日光からこんにちわ。

今日は、晴天。風は冷たかったけど、昨夜降り積もった雪もとけて、
地面には、オオイヌノフグリが咲いていました。
この花が咲くと「あー、春がきたぁ」と思います。



先日、小ぶりのイチゴが安くなっていたので、
いちごジャムを作りました。

いちごジャムを作っている時の匂いは、
小さい時に、母と(たぶん)作った(たぶん)ことを思い出します。
が、
一緒に仲良く作った記憶があるかというと
そういう記憶はない(^^;)。

母が作ってくれていたのを見ていた時の匂いか、
母に教わって自分で作った時の匂いか。。。

「いつ、どこで、だれと、だれが、何をした」のような
はっきりしたものではなく、
鍋の中のイチゴがぐつぐつしているのと、
焦がさないように木べらで鍋の中をかき回している感じとか、
家の台所の感じとか、そんなものが頭に浮かび、
なんとなく、心が温かくなるような
落ち着くというのか、柔らかい、優しい感情というのか、
そういう中にいることができるのが、イチゴジャム作り。

いちごジャムが食べたいだけでなく、
そういう あたたかいものを感じたくて作っているのかもしれません。


母はすでに亡くなっていますが、色々口うるさい母親でした。
そんな母に似ている自分が嫌になるときもしばしば(^^;)。
(子育てでは、自分でこうされたから嫌だ!ということを
 息子にしていたりします。。。)

いちごの甘酸っぱい匂いは、
そんな母が作ってくれた「イチゴジャム」を作っている時の
母との時間、嬉しい気持ち(意識レベルではそういう感情はなかったけれど)、
けして甘いだけではなく甘酸っぱい思い出なのですが、
何があったとか、こういわれたとか、
具体的な何かあったこととかは全く覚えていないけど、
甘酸っぱい、優しい思い出の中に、一瞬で入っていき、

自分もやさしくなれる時間のようで、穏やかになれる私がいます。


母との思い出は、たいてい[怒られている]「注意されたこと」などばかり。

上野デパートの食器売り場で「触っちゃダメ」と怖い顔して言われたとか、
食べるのが遅いのに、レストランで一人グラタンを頼んで、
みんなが食べ終わるころグラタンが来て、食べるの遅くて
「だからグラタンなんて頼まなきゃいいのに!」と言われたとか、
言動としての「優しくしてもらった」記憶はあまりありません。

穏やかな気持ちとは全く逆の、怖い、うるさい とか
そっちの思い出のほうがすぐ出てきます。

でも、ちゃんと、穏やかな安心を感じた記憶も残ってます。

そういう優しい気持ちを感じる思い出は、
母に髪の毛をしばってもらったとか、
プリンを作ってもらったとか、
母の顔がどうだったとかというのではなく、
あたたかい気持ちになれる

「安心感」

を感じる記憶なのかもしれません。



言葉がなくても、
匂い、食べ物の味、画像など、味覚、嗅覚、視覚をツールとして
その時に感じた感覚を思い出させてくれます。

その時の空気感が、気持ちいい、安心の場であれば
いい思い出になっていくのだと思います。

その反対で、

どんなに色々な体験をしても、
その時が楽しくないと、アルバムに残るような思い出(出来事)はあっても、
嫌な感情を思い出してしまうかも。

 私は、初めての東南アジア旅がタイでした。
1月だったので、成田では雪が降り、バンコクに着くと真夏の日差し。

排気ガスと、むんむんした空気と、ギラギラした日差しだけでも
しんどかったのに、

ドリアンの季節で、ドリアンの匂いも混ざった複雑な、今まで嗅いだことのない
匂いの中で、タイ料理に入ったパクチーで、完全ノックダウン!

それから、パクチーも苦手だし、パクチーを見ると、あの時の感覚、匂いを思い出し
クラクラしそうな感じになります(^^;)

子供に良かれと思ってやらせても、
子供にとって嫌なものであれば、

たとえ技術が身についても、その技術を使う時、楽しくないかもしれないですね。

思い出した話があるので、
次回、書いてみたいと思います。