日光からこんにちわ。
今日は私が 青年海外協力隊で2年間住んだスラウェシ島のパルという町が、
皆既日食の観測にGOODということで、すごいことになっていました。
専門家も選んだ観測に一番いい土地がパル近郊ということで
日本からも世界からも人がやってくるらしい。
2分55分もの間 皆既日食が起こり、これはかなり長い時間らしい。
日本語のできる友達もガイドを頼まれたらしいほどヽ(*'0'*)ツ
ここぞとばかりにリンク張ってみました(^^)
インドネシア皆既日食観測ツアー
精霊宿る神秘の島
その他にもたくさんのツアーがありました(ビックリ)
音楽フェス!も
皆既日食記念切手もある!

皆既日食記念切手3枚組(© Pos Indonesia)
私の、アメニズム的考えや、自然の中で生きる事、
いろんなことを考え、感じる根っこには
パルで過ごした2年間(いろんなところにも行きました、いろんな経験もしました)
があります。
あー、なんだか、ワクワクが止まらない!!

パルはインドネシアの地方都市で、一応州都(県庁所在地みたいなもの)だけど、
バリやジャカルタなどの年に比べると、発展もそれほどしていなくて
のんびりした田舎の町でした。まわりはヤシ林と、きれいな海と山。
協力隊員が初めて赴任する街で、何も町の情報がなく、
一番近い任地(隊員が赴任している場所)は、
海を渡ったバリックパパン(カリマンタン島=ボルネオ島)か、
島の端っこのメナド(ダイビングで有名な町)か、
マカッサル(当時ウジュンパンダン)という、トラジャコーヒーの原産地)で、
いずれも飛行機で1時間。
バスなら24時間以上かかって、船でも1泊はかかる(T_T)
行ってみたら、ODA関係の仕事で来ている日本人のおじさんが一人住んでいたけど、
その人の存在すら、JICA(国際協力機構)の担当者も知らず、
「日本人は一人だから」と言われ、近所に隊員もいないし、
飛行機代は高いから、会いにも行けないし・・・と、覚悟を決めて降り立った町が
Paluでした。飛行機から見る景色は、山に囲まれ、海があって、町が近づくと
ヤシの木だらけ。
グーグルアースができたとき、自分のいた町を見て、
「こんなことができるようになったんだぁ」と感慨深く、FBでは
その時の同僚や、友達と繋がる時代になりました。
日本人は、たまに政府の仕事(ODA)や、国立感染研究所や大学の先生が
蚊とかハエの採集(研究のため)に来たりとか、2年間に数回しか、Paluでは日本人に
会えなかったけど、その分、濃いメンバーというか、
日本人の女の子(当時は若かった^^)が一人でいるということで
心配してくれたり、食事に連れていってくれたりしました。
今ではインドネシアもかなり発展をし(私がいたのは20年近く前)、
パルも、それなりに発展をしています。
それでも、時間がないと、飛行機の乗り継ぎの悪さや、観光するところも
ちょっと足を延ばすし、自然のもの(バードウォッチングとか、トレッキングとか)
が多いので、日本人観光客はほとんどいません。
たまーに、バックパッカーの旅人がブログに書いていたりしますが、
時間と余裕がないといけない場所なので、
今回、そんなパルが、バッチリ観測地帯に入っていて、
条件も良いということで、世界各国から日食を見たい人が
訪れているのだとか!!
こそばゆいような、嬉しいような、ネットで調べても、すぐにパルが出てくるなんて(^^)
ニポトウェという名前は、
私がパルにいたときに働いていた、知的障碍者の施設の名前で
現地語(インドネシア語ではありません)のカイりー語で「慈愛」の意味です。
なんだか、Paluが、たくさん取り上げられていたり、
あの町にたくさんの観光客(でも、ただ日食見て帰るだけらしいけど)が
行くことが本当に嬉しい!!
4日、5日の強行ツアーで行っちゃうのがもったいない気がするけど、
それでも、あの地を多くの日本人が訪れてくれることがうれしい(^^)
あー、行きたかったな、そんなに人の来るPaluを見たかった(^^)
今日は私が 青年海外協力隊で2年間住んだスラウェシ島のパルという町が、
皆既日食の観測にGOODということで、すごいことになっていました。
専門家も選んだ観測に一番いい土地がパル近郊ということで
日本からも世界からも人がやってくるらしい。
2分55分もの間 皆既日食が起こり、これはかなり長い時間らしい。
日本語のできる友達もガイドを頼まれたらしいほどヽ(*'0'*)ツ
ここぞとばかりにリンク張ってみました(^^)
インドネシア皆既日食観測ツアー
精霊宿る神秘の島
その他にもたくさんのツアーがありました(ビックリ)
音楽フェス!も
皆既日食記念切手もある!

