「らんまん」から南方熊楠と華岡青洲を思い起こしました。 | FF残日録のブログ

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広島県出身。各地で皮膚科の医療に関係してきました。2017年から,高槻の病院に勤めてます。過去の文書や今の心のうちを,終活兼ねて記して行こうと思ってます。2023/1/8に、dermadreamからFF残日録のブログに名称変更。

「らんまん」から南方熊楠と華岡青洲を思い起こしました。

 

朝ドラ「らんまん」が終わりました。毎回見ていたので、残念感があります。その中で、紀州出身の南方熊楠が神社合祀反対運動について、主人公の牧野富太郎に書状を送るシーンがありました。実学派と理論派といった感じなので、両者相容れないところがあるようです。

 

南方熊楠は、奇才天才といったイメージがあります。たくさんの論文を多方面にわたって著しています。和歌山県県立医科大学皮膚科が主催した日本研究皮膚科学会ポスターでは、かくありたいと言うことで南方熊楠に登場していただきました。さらに看板は、紀州出身の華岡青洲先生も登場という豪華版になっておりました。

 

 

華岡青洲の偉業を讃えて、和歌山県立医科大学は曼陀羅華の花に「医」の文字を配した学章を使用しています。

https://www.wakayama-med.ac.jp/

また、大学内には「活物窮理」の石碑が建っています。和歌山医大主催の学会では華岡青洲の肖像を使用するのがもっぱらです。

 

さて、華岡青洲(1760-1835)の座右の銘は「内外合一,医惟活物窮理にあり」です。

治療法には古今なく,古にこだわるものは今に通じない。内科を略しては外科の治療はできない。蘭方をいうものは,理屈ばかりで治療が下手である。漢方をいうものは治療がうまくても歴史にこだわりすぎ進歩がない。故に我が術は,治療を活物と考え,法は理を極めることによって自然と出てくる,という法則に随って,すべての病を療するのには,処方や調剤は必ずしも決められたものにこだわらず,薬の力が足りないものは鍼灸にて之を治し,鍼灸の及ばない所は,手術で治す。いやしくも人を活すべき者は宜しく為さざることなかるべし。

(渡辺賢治 「漢方をめぐる国際的な動向について」 日本東洋医学雑誌 第55巻 第4号 2004年から)

 華岡青洲を看板に配したのは、事務局長であった金澤先生(現 兵庫医科大学皮膚科主任教授)の卓見によるものでした。