三月に東日本大地震 そして 9月に紀伊半島豪雨
大変なとしでした。当時和歌山医大付属病院の副院長だったので、鮮明に覚えています。狭いエリアの中で豪雨と小雨地域が混在していました。新宮医療センターや串本のクリニックに定期的に応援に行ってましたが、かなりのダメージでした。
以下本日の毎日新聞から
88人の死者・行方不明者が出た2011年9月の紀伊半島豪雨から10年となり、和歌山、奈良両県内で4日に追悼行事が行われ、犠牲者の冥福を祈った。
28人が死亡、1人が行方不明となった和歌山県那智勝浦町では、紀伊半島大水害記念公園の慰霊碑前に29本の灯籠(とうろう)を並べ、土石流が発生し始めた午前1時に合わせて明かりをともした。那智谷大水害遺族会(岩渕三千生代表)が主催し、遺族や住民ら約60人が思い思いに手を合わせた。
町立市野々小2年生で亡くなった中平景都(けいと)さん(当時7歳)の同級生6人も参加。景都さんを含め7人だった同学年で6人は高校3年生になり、来春には就職や進学で別々の道を歩む。その前に小学校卒業以来、初めて全員で集まったという。宮本理好(りこ)さん(17)は「よく全員で遊んでいたことを思い出す。景都君は一番明るい子だった。だから、私たちも悲しんでばかりいられないと思った」と語った。
山腹崩壊で8人が死亡、3人が行方不明となった奈良県五條市大塔町では午前10時半から市主催の追悼式があり、遺族や関係者ら約80人が黙とうをささげ、災害に強いまちづくりへの決意を新たにした。【木村綾、山口智、高田房二郎】