「隔離」ということ 1
大阪府病院協会の会誌に論説を頼まれました。以前から気になっていることを書いてみました。字数の関係で不十分な点がありますが、あしからず。この投稿とあと、2、3と続きます
「隔離」ということ
コロナ騒動は、2年以上に及んでいます。思い出すと、第一から三波あたりは、迅速かつ完全に感染患者を隔離することがテーマでした。そして、マスメディアには、隔離の文字が毎日のように踊っていました。隔離を推し進める世間の風潮に理解はできましたが、心のどこかに引っ掛かりを感じていましたし、現在でもそうです。(なお、用語として使用されている「癩」「らい」は、そのまま使用し、他は「ハンセン病」としました。)
皮膚科医である私は、ハンセン病と比較的縁があります。1980年代初めに、瀬戸内海の長島(岡山県)にあるハンセン病療養所長島愛生園に共同研究で訪問したことがあります。小型の船でわずか約30メートルの瀬溝海峡を渡りました。僅かの距離ですが島に着いた途端、重たい別世界のような感覚を味わいました。1988年に「人間回復の橋」と呼ばれるアーチ型の橋が完成しました。生活の利便性は上がりましたが、真の回復を目指した取り組みが現在も続いています。