皆既日食記念切手3枚組(© Pos Indonesia)
私の、アメニズム的考えや、自然の中で生きる事、
いろんなことを考え、感じる根っこには
パルで過ごした2年間(いろんなところにも行きました、いろんな経験もしました)
があります。
あー、なんだか、ワクワクが止まらない!!

パルはインドネシアの地方都市で、一応州都(県庁所在地みたいなもの)だけど、
バリやジャカルタなどの年に比べると、発展もそれほどしていなくて
のんびりした田舎の町でした。まわりはヤシ林と、きれいな海と山。
協力隊員が初めて赴任する街で、何も町の情報がなく、
一番近い任地(隊員が赴任している場所)は、
海を渡ったバリックパパン(カリマンタン島=ボルネオ島)か、
島の端っこのメナド(ダイビングで有名な町)か、
マカッサル(当時ウジュンパンダン)という、トラジャコーヒーの原産地)で、
いずれも飛行機で1時間。
バスなら24時間以上かかって、船でも1泊はかかる(T_T)
行ってみたら、ODA関係の仕事で来ている日本人のおじさんが一人住んでいたけど、
その人の存在すら、JICA(国際協力機構)の担当者も知らず、
「日本人は一人だから」と言われ、近所に隊員もいないし、
飛行機代は高いから、会いにも行けないし・・・と、覚悟を決めて降り立った町が
Paluでした。飛行機から見る景色は、山に囲まれ、海があって、町が近づくと
ヤシの木だらけ。
グーグルアースができたとき、自分のいた町を見て、
「こんなことができるようになったんだぁ」と感慨深く、FBでは
その時の同僚や、友達と繋がる時代になりました。
日本人は、たまに政府の仕事(ODA)や、国立感染研究所や大学の先生が
蚊とかハエの採集(研究のため)に来たりとか、2年間に数回しか、Paluでは日本人に
会えなかったけど、その分、濃いメンバーというか、
日本人の女の子(当時は若かった^^)が一人でいるということで
心配してくれたり、食事に連れていってくれたりしました。
今ではインドネシアもかなり発展をし(私がいたのは20年近く前)、
パルも、それなりに発展をしています。
それでも、時間がないと、飛行機の乗り継ぎの悪さや、観光するところも
ちょっと足を延ばすし、自然のもの(バードウォッチングとか、トレッキングとか)
が多いので、日本人観光客はほとんどいません。
たまーに、バックパッカーの旅人がブログに書いていたりしますが、
時間と余裕がないといけない場所なので、
今回、そんなパルが、バッチリ観測地帯に入っていて、
条件も良いということで、世界各国から日食を見たい人が
訪れているのだとか!!
こそばゆいような、嬉しいような、ネットで調べても、すぐにパルが出てくるなんて(^^)
ニポトウェという名前は、
私がパルにいたときに働いていた、知的障碍者の施設の名前で
現地語(インドネシア語ではありません)のカイりー語で「慈愛」の意味です。
なんだか、Paluが、たくさん取り上げられていたり、
あの町にたくさんの観光客(でも、ただ日食見て帰るだけらしいけど)が
行くことが本当に嬉しい!!
4日、5日の強行ツアーで行っちゃうのがもったいない気がするけど、
それでも、あの地を多くの日本人が訪れてくれることがうれしい(^^)
あー、行きたかったな、そんなに人の来るPaluを見たかった(^^)