日光からこんにちわ。

以前のブログ・イチゴジャムの話を書いていて、思ったこと。

「思い出」 が 人 をつくる

写真に残るような特別な出来事の
思い出ではなく、
日常の、意識しないような当たり前の生活の中に
「幸せ」「安心感」があるのかもしれない。

と思ったのですが、
その「当たり前の日常」が、難しい人もいます。

10年位前にお会いした、安達俊子さんの言葉を思い出しました。

安達俊子氏の青少年自立支援(ニート・ひきこもり支援)
の講演会を聞きました。ご本人とも直接会ってお話しする機会もあり、
そのころ、別居中だっ足り、子育てで悩んでいた時期でもあったので、
心に残っている言葉です。

 安達先生は、
  「ヤンキー先生母校に帰る」というドラマにもなった
   北星余市高校(北海道)の先生で、
    ヤンキー先生の先生だった方です。

 「その子が良き人生を送るには、どれだけ多くの良き大人に出会えたか」

というようなことをお話し していて、とても印象に残っています。

言葉はもう忘れてしまいましたが、

「必ずしも、親があたたかい愛情を持って接してくれるわけではなく、
親に、愛情を求めても返ってこない人もいる。

学校で、家庭でつらいことがあった時、
助けを求めても、誰にも助けてもらえなかった経験をしている子もいる。

でも、

親でなくても、良き大人との出会いで
良い人生を送っていくことができる。

どんな親に育てられたかではなく、どれだけ多くの良き大人に出会えたかです。
だから、私たちが、良き大人になりましょう」

というような内容だったと思います。
でも、その言葉は、私の中に深く印象に残って、
今も、私の中にある言葉です。



「家族で難しいなら、他の人でもいい。」のだということ。

何が影響を与えているかわからないけど、
自分の子供だけでなく、他の子供でも、良き関わりを持って、
「良き思い出」をたくさん残せたらいいなと思い、また、
良き思い出が、良き人を育んでいくと思ったのでした。。。

良き関わり、良き思い出というのは、
楽しいことばかりではありません。

「ダメなことはダメ」と言い「注意するときは注意する」というのも
良き関わりです。
人として、真摯に子供と向き合うこと、その姿勢が大切なのだと思います。

自分が学生だった頃、
先生の注意の仕方は???だけど、
言ってくれたことは「なるほど」と思う、社会に出て知っていたほうがいいことでした。

人の前を通るときは「失礼します」と言う。
これを、できる生徒がクラスにほとんどいなかった。
できなかった生徒は、今でいえば体罰ですが、
お尻を思いきりはたかれました。

でも、それ以来、人の前では、ちゃんと「失礼します」を
いう癖がついたので、
今でも、無理なく、当たり前にできることです。

その時はごく嫌だったけど、大人になって
とても役に立っています。

教え方はよくなかったかもしれませんが、
私の中では、体罰的な思い出ですが、教えてもらってよかったと思っています。

良き思い出の残せる大人になりたいと思います。


今日、不登校、引きこもりの子供や親への支援の
講座を受けてきましたが、その中にも、

「親でなくていい、その子が安心して話すことができる大人がいることが大切」と
言う話を聞きました。

今年は、私のやるべきことが少しづつ動き出している気がします。

私も「覚悟」を決める時期が来るのだと思います。