」です。

私たち日本人は、私たちの歴史と古典を基礎にして「近代」と向き合っていきましょう。

再掲ここまで
※『「日本学会」総本部ブログ 私たちは、日本という国に生まれた。『曲がり角に立つ「近代」と令和の日本』(2020年・11月9日号)』

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人間というのは、未知あるいは無知あるいは未体験・未経験なことにはなかなか一歩を踏み出すことができません。

それはある意味正解で、自身の知識や経験で裏付ける蓄積の無いことへ新たな歩みを進めることには、それだけ未知な不安定要素と予測のできないネガティブな可能性が当然のように生じかねないからです。

物事が大きく、重くなればなるほどに、「慎重さ」が求められますし、「軽率さ」は忌避されるものです。

一方で「挑戦」することの意義「進取」の気性に富む姿勢といった「積極性」や「果敢さ」も奨励されます。

今日ご紹介した、岩倉使節団に随行しアメリカへ留学した彼女たちの意識は、まさに新しい日本の未来を担う積極性や果敢さを高い志としたものでした。

もちろん日本人にとっては「初体験」そのものです。

しかし、それが決して「軽率」ではなかったのは、そのエッセンスに「日本=国体」があったからであり、いかなる「未知との遭遇」や「未経験の試練」が押し寄せようとも、決して揺るがない「確かなもの」、そして歴史という悠久の時間に支えられた「大切なこと」が常に自らの支えとなり、助けになり、強みとなり続けていたからです。

そうした歴史に根ざした強みは、日本人がその時間とともに形成してきた物心両面の成果を守り抜く敬虔な慎重さともなり、同時にその普遍的な「確かさ」や「大切さ」は、新たなるチャレンジの情熱と意欲に揺るぎない支えとなって大きな自信と安心を育み、その先の新しい時代を拓き、世紀を紡ぐ積極性や果敢さのエッセンシャルな底力となるのです。

このように日本人が「日本=国体」での生活経験と歴史体験を通じて形成した気質、性格が、日本人固有の進取の気性、知能の啓発、旺盛な活動力、絶え間ない努力の精神、純真素朴な心情などとなって表れているのが令和につながる国史であり、そしてそうした日本人自身の思想や文化、風俗や習慣による社会全体の精神的様相が社会秩序と個人の自我を支えている基本的価値を根本的に形成しているわけです。


何度も主張させていただいている《「過去と現在の時間的な交わり」を通じて「未来」を宿していく》というお話もそこに尽きるところがあります。

ここ20年もの間、革新系(自由放任主義・新自由主義・リバタリアニズム・グローバリズムの流れをくむ勢力の系統)が社会政治的主流となって「日本社会の構造改革」やら「日本のグローバル化」なるものが急進的に推進されてきましたが、その間、日本人は性急な気性、弱者への冷淡、攻撃的な態度、粗暴性、単純なものの見方などへすっかり変態・変異してきた感があります。

これは「非日本的事象」といえます。

昨今では“自由で平等な民主主義社会”としての性格を強調する言動もみられますが、他方、「移民」との争いや無法の横行など殺伐な面が顕在化し始めています。

それは「目先の金儲けと自分の利益が第一で、個人の物質的欲望を充足させることを主眼とする世の中」を企図する文化破壊の一端そのものです。

なぜこのような失望的・絶望的な現実が生まれるのでしょう?

そこに「日本=国体」がないからです。
そこに「日本人」がいないからです。


こんな時代と世界であるからこそ、私たちは「日本人」として、「日本=国体」という社会、経済、文化、人間のエッセンスに向き合わなければなりません。

そうした歴史という時間と連なる日本人悠久の営みこそが「国体明徴」です。

問われているのは、他の誰もない私たち国民一人ひとりの「意思」と「声」です。

そんなに大変な、大げさなことをイメージなさらないでも大丈夫です。

日常のおしゃべりやブログ、SNSなどの中で、ぜひこうしたお話を話題にして下さい。

持ち出す話題は何でも構いません。

ちょっとしたきっかけで、日本に興味を示して下さる方が増えれば、それだけでもとても大きな意味があります。

いつまでも「さまよえる日本人」のままに甘んずることをみんなでやめましょう。
もうとっくにそのタイミングは訪れています。

国体の本義や臣民の道、皇国の道に則った政治制度・政治体制の形成に関連して、「日本人」としての思想・行動・意識の形成に勤しむ努力が求められています。

「日本」を主体とし、日本人として自主的に導き出した国史とつながる考察と選択を共にしていく先に、素敵な未来とその礎となる現在は育まれていきます。

「私たちの日本」そして「世界の中の日本」という歴史的命題の証明に向き合っていき、そして政府が経済活動に積極的に介入することで、社会資本を整備し、国民の生活を安定させ、所得格差を是正しようとする日本人の、日本人による、日本人のための政治を実現するために、国民の意思と声を重ね合わせながら、共に一人ひとりの意思を示し、声をあげていきましょう。


過去・現在・未来を見据え、日本のみならず広く世界・人類へと大御心を寄せられた 畏くも 明治天皇の「天」というお題の御製(明治39年)を謹んで奉戴致します。


ひさかたの 空はへだても なかりけり 地なる国は 境あれども
口語訳:大空は涯しもなく広がっていて、どこまでいってもへだてるものがないことだ。この地上の国には窮屈な国の境というものがあるのだが。
(「新版 明治の聖代」編者・発行者『明治神宮』)


上御一人に対し奉り日夜それぞれの立場に於て奉公の誠をいたす。
我等は畏みて大御心を奉体し、和衷協力以て悠久の臣道を全うせんことを誓いまつる。

国体を明徴にし、国民精神を涵養振作するという一点で手をつなぎ、肇国の由来を詳らかにし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、もって国民の自覚と努力とを促すため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めましょう。

「国体の本義、いまこそ旬」
「国体の本義、臣民の道、明日をつむぎ未来をひらく」
「失った日本を数えるな、残された日本を最大限生かせ」
「新しい日本の世紀、紀元2700年へ!」
想いを共に

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