こんばんは!

 

※今回は生き物とは全く関係ない話です。

 

最近忙しいのに眠れない時があります。

その時決まって妄想や空想にふけるわけですが、最近は特に「人生って何?」という何だか答えの無い難しい話題を考えています。

 

僕はいわゆる「意識高い系」だと思います。

学生の頃は将来お金持ちになるんだと鼻息を荒くして、それこそひと通りの投資は経験し、ある程度のお金の知識も持っています。

 

それから15年程経った今、会社では労働組合の役員をやってアレコレ日々奔走している中でふと思いついた事があります。

労働組合の会計をやる中で、“貸借対照表(たいしゃくたいしょうひょう)”というものを扱います。これは何かと言うと、組織の資産や負債を一覧にしているものです。

資産と負債の合計額は必ず一致するこの表を見ていると、「負債は資産へとつながっている」という事を強く意識する事が出来ます。

 

“日本は借金まみれであると同時に資産まみれである”という理論に辿り着くのはこの考えからです。(借金が増えているのに潰れないのはこーゆーカラクリがあるからです。)

 

そうした考えの中、“お金が無い人”という人達への見方が変わりました。

これは、“お金という浮動した物を実物に上手く変換した人”という意味になると捉えています。

 

銀行口座の中に1億円ある人は、1億円もの“資産”が変換されていない状態と言えるのではないか、と思います。

そもそもお金の成り立ちは、物々交換が取引の唯一の手段であったものを、“共通通貨”という価値を交換する事で作られたものです。

 

価値があるものをあげたり、貰ったりする事はお金を介する必要が無いわけです。

 

最近はお金では測れないいろいろな物を貰う事があって、やはりそこには人との繋がりがある事を経験と共に理解しました。

そうして今では、額面にはそう拘らなくなりました。

 

また、お金は物々交換の道具である事から、例えば1億円を稼ぐためには1億円分の何かを相手に与える事が必要です。

という事は、世の中のお金持ちは、実は「お金儲けの天才であると同時に、与える天才である」と気付きました。

 

自分の中の何かを一生懸命誰かに与える。

その見返りとしてお金を得ている。

 

この社会のルールに気付いた時、自分があまり多くのお金を持っていない事に納得しました。あまり与えてこなかったからです。

じゃあこれからどうするか。

 

当たり前ですが、“与えて与えて与えまくる”がテーマです。

与える為に資格を取るし、勉強するし、いろいろな技能を手に入れようと思っています。

 

ただ世の中はそう上手くいかなくて、僕の周りは素敵な人が多すぎるのか、僕が与える前に貰っちゃうんですよね…。

お金には代えられない、僕が欲しいものを次々と。

それは言葉だったり、何か感動する事だったり、何か物だったりと様々ですが、この年になってようやく人生の楽しみ方が分かった気がしました。

 

なんだか頑張る方向や考え方も何となく分かってきて、点と点が線になってきそう。

ちょっとテンションが上がっちゃう。

 

世の中のすごい人たちは、たぶんこれを10代で気付いて頑張ったんだろうな。だからそれが5年、10年で花開いて20代で活躍してるんだろうな。

 

自分の人生はあと実際50年ぐらいだと思う。

50年あれば10億円ぐらい与える事が出来るんじゃないか、今からワクワクが止まらないです。

また、貰った物よりちょっと良い物をお返ししていけば、全体として豊になっていきますね。これまた楽しみが多い。

 

 

 

あぁ…明日も寝不足かなぁ…。