今朝目が覚めたときに感じたこと



スクールカウンセラーと話をした翌日の朝

客観的に見てくれる目は大切

一人で抱えないこと

人の力を借りること(私は苦手でした)

一緒に考えてくれるということ

答えは出なくても一緒に何かをすること

一人で何でもできるようにしないとともっていたことと

違う場所に立っている私がいる。

一人で出来ることも必要だけど、

やり方がわからない、不安の中、

一緒に話してくれる人、

わかってくれる人、

一緒にやってくれる人がいるとできること、

そこから、やり方を学び、出来るようになっていくこと、

寄り添ってくれる人がいること

そこで見ていてくれればいいこと


私には実体験がない。

ずっと、頭でわかっていてもできなかったことが、

12年たってやっとできる、というか、頭ではなく、

無理なく、楽しんでできること、


出来るという意識もなく、

無意識にそのように動けるようになってきた気がしてうれしいです。


自分が母になりわかること、

母を嫌う感情=悲しみ、さみしさなのですが

たぶん、戦時中、祖母と二人で、親戚の中で暮らした母、

戦後、祖父が戻ってきて7歳違いの弟が生まれ、

お土産屋さんを切り持ちし、スケートリンクの食堂を早くから遅くまでやっていた

祖父母(母の両親)に育てられ、

あのころは、日本中みんながそういう時代だったのだと思いますが、

私も、よく、手伝いに行って、お土産を包み、従業員の方々に遊んでもらいながら、

高度成長期の観光地日光の中で育ちました。

話がそれていってしまいましたが、

こういうことを書いていると、きっと形は違うけれど、母には、母なりのやり方で

育ててくれたのだと思います(見守ってくれたとは、なぜか、まだ書けません(苦笑))


そんな母は、人と人をつなぐのが上手な人で、

ものをはっきり言うし、人の子供でも平気で注意し、

今でも、怖かったという友達もいますが(私も怖かった…)、


今朝は、八百屋のおじさん、おばさんに

「いい人だった。ここを紹介してきれたんだ、お母さんのおかげで、ここにも来るようになった」

「いい人だったんだよぉ。いい人は早く死んじゃうんだよ」


と言ってくれました。


いろんなとこで、その母のおかげで、

大切にしてもらっていることも多いと感じます。

今日も八百屋さんにかぼちゃのおまけをしてもらって、

あるときは、別のおみせで息子も 饅頭をもらったり、

日光での、「やってもらったから、お返し」

恩を返していく、その人にではなくても、次の世代に反していくという気持ちが心地よく、ありがたい。

飲み屋で、私の分をお金を押して行ってくれるおじさん

私の父も、私の友達の支払いをしてくれることがあったので、

その友達は、お祭りなどで息子に会うと、お小遣いをくれます。

そういうものを大切にしていきたい。

また、息子にも残していきたいし、
息子にも引き継いでほしい見えない「人の思い」です。