いつものように幕が開き♬

この歌を聞くと思い出すコロッケ

そのコロッケさんのお話しです。



【母さんのあおいくま】


 僕には母と姉がいる。

 物心ついたときから、父親はいない。母子家庭である。

 当然、生活は楽ではなかった。おかずが三食、もやしだったことがある。そのうち、もやしも出なくなって、ごはんだけになり、やがてごはんもなくなり、米のかわりにあられが食卓に出たこともある。

  

そんなとき、母は、

「今日のごはんは、あられたい!」

 と明るく言い、僕と姉も喜んで食べた。

 貧乏だなぁ……とか、惨めだなぁ……と思ったことはない。


当時の近所の人たちも、僕ら家族がそれほど貧乏だとは思っていなかったという。

 なぜか?

 母が無類のきれい好きで、僕たちを毎日、必ず銭湯に行かせたからだ。お金がないときは、

「持ってくっとば忘れました」

と言わせて入らせた。

  

たとえ着ている服がボロボロでも、清潔にしていれば大丈夫──母の知恵だ。

  

人の悪口は言わない。別れた夫(僕の父)への文句や愚痴も言わない。たとえ身内でも金の無心はしない。

そして、あいさつや片付け、食事のマナーなど、しつけにもうるさかった。幼少の頃は、とにかくよく怒られていた。

 

でも、僕がいじめにあっていると知ると、小さい体で相手の家や学校に、何度も乗り込んでいってくれた。

 僕と姉のためには、文字通り、体を張ってくれていたと思う。

 

こう書くと、行い正しき理想の母のように思えてくるのだが、僕が今やっているものまね。そのルーツも、実は母にあるといってもいい。

 とにかく「笑い」のツボがズレているというか、独特なのだ。なんでそういう発想をするのだろう、と思うことばかり。

 

おかげで僕の家にはいつも、笑いがあった。笑い声がしない日なんてなかった。

反抗期もなかった僕が、人生で一度だけ、母の言うことに逆らったのは「芸能人になる」といって東京へ出て行ったとき。

 

母が言ったように、芸能界は決して楽な世界ではなかった。楽しいこともあるけれど、つらいことやいやなこともたくさんあった。

 

そんなとき、僕にはいつも思い出す言葉があった。

「あおいくま」

母に教えられ、小さい頃からつねに僕の胸の中にある言葉だ。


あせるな


おこるな


いばるな


くさるな


まけるな


この五つの言葉の頭の文字をとって、「あおいくま」。

 母はいつも言っていた。

  

「人生は、この五つの言葉たい」

 

いったいどんな母親だったのか、それはこの本を読んで知ってもらいたい。とにかく、いろいろな意味で「すごい」人だ。


 おかげさまで僕も、二〇一〇年に芸能生活三十周年を迎えることができた。

 デビューこそ順調だったが、決して順風満帆な日々だったわけではない。特に人間関係ではいろんなことがあった。

  

そんなとき、何度も思い出したのが「あおいくま」だった。そしてそのつど、「あおいくま」に助けられてきた。

  

東日本大震災や長引く不況も重なり、新聞やテレビのニュースでは何かと暗い話題ばかりが先行している。 


仕事場の人間関係で悩んでいる人。

親子や家族の関係で悩んでいる人。

友だちとうまくいかなくて悩んでいる人。

  

こんな時代だからこそ、ポジティブに、そして明るく前を向いて進めるように、ひとりでも多くの人に、この「あおいくま」を知ってもらえたらうれしい。


  二〇一二年一月


(コロッケ)


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