「妻へ笑顔の花畑」




土手を回り込んで庭に足を踏み入れると、ピンク一色の視界が開けた。

春風に乗って甘い香りが漂う。

「うちん母ちゃんも若(わ)けころはべっぴんで、こげなにおいがしちょったど」。

黒木敏幸さん(83)の言葉に、妻の靖子さん(76)と花見客たちは笑い転げた。


宮崎県新富町の黒木さん方で、約3千平方メートルのシバザクラが一気に見頃を迎えた。

緩やかな丘を小道が巡る見事な庭だが、靖子さんの目には映っていない。

20年以上前に糖尿病の合併症で光を失ってしまった。

「誰か遊びに来て話し相手になってくれたら」。

落ち込む靖子さんを見かねた敏幸さんが、一握りのシバザクラを植えたのが始まりだった。


19歳で隣町から嫁入りした靖子さんと敏幸さんは、乳牛60頭を養って子ども3人を育て上げた。

365日休みなし。

午前2時に起き、時には機嫌の悪い牛に蹴られ、乳を搾った。

「仕事をやめたら日本一周旅行に出ような」と、こつこつ小遣いを積み立てて夢を膨らませていた。


約束を果たす間もなく突然、靖子さんは暗闇に放り込まれた。

昨日できたことが今日できない。

ある日、ぽつりつぶやいた。「あの世に行ってしまいたい」

 
敏幸さんは酪農をやめて庭造りを始めた。

柔らかな花びら、香りだけでも感じてほしいと思った。


裏山の杉林を一本一本のこぎりで切り開き、一輪車で土を盛り上げた。

大雨で流されては、また土を運ぶ。土台を整えるだけで2年かかった。

夏は雑草を抜き、秋は6トンの肥料で覆う。

挿し芽を繰り返して年々広がっていく花のじゅうたんは、近所でも評判になった。


「黒木さんのシバザクラ」は今や観光スポット。

県外からバスも訪れ、新富町観光協会が駐車場を用意した。

週末は1日4千~5千人でにぎわう。

花見客と二人との会話は自然とおしどり夫婦の秘訣(ひけつ)になる。


「こんなに大事にされて幸せですね」


「一緒に苦労したから、ようしてくれるとでしょうね。

昔からこげな人。

互いに『ありがとう』ばっかりです」


「腹(性格)のいい嫁女(よめじょ)をもらったら大事にせんと罰が当たる」


手作りベンチに並んで座る二人は、いつも笑顔に囲まれる。


花を見られるのは今月中旬までの1カ月足らず。

またすぐに雑草と格闘する夏が来る。

「喜んでもらえるとなら90歳まで続けんと。

母ちゃんより先に逝くわけにはいかん」。

腰をさすりつつ今日も庭に立つ。


「来年もまた来んね。

あんたも腹んいい人を見つけないかんよ」。

世話焼きの敏幸さんが、大きく手を振ってくれた。


出典元:(西日本新聞)

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ものすごい深い愛情でお互いを思っているご夫婦ですね。

特に、奥さんのためだけに植えたシバザクラ。

このシバザクラが奥さんの笑顔を取り戻したんですよね。

私が同じ立場だったとしても、ここまで出来るかどうか分かりません。

出来たら、一度このシバザクラを見に行きたいものですね。